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1話 精霊の棲み処

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 エンペサル侯爵邸の裏手に広がる深い森に入り、奥へ奥へと進むと… 
 "精霊の"と呼ばれる小さな湖があらわれる。

 満月の夜、湖面が月明りで淡く光って見える頃、真摯しんしな願い事のある者の前にのみ、"夜の精霊"があらわれ、命と引き換えに1つだけ望みをかなえると言い伝えられていた。

 この地で暮らす者たちが、子供に聞かせるおとぎ話である。





 ――――――真冬の深夜…


 生気を失くした亡霊のように、オメガの青年は湖畔こはんに立ち、流産でせほそった身体を、ガタガタと震わせていた。
 度重なる不幸に傷つき疲れはて、カナルは理性を失い… 自殺への誘惑に負け、寝衣しにのまま寝室を抜け出して来たのだ。


「僕はエンペサル侯爵家の次男カナル、"夜の精霊"よ!! どうか… どうか… 僕のせいで不幸になった人たちを、救って下さい!!」

 ハァッ… ハァッ… と白い息をはきながら、3日前に子供を失い空っぽになったお腹をおさえ、カナルは精霊に願い… 祈った。

 命と引きかえに"夜の精霊"が願いごとをかなえると言われるおとぎ話は、単なる子供を楽しませるための作り話ではない。

 何百年も大昔に、エンペサル侯爵家の者たちが、自分の命と引きかえに"夜の精霊"と契約をかわし、実際に起こした奇跡の数々を元に作られた実話だと言われている。


「僕はどうなっても良い! せめて僕の大切な人たちが… これ以上苦しまないようにして欲しい」

 "夜の精霊"と契約をかわすことが出来るのは、"精霊の棲み処"と名付けられた湖を含む領地を代々守り続ける、エンペサル侯爵家の直系だけにあたえられた、精霊からの贈り物だった。

 胸いっぱいにためこんだ罪悪感と後悔を道連れに、恐れることなくカナルは、うつろな灰色の瞳で"精霊の棲み処"を見つめ、はだしで湖へとふみいる。

 湖上を吹き抜ける冷たい風が、カナルを罰するように青白い肌を打ち、肩までのびた月光のような淡い金髪を容赦ようしゃなく乱す。


「僕が何もしなかったから… 最善をつくさず、見て見ぬふりをしたせいで… 僕の大切な人たちはみんな… みんな… 不幸になってしまった!!」



 子どもを失ったカナルの寝室にあらわれた夫のフィエブレは… 苦痛に満ちた声で、ベッドに横たわるカナルに懇願こんがんした。

『子供のことは残念だったカナル、ゆっくり休みなさい』

『ごめんなさいフィエブレ… 赤ちゃんを守れなくて!』

『やはり、この結婚は間違いなんだよ、一度は私も耐えようと努力した… だが、もう無理なんだ、耐えられそうにない! 双子の弟のお前は確かに彼女に良く似ている… むしろ似すぎていて、私はお前の顔を見ると姉のエリダを思い出してしまうんだ! だから子供はあきらめてくれカナル』

『そんな… 考え直して下さい、フィエブレ! 僕はあなたに愛されなくても、亡くなった姉に負けないぐらい、子供の頃からずっとあなたを愛して来たのに?!』

『彼女を失った苦痛が増すばかりで… もう無理だ! 二度と彼女に似たお前を抱く気はない… だからカナル、子供はあきらめてくれ!』

『そんなっ…! 僕は姉さんの分もあなたを幸せにすると…っ…』

『止めろカナル! 止めるんだ! これ以上続ければ、お前を憎んでしまいそうだから!!』

『もう憎んでいるでしょう? 姉ではなく僕があなたの隣で生きていることを!!』

『カナル、頼むから止めてくれ! お願いだから、聞き入れてくれ!』





 ちゃぷんっ… ちゃぷんっ… と水がはねる音を、濃紺のうこんの湖面に響かせて、カナルはじょじょに深くなる湖の中心へと一歩、一歩、進み、月光色の淡い金髪が湖水へと沈み消え去った。


 吹きあれていた冷たい風がぴたりと止まり、湖上に静けさが戻る。











「キャアアアアアァァ――――――ッ!!!!!!」



 ぐっすりと熟睡していた頭の上で… 突然、若い女性の金切り声が響き渡り…

「はっ? ああ?! うわわわわわあぁぁぁ~っ?!!」

 飛び起きたカナルは、危うくベッドから転げ落ちそうになった。

「・・・・・っ???!!!」
 ドドッ…!ドドッ…!ドドッ…!ドドッ…!ドドッ…!ドドッ…!
 あばら骨の内側から飛び出しそうな勢いで、心臓が暴れ狂い、カナルは胸を押さえ、金切り声の発生源(若い女性)を注視する。


「ひいぃ・・・っ!!」

 金切り声の発生源はカナルと目が合うと、手に持っていた洗顔用の水差しを落とし、絨毯じゅうたんがびしゃびしゃの水浸しになっても構わず、おびえた目をして後退あとずさって行く。


<ななななっ… なに?! なに?! なにごと?!!>




 寝起きのボケた頭では、理性的に物事を考えられず、動揺したカナルはひたすら口をパクパクした。








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