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08 アンドレ・ヘルグレーンという男。
ヘルグレーン公爵家嫡男、アンドレ・ヘルグレーン。
艶のある黒髪を短めでうなじ程の長さに整え、強い意志を感じさせるキリッとした眉、一見冷たく見える切れ長のシルバーグレーの瞳、一見女性的に見える細く通った鼻筋と少し厚めの唇。
公爵家嫡男であり、美貌も持ち得るアンドレは貴族令嬢の羨望の的だった。
そんな男だから、貴族子息からの妬みもチラホラとあるが、しかしアンドレ自身が身分に拘らず気さくな性格の為、本人と接した事がある者は皆好感を覚えた。
アンドレには婚約者はいない。
高位貴族の中でも有力貴族であるヘルグレーン公爵家だ。
政略結婚が多い貴族は、物心ついた頃の幼い時から婚約者を決め、成人後の婚姻までの期間を使って信頼関係を築く。
しかし、アンドレの年は有力貴族の貴族令嬢が多く、まして公爵家。
王家の様に婚約者候補を立て、その中で一番素晴らしい令嬢を見極め、それから婚約者を決めても遅くはない。
と、公爵婦人の鶴の一声で決まったそうだ。
公爵夫人は夫を強い眼差しで見つめながら話した。
「貴族男性は強かな女性の手練手管に引っ掛かり易いわ。一見して可憐な花が毒花だと気付かないの。何人もの候補の中から、己こそはと奮起する者、相手の足を引っ張る者、自分の考えがない者。それを見極めるのよ。公爵夫人は、善人でも務まらない。悪女は論外、真意を悟られないのは貴族令嬢として当然の中、俯瞰をする目を持つのは中々いないわ。その目を持ち、清濁併せ呑む事が出来る人でなければ。・・・まぁ、まだ小娘にはそこまで求めてないわ。だから、私は候補を立てる事を譲らないわよ。」
公爵夫人の言う事は尤もである。‥が、一人選び、きっちりと育てればいいのではないか?と頭をかすめなかった訳ではない。・・・しかし夫人の気迫に是しか受け付けていないのが分かった。
迷わず是といった。公爵は冒険はしない性質だ。
アンドレは言われるがまま、週に一回、互いを知る為に一対一で交流する為にお茶をした。
美しく装って楚々と笑う令嬢を相手にするより、剣を振るいたい少年だった。
令嬢の話す「今王都で流行りの」で始まるドレスや宝石、甘いお菓子などの話を右から左へと流しつつ聞きながら、
(女性とは皆同じ物に興味を持ち、物で満たされていれば否やは無いという生き物なのだな)
別の世界から来た人種の様に感じた。
十歳で候補を立てられてから二年が経過し、侯爵家の一人と、伯爵家一人、子爵家二人が脱落した。
侯爵家は別の婚約者を見つけ、そちらと縁を結ぶ為の事態であったが。
伯爵家は足を引っ張るタイプであった。
子爵家は一人が違法な商売に手を出し脱落、もう一人は病気での脱落であった。
十三歳になる頃、侯爵家の令嬢と伯爵家の令嬢二人のうち、伯爵家の令嬢に親しみを感じる様になった。
いつも笑顔で話し上手な彼女は公爵家嫡男のアンドレに臆することもなかった為、気さくな性格ではあるが根が真面目なアンドレは気楽に接する事が出来た。
アンドレの気持ちが傾くにつれ、伯爵令嬢が婚約者候補筆頭と周りから言われるようになった。
公爵家はそんな話はしていない。
後に判明したが伯爵家がアンドレの態度を見て、外堀を埋めるべく噂を流した事が判明した。
伯爵家の外堀を埋める行動に、アンドレの両親は不快に思ったが、アンドレ自身が満更でもない為強く出なかった。
アンドレからすれば、もう一人の侯爵家令嬢は気位が高く、身分問わず気さくなアンドレに顔を顰めて、苦言するタイプだった。
婚姻を結んだらこんな日々が待ってるかもしれないと思うと、この令嬢では無理だと感じてしまった。
母はアンドレに「伯爵か侯爵で言ったら、侯爵令嬢の方が恐らくまだ何とかなるわ。」と言った。
母は見る目がないのかと思い「あんな高慢な方が?」と言ってしまった。
