青蔦の若君と桜の落ち人

楡咲沙雨

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バクストンへの旅路

出立の朝

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 とても晴れたいい朝だ。今日も何事もなければいいが。
バクストン領の領都、バクストンの通称「黒鷲砦」と呼ばれている城で、バクストン前領主、ファルコニウスは目前に連なる山脈を眺めていた。齢70を迎え、普通ならば杖でもつきそうな齢であるのにもかかわらず、生粋の『バクストン』育ちであるのと同時に、魔法のみでも追随を許さぬ強さを誇る精悍な体躯と眼光の鋭さで未だ現役として前線にいる。

「あなた。コーヒーが冷めますわよ。」
振り向くと微笑む妻の姿があった。
「エレン。今日も何事もないといいがと願っておったよ。」
「あなたがいらっしゃるのに何かあるわけがございませんわ。」

ふふふっと微笑む妻に滅多に笑わぬファルコニウスも口端に笑みをのせる。その時だ。

――コンコンッ

窓をつつく魔伝バトバードがいる。カイドか。こんな早朝からどうしたというのだ。少し身構えて指先に止まらせると、息子の声で驚くべきことを告げられる。

『父上。バクストンの若鷹を無事保護した。今日そちらに出立する。として連れて行くので詳しい話は身内だけの時にしてやってくれ。それから、一人養女を持ったので紹介したい。父上にも力になってほしい。あいつの花なのだ。詳しいことは着いてから。では。』

言いたいだけ言って溶けていった魔伝バトバードに唖然とする。を保護した?それは・・・それではが我のもとにやってくると? 愛しい愛しい娘のたった一人の忘れ形見が。そして花を見つけたと。

ガチャンッ。

「エレン。聞いたか?」
「ええ。ええ。とうとう。とうとうなのですね。」
「あぁ。ようやくだ。」
口に両手を当て、涙をこらえる妻を抱き寄せる。

「マックスはもう起きているだろうな?」
そう声をかけると、控えていた執事が答える。
「はい。先ほど修練場へ。朝の鍛錬かと。」
「そうか。早く知らせてやらねばなるまいな。お前も初めて会うな。嬉しいことだ。お互い身罷るまえに逢わせてやれる。」
執事はギュッと手を握り締めて肩を震わせる。
「『御大』・・・まさか生きてお目にかかることが叶うとは・・・御前を失礼して準備に取り掛かりましてもよろしいでしょうか。」
「よい。ただ身分は伏せてくるそうだから、カイドを迎える準備という体でな。家族と近しいものの集まった時のみ存分に愛でてやってくれ。」
「はっ。かしこまりました。」

足早に去っていく執事を見送り、未だ涙をこぼしている妻を抱き寄せる。若鷹がやっとこの地へ舞い降りる。神よ。感謝いたします。

 ちょうど同じ時刻。ヴェルノウェイの屋敷の牛舎では、美桜がキャリーバッグを前にうーんうーんと唸っていた。ドレスやその他の衣類などはメリアやナディアが箱に詰めてくれている。問題は自分が持っていくものだ。『落ち人』と明かしていない以上、このままは持っていけない。

「火は使えるようになった。水も出せる。風も起こせる。土はもう少し。ならばそれ以外。もし何かあった場合。一人になった場合を考える。『備えよ常に』。。。」

こちらではほとんど履くことがないレギンスやパンツ。防寒素材の衣類。薄くたためるダウンコート。もちろん最初に屋敷に持っていったものたちは、そのまま入っている。薬も今回はすべて持っていく事にした。それらすべてをキャリーバッグとリュックサックに詰め、美桜は車に鍵をかけた。エンジンが上がってしまわないよう、一度かけたいのだけれど。帰ってきてからだな。

「ハティ。スコル。少しどいていて」
『『何をする? 美桜』』
最近少し大人になり始めた二匹は素直にこちら側へ戻ってくる。美桜は改めて車から離れると手を振りかざした。
「こればっかりはちょっとだけズルをする。まだ難しいからね。車を人から解らないように。『認識阻害』。」
居ない間に事情を知らないものに見つかっても困る。そのため美桜は日本語で唱えた。見る間にそこにあったものが解らなくなっていく。イメージをしっかりと言葉に載せたそれは触れてもわからない。
「あとは・・・『浮遊フロート』。よし。これでいいね。」
たくさんあった干し草を、一気に上まで移動させて振りかける。ここは使っていない牛舎だ。干し草が真ん中に山と積まれていても不思議ではない。

あとは鍵をかけて。それでおしまいだ。美桜は二匹を連れて屋敷前へと向かった。サーシャが冒険者の装いで使用人たちに指示を出している。美桜はまだサーシャのその姿を見たことがなかったのであまりの美しさに驚いた。銀の弓に緑を基調としたベストと白いシャツのコントラストが朝日に映えて美しい。
「母様。とってもきれい。」
「まぁ。美桜もとってもかわいいわよ?」

つなぎを着ると言った美桜に、メリアが「機能的過ぎて女らしさに欠ける」とストップをかけ、白いシャツに紺青のベスト。膝より少し短めの水色のスカートに黒のレギンスを合わせている。機動力重視にしてもらったのだ。

「おぉ。俺の妻も娘もなんて美しいんだ。俺は幸せだなぁ。」

そう言いながら馬車を動かしてきたカイドは、美桜が最初に逢った時と同じ格好をしている。それにしてもこの馬車だ。『バクストン家流』だという馬車。身分が高いものほど強いというバクストンでは、旅にメイドなど非戦闘員を連れて歩くことはしない。その為だという馬車は、木も使われてはいるものの、頑丈に鉄で補強され、何かあれば立てこもることも想定されている。窓もあるが鎧戸もついていていかめしい。しかも引くのはただの馬ではなく8本の脚を持つ最も優れた馬、スレイプニルだ。もうこれは「家」だ。と美桜は思った。中もクッションが置かれたソファとテーブルのある「個室」と荷物を載せる貨物室に分けられている。いかにも機能的だ。長さが普通の馬車の二倍ほどある以外は。
――貨物コンテナみたい。
美桜は想像しておかしくなった。
「何笑ってる?美桜。」
そういわれて振り返ると、そこには朝日に照らされるついぞあったこともないイケメンの姿があった。
エミリオとハリーがいつも以上に重装備をした状態で笑って立っていた。
――うぅぅぅ。これは眼福というか、改めてみると二人ともすごい美形だ。
「なんでもないよ。それにしても二人ともホントにかっこいいね。」
「なっ・・・!」
「ありがとう。美桜もかわいいよ。」
「エミリオ…残念…。」
いつも言われ慣れているだろうに、挙動不審に陥るエミリオにハリーと美桜は吹き出してしまう。
「いや・・・だって美桜からそういうこと言われるとなんか照れる。」
とまっすぐ見つめられて、美桜の心臓もぴょんと跳ねた。片手で顔の半分を覆ってため息をつきながらかすかに微笑んで照れている美形など。跳ねずに見ることが出来るか。否だ。
そうして二人が固まって見つめあっているのを、周囲は生暖かく見守るのだった。
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