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第1章
第4話 契約
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豪奢な絨毯が敷かれた公爵邸の執務室。
招かれた私を待っていたレオンハルト様は、机の上に一枚の古びた羊皮紙を置いていた。それは、ハイゼスト王国で私を縛り付けていた三千万ゴールドの借用書だった。
「……レオンハルト様、これは」
「約束通り、ハイゼストには全額支払った。これでお前を縛るものは、あの国にはもう何もない」
彼は淡々と言い、私の目の前でその羊皮紙を指先から発する魔力の炎で焼き捨てた。
父が遺し、私の人生を塗り潰していた絶望の象徴が、一瞬で灰へと変わる。
「あ……」
声が震えた。肩の荷が下りたというには、あまりにも巨大な衝撃だった。
自由。その二文字が、ようやく現実味を帯びて私の胸に突き刺さる。
「借金は完済された。お前はもう、私の所有物ではない。……どこへ行くのも、お前の自由だ。ハイゼストへ戻りたければ、馬車を用意させよう」
レオンハルト様の琥珀色の瞳が、真っ直ぐに私を捉える。
その言葉に、私は息が止まりそうになった。ハイゼスト――あの冷酷な王子と、私を無能と罵った人々がいる場所。戻りたいはずなど、万に一つもない。
「……嫌、です。戻りたくありません」
絞り出した声に、レオンハルト様の口角がわずかに上がったように見えた。彼は椅子から立ち上がり、私の前まで歩み寄ると、その大きな手で私の頬を包み込んだ。
「ならば、新しい契約を結ばないか。フィオナ」
「契約……ですか?」
「ああ。借金のカタとしてではなく、私の『妻』として、この国に留まってほしい。期限も設けない。一生、私の隣でお前を慈しむ権利を、私に売ってくれないか」
それは、身売りを強要された夜会の夜よりも、ずっと強く私の心を震わせた。
三千万ゴールドで買われた「無能」の私に、この死神公爵は愛を捧げると言うのか。
「私など……本当によろしいのですか? 私は、地味で、可愛げもなくて……」
「お前は、この世界で唯一、私の呪いを癒やす光だ。地味? 笑わせるな。磨き上げた今の貴様を見れば、ハイゼストの奴らは血の涙を流して後悔するだろうな」
彼の指先が、私の唇をそっとなぞる。
その時だった。執務室の扉が激しくノックされ、執事の声が響いた。
「旦那様、失礼いたします。ハイゼスト王国より、カイル王子の親書を携えた使者が到着しております。『至急、フィオナ・ローゼライトを返せ』と、玄関先で騒いでおりまして……」
空気が一瞬で凍りついた。レオンハルト様の瞳から温度が消え、戦場を支配する「死神」の眼光が戻る。
「……ハイゼストの使者だと?」
レオンハルト様は私を背後に隠すように引き寄せると、冷たく言い放った。
「通せ。……我が『婚約者』に対し、どのような不敬な言葉を吐きに来たのか、直接聞いてやろう」
執務室に現れたのは、ハイゼストの若手貴族だった。以前、私を「王国の寄生虫」と嘲笑っていた男だ。彼は豪華な調度品に圧倒されながらも、私を見つけるなり傲慢に叫んだ。
「フィオナ! こんなところにいたのか! 殿下が寛大にもお前の借金を『免除』してくださるそうだ! 結界が不安定で国が混乱している。今すぐ戻って仕事をしろ。これこそ、お前の望んでいた慈悲だろう?」
私は、その言葉のあまりの厚かましさに、怒りすら通り越して呆然としてしまった。
私を売り払った時には「不要だ」と言い切り、国が傾いた途端に「慈悲だ」と称して呼び戻す。どこまで私を、人間ではなく「道具」だと思っているのか。
「慈悲、ですか。……申し訳ありませんが、そのお話はお断りいたします」
私が凛として言い放つと、男の顔が驚愕に染まった。
「何を……! 三千万ゴールドだぞ!? 一生かかっても返せない額をチャラにしてやると言っているんだ!」
「その三千万ゴールドなら、レオン様が初日に一括で支払われました。私はもう、貴国に一銭の借りもありません」
隣で、レオンハルト様が男を射殺さんばかりの視線で見据えている。
「聞いたか、ハイゼストの小役人。私の婚約者は、塵のような小国へ戻る気はないと言っている。……命が惜しければ、カイル王子に伝えておけ。『売った心臓を返せと泣きつくのは、死に際の間抜けだけだ』とな」
男は腰を抜かし、這々の体で執務室から逃げ出していった。
静寂が戻る。レオンハルト様は私に向き直ると、先ほどまでの冷徹さが嘘のような、温かな眼差しを向けた。
「よく言った。フィオナ。……さあ、邪魔者が消えたところで、契約の続きをしようか」
