僕のみる世界

雪原 秋冬

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一章

32.久門家

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「……これは憶測の域を出ないものだけど」

 絞り出すような声で、先輩は話し始めた。

「二人以上でイザナイさんへ会いに行き……、そして校舎に入れてしまった場合、死の可能性が出てくるのかもしれない……」
「え――でも先輩、前に『グループで入れたのは恐らく君たちが初めて』って言ってましたよね」

 声に少々震えが混じりつつも、浮かんだ疑問をそのままぶつける。前例がないようなことを言っていたのに、どうしてその憶測が出てくるのだろうか。

「そりゃ、『グループ』は知らないけどね。ペアで入った可能性の高い人たちは知っているから」
「……今までもそんなことがあったんですか!?」
「あくまで憶測だから。僕は真実を知らないよ」

 衝撃のあまり前のめりになっていた俺を、先輩は冷たくあしらう。この感じは、これまでにも何度か味わってきたものだ。先輩が心の奥底で抱えている何か――久門家の身内という立場でありながら、味方ではないと言った彼が秘めているものは一体なんだろう。

 昨日、守芽植先輩が宇佐見先輩の両親について言っていたけれど……まさか、この二人が先輩の言う「ペアで入った可能性の高い人たち」なのか……?

 しかし、「久門のせいで死んでいる」「自業自得なんだっけ」とも言っていた覚えがある。久門家の者に頼まれて願いに行った結果、死んでしまった……という道筋なら違和感はないが、そうすると「自業自得」と言っていた部分が分からない。

 分からないけれど、俺が深入りしていい部分ではないだろう。確かにイザナイさんが関係しているのかもしれないが……、先輩が詳しく話さないということは、俺には言いたくないことなのだろうし、久門の知り合いはほかにいないし、事情を知ってそうとはいえ、あの守芽植先輩と話すのは嫌だ。

「すみません、ありがとうございました。帰ります」
「うん。じゃ、僕も帰るよ」
「え……」

 てっきり別々で帰ることになると思っていたから、驚いた。戸惑う俺を知ってか知らずか、宇佐見先輩はさっさと戸締りなどの最終確認を終わらせ、荷物を持って俺と共に図書室から出ると、すぐに鍵をかける。

「それ、職員室に返すんですか?」
「いや? この鍵も僕がずっと持っているものだよ。職員室にもあるけどね」

 いくら図書委員長でも、鍵を借りっぱなしというのはありえるのだろうか。宇佐見先輩がただの生徒ではなく、久門家の身内だから?

 例の資料に宮原と久門の両名が入っていたのを見た限りでは、この学校――いや、イザナイさんが関係する学校すべてで、この両家は深く関わりのある重要なものなのだと推察できる。

 この望苑学園にある、少々不自然とも思える送迎用ロータリーが宮原家のために作られたように見えたのも、あながち間違いではなかったのかもしれない。

「一応言っておくけど」

 一階の昇降口に向かう途中、先輩が口を開いた。

「久門には関わらないほうがいいよ」
「……、それは……」

 両親のことが関係あるんですか、とは言えなかった。もちろん、前に都織さんが言っていたように、久門家自体に問題があるから関わるな、と言いたいだけかもしれないが……。

「成海がイザナイさんの世界を見られるのだとしたら、久門は絶対に君をこちらに引き込もうとしてくる。久門から見れば面白いし、何より有効活用できるかもしれないからね」
「…………」
「……ただ、宮原と違って怪異には積極的に関わっていくし、欲しいと思ったものなら歓迎もするから……久門側になれば君が知りたいことも、色々と知ることはできる……それこそ、きっと僕以上に」