「身分に拘り過ぎるのは矯正過ぎればいいわ、まだ。表立って嫌な態度は取らない様にはなるでしょう。でも、貴方に苦言を呈する事が出来るのはいい事よ。貴方が選択を間違えそうになった時、ちゃんと言える伴侶でなければ。全部に是と言われては誰が貴方を諌め一緒に悩み共に歩くの?」
と、一見尤もらしい事を言われたが、アンドレは「あの令嬢が?」としか思えなかった。
母は更に言った「伯爵令嬢の方はダメよ?跡継ぎを産んでから愛人どころか、恐らく婚姻前ですら・・・の子ね。貴方、お茶だけしてないで、ちゃんと身辺調査の書類にも目を通しなさいな。」
真面目一辺倒は悪くないけど、柔軟さがないわ・・。一人の意見で全部知った気になるタイプね。
息子の教育を少しばかり見直さなければならないと思った夫人である。
母の話を聞いて、伯爵令嬢も今までの様に素直に何でも受け止めていたが、穿った目で見てしまって、前ほど親しみを持てなくなってしまった。
伯爵令嬢に傾いていた興味は、結局うやむやになるうちに、更に三年が経過した。
アンドレも二人の令嬢も十六歳。
十八歳の成人までに婚約していない令嬢の方が少なくなってくる年齡だ。
侯爵令嬢は隣国との同盟強化の為、隣国の公爵家との縁続きを王家が望み、そちらへ輿入れすることになってしまった。
初めは、侯爵家筆頭の家の十四才の令嬢が候補に上がったらしい。
が、隣国の相手はアンドレの候補の令嬢になった。
侯爵令嬢が強く望んだらしい。
そして、筆頭扱いをされていた伯爵令嬢が婚約者へ決定という直前。
わざわざ根回しで噂を撒き散らしたにも関わらず、伯爵令嬢が突然候補を辞退し、他の男と婚約を結ぶという。
その婚姻も半年待たずにするとのことで、噂では「子供がもういるのか・・・?」と皆勘繰られていた。
恐らく、アンドレの候補の時から関係があったのだろう、という事だった。
令嬢で性的な事にだらしがない烙印を押されたのだ。
婚約を結んだ相手も凄いなと思った。
婚約をしていない令嬢とそういう関係を結ぶくらい不誠実であれば、妊娠しなければ責任など取らなかったに違いない。
純潔を求める貴族、まして公爵家嫡男のアンドレは、他の男が手篭めにした令嬢を妻にするところであったのだ。
候補だとはいえ、婚約直前であった伯爵令嬢、公爵家を舐めすぎである。
大きな賠償問題に発展しても良さそうであったが、公爵家は伯爵家に何も要求する事はなかった。
公爵家の面子など些末な事だと思える悲報がもたらされた。
公爵夫人が馬車の事故で亡くなってしまった。
大雨の中の道中に通らざるを得なかった不安定な道で、大雨によって緩くなり崩れた土砂が・・・であった。
最愛の妻が亡くなり、悲しみに包まれた公爵は、煩わしい事をする気力を失くしてしまった。
当事者のギベオンも伯爵令嬢の不誠実な行為に対する嫌悪感が、母の喪失感でどこかに押しやられてしまった。
婚姻ではなく、婚約候補から婚約者への段階であった為「そんなことより・・・」と、どうでもいい扱いになってしまった。
――――アンドレには婚約者候補が十歳の時から五人も居た。
婚約者ではなく候補であるが故に一定の距離感を保ち、頬にキスをする事も腰に手を添えることすらした事はない。
婚約者候補は婚約者になるかもしれない不確かな存在であったのだから。
頬にキスをする事で、その相手に決まったと勘違いされるのも嫌だったのである。
真面目を絵に描いた様な男である。
十六歳のアンドレ、婚約も間近でそろそろ閨教育を・・・となっていたのだが、
この所のトラブルに続くトラブルが続き、まして公爵夫人が亡くなってしまった喪失感と無気力感が屋敷内に漂い、する筈であった閨教育の事は、公爵とアンドレの頭の中は勿論のこと、屋敷の皆の頭の中からも消えてしまった。
まともな恋愛経験も無く、勿論女性経験もない。
アンドレの様に羨望の的で選り取り見取りの貴族子息が、どの花を愛でる事も無いまま。
