青蔦の若君と桜の落ち人

楡咲沙雨

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バクストンへの旅路

その震える心を掴みたい 後編

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「美桜。美桜はもう紋章をまなんだか?」

焚火を見つめながら、真剣な声で聞いてくるジャンルードに少しいぶかりながら、美桜は頷いた。

「紋章? 男と女の紋章と花の話? お母様に聞いてる。たった一人を探してくれるって。いいよね。運命の人がそんなふうに形に出て現れるって。」
【聖樹の紋章】エンブリオ・ヴェルディーレだ。運命の女が現れた時、男はその者の花が手の紋章に顕現する。【色付き】カラーズだったらたった一人しかいない。だから旅に出たりして必死で探す。美桜。俺の花を見てくれないか。」
「え。簡単には見せないって皆言ってたよ。」
「あぁ。決まった者、見つけたもの以外は手袋で隠すんだ。だが俺は見つけている。」

――ドクン。

美桜はその「見つけている」という言葉に心をぎゅっと掴まれたような気がした。痛い。この人にももう運命の人がいる。その事実がなぜかとても悲しい。何も言えずに、手袋をすっとはずしこちらに伸ばされた手を見ることが出来なかった。

「美桜? 大丈夫だ。見てくれないか。」

――何が大丈夫だ、なんであんたの運命を私が確認しなきゃならないのよ!

と頭の中で毒づきながら、美桜は差し伸べられた手を渋々見た。そこには今や見慣れた自分の胸と同じ文様が刻まれている。

「え・・・っ。これって桜・・・? でもこっちにはないはずじゃ・・・・。」

ジャンルードはゆっくりと美桜の手を取ると、まっすぐに見つめた。

「雷のあの夜、俺は手に文様が現れて倒れた。俺の母方の男はね、代々【色付き】カラーズが出ることが多い。色を付けた花を手に宿すには、自分の体力と魔力を引っ張られるのだそうだ。それで倒れた。で気づいたとき、この世界にはないはずの花が俺の手に咲いていた。人に雷の夜現れた見知らぬ花は、『落ち人』が運命なのだと教えられた。」
「それって・・・それってまさか・・・。」
「そうだ。俺は『落ち人』の自分の唯一を探しに冒険者になった。美桜と初めて会った時、なぜか心惹かれた。また逢えたらいいと。そうして領主邸であえた。今、美桜が『落ち人』だと話してくれたから、見せることが出来る。今すぐじゃなくていい。俺を見て信じて愛してくれないか。今すぐこの文様に惹かれるこの世界のことわりを理解しろとは言わない。俺を唯一だと思えるようになったなら。その時教えてくれ。俺は今まで通り側にいられれば十分だから。」

――待って。待って。私の片割れがこの人? キラキラしたイケメンの、中身だけで考えれば年下のこの人が?私のことを愛してると? あ、無理もう無理・・・・!!!

「えっと・・・とりあえずもう夜も遅いから寝るね! お・・おやすみっ!」
「え・・・っ美桜? どうした送っていくか?」
「いや。いいからっ・・・えっと・・・ま・・・またねっ。」

手を振り払って、真っ赤になって走り去っていく美桜の後を、スコルが追っていく。ジャンルードも慌てて立ち上がるが、ふうっと息を吐くとまた座り込んだ。

「話してくれたから、話そうと思ったんだけど・・・早すぎたか?それとも・・・俺のことは気に入らないとか…? 俺の出自についても話さなければならなかったのに・・・。はぁ・・・厄介だな・・・。って。えっと青い目だからハティか? お前はいかなくていいのか?」

気づけば、ハティが自分の前で尻尾を振っている。近づいてくるとふんふんとジャンルードの匂いを嗅ぎ、一声遠吠えを上げた。

『ウォーーーン』

静まり返った泉を越え、森の隅々にまで伝わっていくかのような遠吠え。何をと訝しがるジャンルードの耳に、かすかに遠くからそれに応えるかのように違う遠吠えが届いた。唖然としていると、泉の反対側の森から黒に近い銀の毛並みのハティと同じくらいのアルジェントウルフが現れ、見る間にジャンルードの前に走ってくると、真っ直ぐに見つめながら座った。

「ハティ? このアルジェントウルフは一体・・・? 」

二頭はふんふんとお互いの匂いを嗅ぎあうと、泉に向かった。そして片足を浸し、小さく遠吠えを上げる。いったい何を。と片時も目を離せず見守ると、急に泉の湖面に光が浮かび上がり、見る間に水が盛り上がると美しい女性の形をとった。

「馬鹿な・・・・! 精霊か? 」

泉の中央から少しずつ近づいてきた見たこともないほど美しい、様々な青を纏った金色の髪に青の瞳の精霊はくすっと笑った。

「初めまして。私の愛し子。水の加護を強く持つ王子。私は水の精霊ウンディーネ。私のことは知っているわね?」

知らないわけがない。4大精霊の加護を受ける火、水、土、風の加護持ちは、精霊に愛されたものとして幼少時から学ぶのだ。どれだけ愛されたかによって、魔法の純度が違う。確かに自分は愛されていると評されてきた。それでも精霊が本当に自分の前に現れるとは思っても見なかったのだ。