彼は跪き、私の左手を取って指先に口づけを落とした。
ハイゼスト王国が崩壊の序曲を奏でる一方で、私の新しい人生が、今、鮮やかに色づき始めていた。
招かれた私を待っていたレオンハルト様は、机の上に一枚の古びた羊皮紙を置いていた。それは、ハイゼスト王国で私を縛り付けていた三千万ゴールドの借用書だった。
「……レオンハルト様、これは」
「約束通り、ハイゼストには全額支払った。これでお前を縛るものは、あの国にはもう何もない」
彼は淡々と言い、私の目の前でその羊皮紙を指先から発する魔力の炎で焼き捨てた。
父が遺し、私の人生を塗り潰していた絶望の象徴が、一瞬で灰へと変わる。
「あ……」
声が震えた。肩の荷が下りたというには、あまりにも巨大な衝撃だった。
自由。その二文字が、ようやく現実味を帯びて私の胸に突き刺さる。
「借金は完済された。お前はもう、私の所有物ではない。……どこへ行くのも、お前の自由だ。ハイゼストへ戻りたければ、馬車を用意させよう」
レオンハルト様の琥珀色の瞳が、真っ直ぐに私を捉える。
その言葉に、私は息が止まりそうになった。ハイゼスト――あの冷酷な王子と、私を無能と罵った人々がいる場所。戻りたいはずなど、万に一つもない。
「……嫌、です。戻りたくありません」
絞り出した声に、レオンハルト様の口角がわずかに上がったように見えた。彼は椅子から立ち上がり、私の前まで歩み寄ると、その大きな手で私の頬を包み込んだ。
「ならば、新しい契約を結ばないか。フィオナ」
「契約……ですか?」
「ああ。借金のカタとしてではなく、私の『妻』として、この国に留まってほしい。期限も設けない。一生、私の隣でお前を慈しむ権利を、私に売ってくれないか」
それは、身売りを強要された夜会の夜よりも、ずっと強く私の心を震わせた。
三千万ゴールドで買われた「無能」の私に、この死神公爵は愛を捧げると言うのか。
「私など……本当によろしいのですか? 私は、地味で、可愛げもなくて……」
「お前は、この世界で唯一、私の呪いを癒やす光だ。地味? 笑わせるな。磨き上げた今の貴様を見れば、ハイゼストの奴らは血の涙を流して後悔するだろうな」
彼の指先が、私の唇をそっとなぞる。
その時だった。執務室の扉が激しくノックされ、執事の声が響いた。
「旦那様、失礼いたします。ハイゼスト王国より、カイル王子の親書を携えた使者が到着しております。『至急、フィオナ・ローゼライトを返せ』と、玄関先で騒いでおりまして……」
空気が一瞬で凍りついた。レオンハルト様の瞳から温度が消え、戦場を支配する「死神」の眼光が戻る。
「……ハイゼストの使者だと?」
レオンハルト様は私を背後に隠すように引き寄せると、冷たく言い放った。
「通せ。……我が『婚約者』に対し、どのような不敬な言葉を吐きに来たのか、直接聞いてやろう」
執務室に現れたのは、ハイゼストの若手貴族だった。以前、私を「王国の寄生虫」と嘲笑っていた男だ。彼は豪華な調度品に圧倒されながらも、私を見つけるなり傲慢に叫んだ。
「フィオナ! こんなところにいたのか! 殿下が寛大にもお前の借金を『免除』してくださるそうだ! 結界が不安定で国が混乱している。今すぐ戻って仕事をしろ。これこそ、お前の望んでいた慈悲だろう?」
私は、その言葉のあまりの厚かましさに、怒りすら通り越して呆然としてしまった。
私を売り払った時には「不要だ」と言い切り、国が傾いた途端に「慈悲だ」と称して呼び戻す。どこまで私を、人間ではなく「道具」だと思っているのか。
「慈悲、ですか。……申し訳ありませんが、そのお話はお断りいたします」
私が凛として言い放つと、男の顔が驚愕に染まった。
「何を……! 三千万ゴールドだぞ!? 一生かかっても返せない額をチャラにしてやると言っているんだ!」
「その三千万ゴールドなら、レオン様が初日に一括で支払われました。私はもう、貴国に一銭の借りもありません」
隣で、レオンハルト様が男を射殺さんばかりの視線で見据えている。
「聞いたか、ハイゼストの小役人。私の婚約者は、塵のような小国へ戻る気はないと言っている。……命が惜しければ、カイル王子に伝えておけ。『売った心臓を返せと泣きつくのは、死に際の間抜けだけだ』とな」
男は腰を抜かし、這々の体で執務室から逃げ出していった。
静寂が戻る。レオンハルト様は私に向き直ると、先ほどまでの冷徹さが嘘のような、温かな眼差しを向けた。
「よく言った。フィオナ。……さあ、邪魔者が消えたところで、契約の続きをしようか」
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