――――そして、イルヴァに出逢った。
艶のある黒髪を短めでうなじ程の長さに整え、強い意志を感じさせるキリッとした眉、一見冷たく見える切れ長のシルバーグレーの瞳、一見女性的に見える細く通った鼻筋と少し厚めの唇。
公爵家嫡男であり、美貌も持ち得るアンドレは貴族令嬢の羨望の的だった。
そんな男だから、貴族子息からの妬みもチラホラとあるが、しかしアンドレ自身が身分に拘らず気さくな性格の為、本人と接した事がある者は皆好感を覚えた。
アンドレには婚約者はいない。
高位貴族の中でも有力貴族であるヘルグレーン公爵家だ。
政略結婚が多い貴族は、物心ついた頃の幼い時から婚約者を決め、成人後の婚姻までの期間を使って信頼関係を築く。
しかし、アンドレの年は有力貴族の貴族令嬢が多く、まして公爵家。
王家の様に婚約者候補を立て、その中で一番素晴らしい令嬢を見極め、それから婚約者を決めても遅くはない。
と、公爵婦人の鶴の一声で決まったそうだ。
公爵夫人は夫を強い眼差しで見つめながら話した。
「貴族男性は強かな女性の手練手管に引っ掛かり易いわ。一見して可憐な花が毒花だと気付かないの。何人もの候補の中から、己こそはと奮起する者、相手の足を引っ張る者、自分の考えがない者。それを見極めるのよ。公爵夫人は、善人でも務まらない。悪女は論外、真意を悟られないのは貴族令嬢として当然の中、俯瞰をする目を持つのは中々いないわ。その目を持ち、清濁併せ呑む事が出来る人でなければ。・・・まぁ、まだ小娘にはそこまで求めてないわ。だから、私は候補を立てる事を譲らないわよ。」
公爵夫人の言う事は尤もである。‥が、一人選び、きっちりと育てればいいのではないか?と頭をかすめなかった訳ではない。・・・しかし夫人の気迫に是しか受け付けていないのが分かった。
迷わず是といった。公爵は冒険はしない性質だ。
アンドレは言われるがまま、週に一回、互いを知る為に一対一で交流する為にお茶をした。
美しく装って楚々と笑う令嬢を相手にするより、剣を振るいたい少年だった。
令嬢の話す「今王都で流行りの」で始まるドレスや宝石、甘いお菓子などの話を右から左へと流しつつ聞きながら、
(女性とは皆同じ物に興味を持ち、物で満たされていれば否やは無いという生き物なのだな)
別の世界から来た人種の様に感じた。
十歳で候補を立てられてから二年が経過し、侯爵家の一人と、伯爵家一人、子爵家二人が脱落した。
侯爵家は別の婚約者を見つけ、そちらと縁を結ぶ為の事態であったが。
伯爵家は足を引っ張るタイプであった。
子爵家は一人が違法な商売に手を出し脱落、もう一人は病気での脱落であった。
十三歳になる頃、侯爵家の令嬢と伯爵家の令嬢二人のうち、伯爵家の令嬢に親しみを感じる様になった。
いつも笑顔で話し上手な彼女は公爵家嫡男のアンドレに臆することもなかった為、気さくな性格ではあるが根が真面目なアンドレは気楽に接する事が出来た。
アンドレの気持ちが傾くにつれ、伯爵令嬢が婚約者候補筆頭と周りから言われるようになった。
公爵家はそんな話はしていない。
後に判明したが伯爵家がアンドレの態度を見て、外堀を埋めるべく噂を流した事が判明した。
伯爵家の外堀を埋める行動に、アンドレの両親は不快に思ったが、アンドレ自身が満更でもない為強く出なかった。
アンドレからすれば、もう一人の侯爵家令嬢は気位が高く、身分問わず気さくなアンドレに顔を顰めて、苦言するタイプだった。
婚姻を結んだらこんな日々が待ってるかもしれないと思うと、この令嬢では無理だと感じてしまった。
母はアンドレに「伯爵か侯爵で言ったら、侯爵令嬢の方が恐らくまだ何とかなるわ。」と言った。
母は見る目がないのかと思い「あんな高慢な方が?」と言ってしまった。