「・・・お初にお目にかかります。プリヴェール第二王子、ジャンルード・エミリオ・フレイヴァル・プリヴェールです。ウンディーネ様にはご機嫌麗しく。御逢いできるとは思っても見ませんでした。」

慌てて立ち上がり、最大級の礼を取ると、ウンディーネは笑った。

「『様』はいらないわ。愛し子。あなたの魔力は本当に真っ青に澄んだ水のよう。これまで努力してきていたことも知っているわ。私たち4大精霊は本来、姿を見せぬもの。ただし、対の水の眷属が願い、己の水の眷属が願った時、私たちは姿を見せ、加護を与えることが出来る。最近は眷属を持つものも少ないから、滅多に現れることはできないのだけれど。まずは、自分の眷属に名前を与えなさいな。」

「俺の眷属? まさか・・・。お前か? いいのか?」

パタンと尻尾を振る黒銀の狼に向かってそう訊ねると、するりとジャンルードの足元にすり寄った。
「じゃあ・・・嵐の夜俺は運命を知った。今後俺の眷属となってくれるのなら。『オラージュ』。」

次の瞬間、狼の周りが青く光り輝き、ブルブルっと体を震わせるとジャンルードの前に座った。

『主。水の加護を持つ、誇り高きアルジェントウルフ。眷属としてもらい感謝する。』
『よかった。美桜の番だから、ちゃんと花を見せて、思いを伝えられたら、この子を呼ぼうと決めていたの。私は美桜の水の加護を持つ眷属。ハティ。』

「声が・・・。吠えているのではなく会話していたのか。そうか。オラージュ。不甲斐ない主だが努力する。仲良くしてくれ。」
『主を持てたのは幸せなのだ。必ずお守りする。』
オラージュはジャンルードの足元にすり寄り、傍らに座った。

「よかったわね。眷属を持つのは本当に珍しいこと。皆持てるのだけれど、忘れてしまっているのね。さて。時間もないから、私からはこの子を。おいで『アヴェルス豪雨』。」

見る間に泉から真っ白な体躯をした立派な馬が現れた。そのまま水面を駆けてくると、ジャンルードに鼻先をこすりつける。

「この子もまた水の眷属。あなたを守り、駆けるもの。愛し子。あなたはこれから困難に立ち向かわなければならない。必ず唯一の花を守りなさい。あなただけの運命を。いつも見守っているわ。可愛い愛し子。いつかまたね。」

そう言うとウンディーネはまた泉へ姿を消した。辺りはまた静まり返り、桜の花がひらひらと散っている。見ると手袋を外したままの手の【聖樹の紋章】エンブリオ・ヴェルディーレにさらに青い蔦の文様が絡みついている。これは・・・。

『主。それはウンディーネ様の加護。今の主ならば今まで使えなかった水の魔法全てが使用できる。そして水は思い通りに主の望みに従う。思うだけで。』
『あなたは美桜の大事な人。だから加護を願った。けれど、美桜を大事にしないと噛み殺すわよ。いいわね?』

よろりとくずおれると、ジャンルードは心の底から笑いが込み上げてきた。自分にここまでの加護がつくとは。確かに水の適性が強く、それに向かって精進はしてきたが。眷属に精霊の愛し子とは。試しに右手を振ると、即座に焚火の火は泉から飛んできた水によって消し止められた。威力が違う。そして今までとは違う。既に存在している水すらも扱えるなど。

「ハティ。必ず美桜を幸せにし、大事に守る。オラージュ。俺の元に来てくれてありがとう。じゃあ行こうか。ハリスにお前を紹介せねばな。アヴェルス。これからよろしく頼む。」

馬の群れに交じっていくアヴェルスに別れを告げ、宵闇に白く浮かび上がる桜の花を見上げ、歩き出す。またどこかでこの花を見せてもらおう。そう思いながら。

見張りの交替で起き出してきていたハリスとカイドは、持っていたマグを取り落とすほど動揺した。ジャンルードが左にハティ、右に新しい黒銀の狼を連れてこちらへ向かって歩いてくるのが見えたからだ。

「エ…エミリオ。つかぬことを聞くがそれは?」
「ハリー、カイド様。俺の友となってくれたアルジェントウルフだ。オラージュ。こちらがカイド様。俺の片割れの父上だ。そしてこっちがハリー。ハリスだ。俺の親友だ。」

オラージュは足元でちょこんと座り、パタンと尻尾を振った。ジャンルードはつい今まで起こった出来事を二人に話すと、二人は額に手を当てて同じようにため息をついた。

「唯一の眷属と自分の眷属が願えば4大精霊の加護が得られるとは・・・。美桜が水を扱えるのはハティが水の眷属だからか。そして勢い余って告白したぁ? お前・・・勢いつくにしても程度があるだろ。」
「『落ち人』だと自分で明かしてくれたので、ここで言わなきゃいつ言えるんだ。ってなってしまって・・・。」
「それをハティが認めて、新しく水の眷属を呼んでくれ、二頭で精霊を呼び出してくれたと。そういうことか。」
「えぇ。これを見てください。」

