青蔦の若君と桜の落ち人

楡咲沙雨

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辺境の街 マノア

それでも彼女は前を向く

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 自室に戻って、ソファに座り、美桜は考え続けていた。言葉の発音なのか、訳がきちんとできていないせいなのか、とにかく自分の魔法は「日本語」で唱えなければ発現しない。それは理解できた。でもそれではこの世界の魔法は使えない。「異質」であると自分自身で叫んでいるようなものだ。人の前で魔法が使えないなど。

 ――自分は『落ち人』でいたいわけじゃない。ヴェルノウェイの娘になりたいのだ。

 美桜はふかふかのラグの上を素足で歩く。靴を履きっぱなしの生活にはどうにも耐えられず、メリアにねだって、絨毯の上に大きめのラグを敷いてもらい、その上で裸足になるようになっていた。うろうろと歩き回りながら、美桜は独り言を繰り返す。

「とりあえず。前向きに色々とやっていくしかない。やらなかったらできない。ただそれだけのこと。」
パンっと頬を叩くと気合を入れる。まずは自分のできることからやっていこう。

 それからの2週間。厨房で気晴らしをする以外は美桜はただただ魔導書を読むことに没頭した。読んでは発音し、正しく聞こえるかサーシャやメリナ、ナディアに向かって発音し続けた。ヴェルノウェイはマノアの領主であったし、屋敷の書庫には様々な魔導書、この世界の地理、歴史、ありとあらゆるものが揃っていた。『俺の実家の1/5もないぞ』とカイドは言うが、それでも美桜にはとてつもなく高い壁に思えた。最初のひと月で覚えた読み書きを駆使して、車からランタンをもちこみ、夜中になっても読みふけった。ここの人間になる。この世界の住人になる。その一心で。そして、屋敷の誰もが驚くスピードで、詠唱で発動させることが出来るようになっていた。

「メリア。見てみて。『点灯ライト』。」
「ナディア。今度は大丈夫。『清潔化クリーン』。『温風ブロア』。」

 乾いた地面が水を吸うように、貪欲に知識を吸収していく美桜に、周りの者はすべて舌を巻いた。確かに高度の教育を受けている片鱗はあったがここまでとは。そしてそれは、ジャンルードも同じことだった。たまに会うと、彼女はいつも本を読んでいて「見ててね。そのうちちゃんと詠唱できるようになるから。」とキラキラした顔で笑ったのだ。

――まいったな。
あの時、自分は「楽にできるほうへ」誘導した。見ていられない。甘やかしたい。と思ってしまったからだ。けれど、美桜はそれをやすやすと飛び越えた。そのプライドの高さ。向上心の輝きに、ジャンルードは『唯一』だからというだけではなく、「美桜」個人の資質に心奪われた。そして今も。依頼帰りに屋敷へ向かおうとする自分の目の先には、いつもの柳の木の下で、狼二匹を従えて本を読みふけっている彼女がいる。

「美桜。今日は何を読んでいる?」
「あ。エミリオ、お帰りなさい。今は土魔法。花を咲かせる詠唱のところ。」
「美桜はすごいな。普通何年もかかるんだぞ。」

本をパタンと閉じると美桜はエミリオのほうを向いて笑った。

「魔力があって魔法が使えることは、エミリオが教えてくれた。だったらあとは自分の努力次第だから。私がいたところではさ。学校にもランクがあって、それによって人を判断するみたいなところがあってね。みんな必死で勉強してた。私もいつになったら終わるんだろうって思いながらずーっとやってた。で社会に出て、仕事を始めて。それでも学ばなきゃいけないことはいっぱいあって。好きな仕事だったし、覚えるのも楽しかった。能力でお給金も違ったしね。でも「ひとり」だったの。今は違う。私「家族」をやっと持てた気がする。頑張れば頑張るだけ出来ることが増えるのは同じ。だけどそれを喜んでくれる人がいるってだけでこんなにも頑張れるって、私知らなかった。だから楽しいの。」

いつの間にか知らない間にできていた小さな花壇。それに向かって美桜が手を振る。

「開花せよ。『開花フロレゾン』。」

にょきっと芽が出たかと思うと、その花壇に一斉に花が咲き出した。百花の国プリヴェールの名のもと、この国はいつもどこかで花が開いている。王城にももっと大きな豪華な庭園はあった。けれど。今まで見た中で一番の花だ。とジャンルードは心の底から感動していた。

「できた! ねえ見て。花が咲いた! お母様に見せなくちゃ! また夕食のときにね!」
と手をひらひらさせて狼とともに走っていく彼女の後姿を見て、ジャンルードはまた手を伸ばしかけた。
側にいてほしい。もっと自分の傍らで笑っていてほしい。彼女さえいれば俺は。

兄が薔薇姫を迎えに行くときに言っていた言葉をふと思い出した。

『ジャン。僕は彼女の前でだけ本当の僕でいられるんだ。王太子でもなんでもない、ただの「クリス」でいられる。それは僕にとって何物にも代えがたい『唯一』なんだよ。』

あの時の晴れ晴れとした兄の顔。それが今なら心底わかる。
――良く解ります。今なら。何があっても彼女の側にいるのは俺でありたいと思う。唯一の花だからじゃない。彼女が彼女だから、俺は全力で彼女を自分の花に選んだ。

小さな花壇に咲きこぼれるたくさんの花々。それに向かってジャンルードは手を振り払う。自分の水が彼女の花を癒してやれるように。少しでも長く咲き続けていられるように。そして彼は夕食のための着替えに戻っていった。

 花壇に花を咲きほこらせた美桜を、やはりサーシャは涙目になりながらほめたたえ、抱きしめた。その誇らしさに美桜は心の底から嬉しかった。カイドも頭を撫でながら『うちの娘は世界一だ!』と叫び、抱きかかえてくるくると回ってくれた。子供じゃないんだから!と照れる美桜をメリアもジェームズもにこにこと見つめている。お祝いですぜ!とアーヴィンが夕食をとりわけ豪華に用意してくれた。

――あたし幸せだ。おばあちゃん。
死ぬまで自分を不憫がってくれた、祖母を思い出す。早くに亡くなった娘の忘れ形見を蔑ろにする自分の両親を許さず、最後まで我が身の心配をしてくれていた唯一の肉親。ここに落としてくれたのは祖母なのかもしれないとすら思う。怖かったし、辛かった。けれど、この幸せは何物にも代えがたい。エミリオやハリー、屋敷のみんなと楽しく食事をとりながら美桜はここにいる嬉しさをかみしめた。

「さて。仕事もそろそろ片付いた。代理で3週間は大丈夫だろうと思う。サーシャ。美桜。バクストンに行くぞ。」

カイドがそう告げたのは、食後のコーヒーを飲んでいるときだった。









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あのまま日本語で詠唱して魔法が使えるようになるプランもあったのですが。それもまた「美桜」ではない気がしました。努力して自分を確立してきた根性のある子です。
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