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極彩色の現実が始まった。 1.

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 少なくとも五回は「下ろしてほしい」と懇願し、それ以上の回数「逃げません」と約束させられてから、貴奈はようやく自分の足で歩くことを許された。

 とはいえ、歩いたのはおそらく百歩にも満たない。
 腰を抱かれて宙吊りのまま高速エレベーターに連れ込まれ、降りてみればVIP専用地下出入口。
 今西財団博物館の入るビルは、今西グループの所有するビルの一つとしてはけっして超高層ビルという規模ではないのだが、それでもこんな出入り口を有していたのかと貴奈は目を瞠った。
 
 ようやく下ろしてもらって自らの足で立ったとはいえ、アレクシオスとがっちりと手を繋いで歩かされ、正面玄関の守衛よりもうやうやしい警備員に最敬礼されて歩くこと数メートル。

 しゅうん、とスマートな音を立てて木製の自動ドアが開いた向こうには、黒塗りのリムジンが寄せられている。

 流行のワンボックス型ではなく、貴奈が怖気づくほどがっちりとしたお高そうなセダン仕様のリムジンのそばには黒服の男が立っていて、アレクシオスと貴奈が近づくと丁重に頭を下げ、白手袋を嵌めた手でドアを開けてくれた。

 足が竦む貴奈に「逃げないって約束したよな?」と囁き、ついでにこめかみにキスを落としたアレクシオスは、ご機嫌で貴奈とともに後部座席へ乗りこんで、運転手へひと言ふた言指示をする。

 滑るように走り出したリムジンの後部座席では、鼻歌でも歌い出しそうなアレクシオスのなんと膝の上に、貴奈は魂の抜けた顔のまま座らされた。
 
 ***
 
 車が地上に出て、貴奈が見慣れたビル群の谷間をゆったりと進む間中、アレクシオスは膝の上の貴奈を長い両腕でしっかりと抱きしめ、ようやくここまできた、と柄にもなく感慨に浸っていた。
 
 職場から連れ出してきたから、「今はまだ」邪魔な着衣を身に着けたままなのはしかたがない。
 貴奈の黒いスーツは機能的ではあるのだろう、しなやかで体によくなじんでいるが、いかんせん実用一辺倒で愛想もへったくれもない。
 タイトスカートも膝が隠れる長さで、黒いパンプスとスカートの裾との間、つまり貴奈の足が見られる面積は極めて少ない。
 白いシャツの襟開きもおとなしいもので、かろうじて第一ボタンを外しているだけだ。
 しているかどうかも定かではない程度の薄化粧の貴奈は、下手をすると就職活動中の学生にすら見える地味さだったが、アレクシオスはスーツ越しに貴奈の体温を感じ、貴奈の重みを体感していると、「よく頑張った、俺」と自分で自分をほめてやりたくなってくる。
 
 だがしかし。
 彼は現実的な男であったので、貴奈を抱きしめたままさほど長いこと時間を無駄にはしなかった。
 彼にははっきりさせなくてはならないことがある。 

 膝の上で、暴君を刺激しないようひっそりとおとなしく、けれど緊張を解かずに抱かれている貴奈の耳元に口を寄せると、「なあ、アナ」と静かな声で話しかけた。

 「あ、アレク、さん」
 
 貴奈は、衝撃の連続で目を開けたまま少々意識を飛ばしていたのだが、男の吐息と、懐かしい低い声を感じて飛び上がった。

 体まで重ねた仲とはいえ、たった一晩のこと。半年ぶりに再会した男の膝の上に座らされていることを今さらながら実感して、あわてて滑り下りようとしたが、もちろん男がそれを許すはずはない。

 男の腕にほとんど拘束されたまま眉尻を下げて男の顔を見上げると、再会直後の激情は鳴りを潜めて、天気の良い凪いだエーゲ海のような青い瞳で貴奈を凝視している。

 なんてきれいなんだろう。アキレス様かユリの王子みたい、と魅入られたように押し黙っていると、

 「アナ、なぜ、逃げた?」

 アレクシオスは、感情を表さない声で尋ねた。
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