そう言うとジャンルードは、3本目の青蔦が紋章を彩っている右手を差し出した。

「明日にはバクストンにつく。それは家族会議案件だな。それからエミリオ。よくやった。あとは追い込んで大事に大事に愛していくだけだ。心配するな。今まで通りにしていればいい。サーシャも身分を気にしてずいぶんと逃げ回ったが、好いてくれているのは解っていた。美桜もいつか知る。自分の運命がここにあることを。よくやってくれた。」
「えぇ。伯父上。必ず大事にします。」

これ以上もなく晴れやかな笑顔で笑う甥の姿を見て、カイドはまた神と精霊に感謝した。今まで辛いことも寂しいこともあっただろう、この甥に唯一を与えてくださったことを。

夜も明け、早々と食事の支度に起き出したサーシャは、隣でスコルに抱き着いて悶えている娘に気付いた。

「何やってるの美桜? そんな顔してジタバタと。エミリオに何か言われた?」
「えっ・・かっ…母様? 別に何も言われてないですっ。それになんでエミリオって!」
「だってあなたたち、傍から見たら好きなもの同士だもの。そう。あなたの片割れはエミリオなのね。『落ち人』だと言えたのでしょう?」
「なんでそれをっ!」
「それが言えるということは、あなたがエミリオを信頼して、大丈夫だと思ったということ。手袋を外してくれたのね。良かったわね。」
「でも・・・。でも好きだと言われても、まだ私にはわかりません。怖いんです。自分の気持ちもわからない。。。恋人と別れてまだ3ヵ月もたっていないのに。」
「いいのよ。今まで通りで。言ったでしょう? ゆっくり待っていればいいって。いつか美桜にもわかるわ。」

サーシャに優しく撫でられ、少し落ち着いた美桜は顔を上げる。ゆっくりでいい。確かにエミリオもそう言っていた。いつか好きだと思えたら、言ってくれたらうれしいと。今まで通り。いつかこの胸のざわざわにも名前が付けられる。そう思えば少し笑うことが出来た。

「さあ。朝食の準備をしましょう。今日はもうバクストンにつくわ。おじいさまたちがお待ちよ。きっと美桜の可愛さにメロメロね。」
「はい。お母様。」

美桜は立ち上がると、身支度を整え、サーシャと共に馬車を降りてかまどへと向かった。簡単な朝食を済ませると、片づけて出立の準備が始まる。

「美桜。」

振り返ると昨夜、手を振り払った優しい人が笑っていた。

「お・・・おはよう。エミリオ。あの、私ね、あの・・・。」
「気にしなくていい。俺は待っているし、ずっと側にいる。普段通りにしてくれ。あとこいつを紹介したくて。あの後ハティが呼んでくれた。俺の眷属だ。」
「えぇぇぇ!?」

『主の番とお見受けする。オラージュという。今後よろしくお願いする。』

黒銀の狼が、エミリオの足元で尻尾をパタパタとさせていた。うっとりするほど綺麗だ。しかし・・番って!!!
「よろしくね。オラージュ。美桜というの。ハティ! こんな事先に私に言ってよ!」
『私たち言ってたわよ? この人が美桜のイノシシだって。美桜にとって大事な人だって。』
『うむ。俺とハティはずっと言っていたぞ。これが美桜の片割れだと。』
「言ってないし、イノシシじゃわからないからぁあぁぁ!」

「すごいな。スコルもハティもこんなにしゃべっていたのか。オラージュ共々よろしく頼む。」
『うむ。火の加護もつけたいのだが、お前を好む火の眷属がどこかにいればいいな。』
「いやいや・・・水の加護だけでもありがたいのに。火の加護など・・。」
『いらないのか? 火は嫌いか? 美桜、お前の片割れは俺を嫌いだと言っているぞ。』
「ちょっと待て。そんなことは一言も言ってないだろう!」
「ぷっ・・・あははははは。」

足元でウーウーと唸るスコルに慌てているエミリオを見て美桜は笑いが止まらなくなった。自然のまま流れるまま。心が決まるまで。この人はきっと待ってくれる。

「エミリオ。今後ともよろしくね。」
「あぁ。笑っていてくれ。それで十分だ。」

輝かんばかりの笑顔でこちらを見つめる優しい瞳に、どくんどくんと心はやっぱり跳ねる。
イケメンはやっぱり目の毒だ。
火照る頬に手を当てて、美桜ははぁっとため息をつくのだった。




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ハティは美桜が大好きで。だから美桜が大事に思うであろうジャンルードに最大の加護をつけようとします。火の加護を持つ眷属がジャンルードを好む日は来るのか。こうご期待。
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