青蔦の若君と桜の落ち人

楡咲沙雨

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バクストンへの旅路

賢者と参謀の邂逅

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ジャンルード達がバクストンへ向けて出発したころ。王都の貴族街の塀と大木で囲まれた屋敷の中で、毎日「義兄」の具合を確かめてはため息をつく者がいた。

「もう。。。早く目を覚ましてよ‥‥」

未だ目を覚まさない賢者の傍らに座り、賭け布団をべしべしと叩きながら、それでも心配そうにアリステアは呟いた。
3年前にろくでもない実家から切り離されて以来、変人だけれども慣れてしまえば本当に優しく芯の強いこの義兄が、アリステアはとても好きだった。

そんなアレンがジャンルードを『転移』させてからひと月以上。忙しいという理由で城への訪問をやんわりと止められている。クリスとこんなに逢わないのも3年ぶりだろうか。愛しい君へという文面で手紙も毎日届くし、仕事が落ち着くまでどうか待っていてほしいという贈り物も多々届いている。
それでも。

――逢わないでいられるなんて本物のクリスだったらあり得ないのよ…。
アリステアは知っている。自分がどれだけクリスから望まれたか。忙しさなら恐らく自分を婚約者の座につけた時のほうがよっぽど忙しかった。あの人は顔を見る一瞬、抱きしめる一瞬の為なら寝食すらも削る。

自分が王太子の『唯一』であると知らされたのは学院での最後の年だった。何度も言うが本当にろくでもない実家で、卒業したら兄の借金のかたで40も上の商人の後妻にいかされることが決まっていたほどだ。誰も助けてくれなかったし、頼れなくて世を恨んだ酷い顔だったに違いない。そんな私にあれだけ尽くしてくれた人が手紙と贈り物で会いに来ない? 弟の事をあんなに愛していた人が疑いもせずに糾弾し逃亡後も探していない?
そんな馬鹿な。と彼女は手を固く握りしめる。ありえない。

現在の王城はジャンルードが居ないことを除けば何もかもが正常に回っており、それに誰も疑問を感じていない。
アレンは倒れる間際、『ものすごく干渉されてるから魔法が不安定だ』と言っていた。一体だれが?

「アリス。すまない。我々も調査しているが未だにつかめないのだよ。一体何のために・・・。」
「恥ずかしいわ。賢者の名門といわれているのに、娘の悲しみすら取り払えないなんて。」
「いいのです。お父様。お母様。敵の目的がつかめない以上、仕方がない事なのです。」

現在の両親である、当代ミドルガルト侯爵夫妻も異常は感じているものの、今の歪な正常に王族が異論を唱えないので表立って声を上げることができず、秘密裏に調査を開始したと言っていた。そして王城全体に何かしらの力が働いており、王族を曲がりなりにも「人質」として取られているような状況下で動けずにいる。

何もできないまま、昏々と眠り続ける義兄の回復を願うことしかアリステアにはできていないのだ。
悔しい。自分に何もできないのが。力がないのが。

「おやおや。あれだけ私に『クリスは私の唯一なんだから!』と啖呵を切っておきながら、あなたは何をしているのです?」

ハッとして振り返ると、先触れしようとしていたい侍女を押しのけて長身で細身の男が入ってきた。
慌てている侍女にアリステアは声をかける。

「ジェーン。いいのよこの人は。お茶を用意してくれる? フェル、ごめんなさい。あなたのクリスを守れなかったわ。」

白夜の国ヴィンタリオからはダリオトール最北端の港まで流氷漂う荒海を2週間。そのあと王都までは馬車でさらに2週間。どれだけ急いでくれたのだろう。少し疲れたように埃まみれのコートを脱ぎながら、第一王子付筆頭秘書官、フェルデン・フォン・ファブレは優雅に近くの椅子に腰かけた。銀髪を長めに伸ばし、黒と言ってもいいくらい深い紫の瞳を持った優しい中性的な美貌は、美と心根を愛でられ治癒の加護を持つ神殿の神官と言っても十分通るだろう。現にお茶を給仕する侍女たちが見惚れて動作が覚束ないくらいなのだ。しかし、柔和な微笑を絶やさないが、この男の眼鏡の奥の瞳は滅多なことでは笑わない。それでもクリスに対する忠誠心は本物だ。