「身分に拘り過ぎるのは矯正過ぎればいいわ、まだ。表立って嫌な態度は取らない様にはなるでしょう。でも、貴方に苦言を呈する事が出来るのはいい事よ。貴方が選択を間違えそうになった時、ちゃんと言える伴侶でなければ。全部に是と言われては誰が貴方を諌め一緒に悩み共に歩くの?」
と、一見尤もらしい事を言われたが、アンドレは「あの令嬢が?」としか思えなかった。
母は更に言った「伯爵令嬢の方はダメよ?跡継ぎを産んでから愛人どころか、恐らく婚姻前ですら・・・の子ね。貴方、お茶だけしてないで、ちゃんと身辺調査の書類にも目を通しなさいな。」
真面目一辺倒は悪くないけど、柔軟さがないわ・・。一人の意見で全部知った気になるタイプね。
息子の教育を少しばかり見直さなければならないと思った夫人である。
母の話を聞いて、伯爵令嬢も今までの様に素直に何でも受け止めていたが、穿った目で見てしまって、前ほど親しみを持てなくなってしまった。
伯爵令嬢に傾いていた興味は、結局うやむやになるうちに、更に三年が経過した。
アンドレも二人の令嬢も十六歳。
十八歳の成人までに婚約していない令嬢の方が少なくなってくる年齡だ。
侯爵令嬢は隣国との同盟強化の為、隣国の公爵家との縁続きを王家が望み、そちらへ輿入れすることになってしまった。
初めは、侯爵家筆頭の家の十四才の令嬢が候補に上がったらしい。
が、隣国の相手はアンドレの候補の令嬢になった。
侯爵令嬢が強く望んだらしい。
そして、筆頭扱いをされていた伯爵令嬢が婚約者へ決定という直前。
わざわざ根回しで噂を撒き散らしたにも関わらず、伯爵令嬢が突然候補を辞退し、他の男と婚約を結ぶという。
その婚姻も半年待たずにするとのことで、噂では「子供がもういるのか・・・?」と皆勘繰られていた。
恐らく、アンドレの候補の時から関係があったのだろう、という事だった。
令嬢で性的な事にだらしがない烙印を押されたのだ。
婚約を結んだ相手も凄いなと思った。
婚約をしていない令嬢とそういう関係を結ぶくらい不誠実であれば、妊娠しなければ責任など取らなかったに違いない。
純潔を求める貴族、まして公爵家嫡男のアンドレは、他の男が手篭めにした令嬢を妻にするところであったのだ。
候補だとはいえ、婚約直前であった伯爵令嬢、公爵家を舐めすぎである。
大きな賠償問題に発展しても良さそうであったが、公爵家は伯爵家に何も要求する事はなかった。
公爵家の面子など些末な事だと思える悲報がもたらされた。
公爵夫人が馬車の事故で亡くなってしまった。
大雨の中の道中に通らざるを得なかった不安定な道で、大雨によって緩くなり崩れた土砂が・・・であった。
最愛の妻が亡くなり、悲しみに包まれた公爵は、煩わしい事をする気力を失くしてしまった。
当事者のギベオンも伯爵令嬢の不誠実な行為に対する嫌悪感が、母の喪失感でどこかに押しやられてしまった。
婚姻ではなく、婚約候補から婚約者への段階であった為「そんなことより・・・」と、どうでもいい扱いになってしまった。
――――アンドレには婚約者候補が十歳の時から五人も居た。
婚約者ではなく候補であるが故に一定の距離感を保ち、頬にキスをする事も腰に手を添えることすらした事はない。
婚約者候補は婚約者になるかもしれない不確かな存在であったのだから。
頬にキスをする事で、その相手に決まったと勘違いされるのも嫌だったのである。
真面目を絵に描いた様な男である。
十六歳のアンドレ、婚約も間近でそろそろ閨教育を・・・となっていたのだが、
この所のトラブルに続くトラブルが続き、まして公爵夫人が亡くなってしまった喪失感と無気力感が屋敷内に漂い、する筈であった閨教育の事は、公爵とアンドレの頭の中は勿論のこと、屋敷の皆の頭の中からも消えてしまった。
まともな恋愛経験も無く、勿論女性経験もない。
アンドレの様に羨望の的で選り取り見取りの貴族子息が、どの花を愛でる事も無いまま。
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