 でも、と区切って先輩は一呼吸置く。

「久門に一度でも『仲間』として関わると、もう二度と出られないよ」

 ぞくりと肌が粟立つ。生半可な気持ちで久門の元へ行ってはいけないし、行くなら永遠に彼らの味方であると決心しないといけない……それほど重いものなのだ。

「僕は確かに久門家と血のつながりはあるけど……、久門家の嫡子は三従兄弟みいとこだし、結構遠いんだよ」
「みいとこ?」

 聞きなれない言葉に、思わずオウム返しをしてしまう。

「三従兄弟! 現当主のはとこの子供が僕」

 まあ、要するにだいぶ遠いってことだな。さっき先輩も言ってたけど。

「――だから、本家連中の異質さはよく分かる……。ま、イザナイさんに執着してるって点で言えば、僕もやっぱり久門の人間なんだと思うけどね」

 たしか宇佐見先輩は、ほぼ毎晩、校舎へ侵入できないか試しているんだっけか。いつからかは分からないが、それなりに年月を重ねていそうな印象を受けるあたり、本人の言う通りなのかもしれない。

「本当はこの望苑学園も、あの資料に書いてあったように担当は宮原家だから、久門家は関われない……関わる必要がないんだ。僕は分家だし、何よりもイザナイさんの七不思議はもうここにしか残っていないから、頼んでみたら入れたけどね」
「え、あの担当っていうのは、入学どうこうも影響していたんですか?」

 前に柚織くんが言っていたような、深夜の校舎に入る人数を監視する役割なのかと思っていた。でも、そうか……それだけだと、以前の花狐森学園に存在していたらしい七不思議みたいに、時間帯の指定が夜以外のものだと、意味がなくなってしまうのかもしれない。

「昔は特に制限がなかったらしいけど……もともと久門と宮原は仲が悪いから。余計な争いごとを増やさないように、という意味も込めて後々取り決めがあったんだよ。どちらか一方の家しか在学できない、って感じにね」

 なるほど――望苑学園の担当は宮原家で、イザナイさんはもうこの学園にしか残っていないという状況なら、確実に伊織や都織さんが入学してくる……というか、現にしている。だから本来なら、その時期に重なる宇佐見先輩は入学できないはずではあるものの、許可がもらえたというわけか。

 そのようなことを話している間に、昇降口までたどり着いていた。三年生の下駄箱は別の場所にあるから、先輩とはここでお別れになる。そう思って口を開きかけたところで、強烈な頭痛が襲い掛かった。

「……っ、なんだ、これ……」
「成海……?」

 痛みで立っているのがつらくなり、近場にあった下駄箱に身体を預けながらずるずると座り込む。そんな俺の名前を先輩が呼んだかと思うと、その直後なにかを感じ取ったのか、険しい顔をしながら別の方向へ目を向けていた。

 重くよどんだ空気が校舎を侵食しているようだ。まだ電気はついているはずなのに、フィルターでもかかったような仄暗さを感じる。

「……成海、立てる? 君はここにいたら絶対にまずい」

 先輩の言葉が頭の中で散らばって、うまく呑み込めない。それなのに、遠くのほうから別の声が聞こえてくるような気がした。

『――こ――、――――』

 また別の声が聞こえてくる。

『暗――て、――』

 ……また、別の声が……。

『――のために――願いを――』

 その声を聴いた瞬間、まどろみの中から急に現実へ引き戻されたかのように、意識がはっきりとした。まだ続く痛みに顔をしかめながら、下駄箱を支えにして立ち上がる。

「今の……、声……」
「なんでもいいから、とにかく校舎の外に出るよ」

 切迫しながらも声を荒げないのは、不調の俺を気遣っているのかもしれない。時間が差し迫っていると判断したのか、はたまた動こうとしない俺にしびれを切らしたのか、先輩は俺の腕をつかむと昇降口の扉へ向かい始めた。

「宮原に連絡取るから、スマホ貸して」

 校舎から出ると、幾分か痛みが引いたようで少し楽になった。震えが混じっておぼつかない手で、伊織に電話をかけられるよう操作してから先輩に手渡す。すぐに発信しているようだが、なかなか出ないようだ。いま何時ごろなのか正確には分からないけれど、たぶん習い事か何かをしていて、即座に対応できる状態ではないのだろう。
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