「いいのですよ。今回の事は私も想定外でした。アレンもそれなりに頑張ったようですしね。しかし事前に少し情報を精査しましたが、敵はだいぶ捨て身のようですね。」
「捨て身?」
「えぇ。こんなこと私ならしません。未来が全くない。なりふり構わずといったところでしょうか。神官長を殺害とは直情的過ぎますし。アリスには刺激が強いでしょうが、神官長は何度か浅い切り傷を付けられ、その後殺害。何かを聞き出したかったのでしょうか。しかもわざわざ『氷』で。確かに氷であれば、あの神殿は王族以外入れないとされているのでジャンルード様に目が行くのも当然。しかし、ジャンルード様には理由がない。そしてそんなことに気づかないクリス様ではない!」

珍しく声を荒げるフェルにアリステアは驚いた。

「珍しい。怒っているのが目に見えるなんて。」
「当然です。私のクリス様に害をなすものなど、私が許すはずありません。今もなお何者かによってクリス様は囚われているも同然。私が登城を「疲れているだろうから呼ぶまで休んでいて良い」などという言伝で断られるなど!」
「えっ。。。フェルもダメだったの? もう登城しようとしたのね。」
「当たり前でしょう?私にとってはアレンの状態よりもクリス様の安否の方が重要です。」

メガネをくいっとあげながら、さも当然という風にフェルは言い切った。それは変わらない日常に戻ったようで、アリステアを微笑ませるのに十分だった。

「ありがとうクリス。早く帰ってきてくれて。」

「いいえ。あなたも大変でしたね。さて。まずは何を敵が知りたがっていたのか考えましょう。それには不本意ですがこいつの力が必要です。」

フェルは薄く親しい者しか知らない笑顔を見せるとアレンが眠るベッド脇へと歩いた。

「いい加減起きなさい。私が帰ってきたのは解っているでしょう? 『サンダーボルト』。」

小さくそうフェルが呟くと、小さな雷の矢が現れ、そのままアレンの胸に音もなく突き刺さった。

「ちょっとフェル!!! いくらなんでも!」

アリステアが慌てると、フェルは何でもないように笑った。

「アリス。こいつは私が帰ってくるまで自分を仮死状態にしてたんですよ。私が必ず帰ってくればこうするだろうとふんでね。ほら。目を覚ました。」

見ればアレンが薄く目を開けて苦笑いを浮かべるところだった。

「お帰り。フェル。やっぱり叩き起こされたか。君に怒られるかと思うとずっと寝ていたかったんだけどな。」
「魔力は戻りましたか。あなたにしては無茶をして頑張りましたね。」
「なんとかね。結構血は吐いたけどジャンは無事だよ。ハリスも同行してるはずだ。あちらはバクストンがつくだろうから問題ない。後で魔伝バトバードは飛ばすけどね。問題はクリスだよ。あれほど僕の魔法に干渉できるのは、僕が知る限り何人もいない。そいつが僕らを王城から遠ざけているんだ。」
「・・・魔導士ですか。」
「正解。だけど理由が解らない。そういうことは君の分野だ。帰ってきてくれてうれしいよ。フェル。」
「ふん。全くおちおち留学もできないなんて。困ったものですね、あなたたちには。」

いつも通りの言い合いを眺めながら、アリステアは不安な気持ちが消えているのを感じた。
この二人とジャンが帰ってくれば、クリスだってきっとなんとかなる。
冷えた紅茶を淹れなおしつつ、いまだ逢えない『唯一』のことを思った。
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