悪恋〜ヴィランに恋する乙女の短篇集〜

KUZUME

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第2篇 BEAST

第2話

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 「アナスタシア!アナスタシア!!大変だよ!あんたの姉さんが…!!」

 その日の朝、アナスタシアは隣のおばさんのただならぬ叫び声とドンドンと戸を叩くけたたましい音で目を覚ました。
 まだ寝惚けながらも戸を開けて、青ざめたおばさんが差し出す物に視線を向け目を見開く。
 取り乱すおばさんの叫び声も遠く、どくどくと自分の脈打つ音が聞こえて、キーンと耳鳴りが響く。

 「……こ、これ」
 「今朝早く木こりが森の近くで見つけたって…!」

 わああと泣き崩れるおばさんの手から受け取った血塗れの姉の靴の片方が、冷たく重く、ぼとりと手からこぼれ落ちた。



♦︎



 「薬草を採りに一人で森に入って行ったらしいよ」
 「あそこは両親も早くに流行病で亡くなっているだろう?まだ若い妹一人だけ残されちまって…」
 「それより、あの子を追って化け物はこの村の近くまできてないだろうね!?」
 「ああ、恐ろしい…これもきっと魔女の呪いだよ…!覚えてるかい!?ほら、前の王様の…」

 奇妙に村の中は静まりかえっている。村人達はひそひそと声を潜めて囁き合うもどこか狂ったような恐怖という名の熱に冒されている。
 黒いドレスを身にまとい、アナスタシアは一人ただからの棺が埋まっていくのを見つめる。

 「アナスタシア…」
 「村長さん」

 酷く痛ましそうな表情を浮かべた年老いた村長が声を掛けてくる。これから彼に言われる事は、哀悼の意と今後についてだろう。
 もう一度姉の居ない姉の墓石を見てぐっと拳を握り締め、そして村長が口を開くよりも先に宣言する様に大きな声を出す。

 「私、森の奥の屋敷へ行きます」
 「なっ、何を言っている!?」

 どよめきが一斉に辺りに広がり、姉を殺されて妹の方は頭が狂ったという声が聞こえてくる。

 「森の奥の屋敷には恐ろしい人喰いの獣が住んでいるんだぞ!?姉の仇を討とうなんて考えなら、一層の事姉の事は忘れなさい!」
 「いいえ、行きます。もし噂の通りに姉さんは獣に殺されたのならせめて死体の一欠片でも見つけたい」
 「人喰いの獣だぞ!?靴が片方見つかっただけでも良しとしなさい!」
 「…獣は獣でしょう。その獣が本当に姉さんを殺したのなら、私が退治します。前から考えてたの。森には必要な薬草もあるし、王都へ行く時に森を通れたらわざわざ大変な迂回路を行かずに済むのにって」
 「アナスタシア…お前はまだ若いからそんな無謀な事を…」

 肩を掴んで何とか止めようとしてくる村長の言葉を遮って村の若者が声を上げる。

 「行きたいなら勝手に行けばいいじゃないか!それでついでに獣を仕留めてくれるってんなら儲け物だぜ!」
 「そうだ!仮に退治出来なくても、娘二人を喰えば化け物も暫くは人を襲わないだろうよ!」
 「お前達!なんて事を…!」

 恐怖という熱が燃え広がっていく様を眺める。
 出るのなら今夜にでも出ようと最後にもう一度だけ墓石を見つめてから、引き留める声には振り返らずにアナスタシアは家路を辿った。



♦︎



 「よっし、荷造り終了っ!保存食以外は隣のおばさんに譲ったし、家具に布は被せた。金目の物は──無しっと」

 少しの着替えと保存食、水筒で重たくなったリュックを背負う。家の戸まで進んで、振り返ってすっかり生活感の無くなった室内を眺めてみる。

 「…二人でも広かったのに、一人だと広過ぎちゃうよね」

 戸を開ける。
 ──いってらっしゃい
 目を瞑って、深呼吸をする。いつも聞こえてきた声はもうない。

 「…いってきます、姉さん」

 カンテラに魔法で火を灯す。
 暗い顎門あぎとを開いて獲物を待ち構える夜の森へと足を踏み出した。



♦︎



 ガッサガッサと生い茂る草をかき分け道なき道を進む。
 森の中なので勿論虫はいるし、これまた鬱蒼とした木々が覆う頭上からはぎゃあぎゃあという聞いた事もない鳥の様な鳴き声もする。
 月明かりも届かない。明かりは手の中の小さなカンテラの炎だけ。
 大層な啖呵を切って村を出てきたが、時間が経つにつれアナスタシアの恐怖心は増していく。正直泣きそうな程夜の森が怖い、といよいよ目が潤み始める。

 ガサガサガサッ!!

 「ひっ!嫌──!ファイア!ファイア!ファイアアアア!!!」

 激しく葉が擦れ合う音に反射的に手をかざして魔法の火を放つ。何度も何度も、恐怖に目をかたく瞑り炎の魔法を乱発すれば、瞼越しにも明るさが届く。

 「ギャウウ!」
 「っ!?狼…」

 獣の鳴き声にそろりと目を開ければ、恐ろしい形相の狼が炎にのたうち回っていた。

 「…この森には狼もいるのね…まさか他にも人を襲う動物がいるんじゃ…」

 人喰いの獣の噂のせいで人の手が全く入っていない広大な森だ。人里に近い森のごく浅い所ならば薬草採取等で人も稀に訪れるが、深部には果たして何がありどういった生物が生息しているのかは王都の貴族様だって知らないだろう。
 散々人々を苦しめている人喰いの獣を討ってやろうと息巻いていたアナスタシアの気持ちが急にしゅんと萎んでしまう。

 「……それにしても熱い、な………あああああ!!!」

 ゴオゴオと音をたて、目の前で立ち上る火柱。
 横たわる狼は息絶えたのだろう。それはいい。しかし狼の死体とその周辺が先ほどアナスタシアが出鱈目に放った炎の魔法で燃え続けている。

 「やばいいいい!!嘘!?どうしよう!?水、水…!水筒の水しか無い!!!」

 あてもなく慌ててみるがどうする事も出来ない。寧ろ叫んだ事により煙を吸い込んでしまいアナスタシアは苦しさに膝をつく。

 「うっ、ゲホッ!…これで、人喰いの獣の屋敷も、燃えてくれたら…いいけど…ゲホッ!…はぁっ…これじゃ、私も…っ」

 ──私も死んでしまうかも知れない

 「……」

 ぽたり、と流れ落ちた汗が地面に落ちて吸い込まれていく。地面の色が一瞬だけ濃くなり、すぐにまた元の色に戻る。

 ──死んでしまうかも知れない?ならこれでいいじゃないか。だって初めから、そのつもりで家を片付けてきた。
 ──姉さんの死体の一欠片でも見つけたい?人に言われなくたって見つかりっこないって分かってる。
 ──獣を退治したい?──違う、違う、私は。

 「グルゥゥゥアアアアアアアア!!!!!!」

 「っ!?」

 直接脳を殴られたかの様な凄まじい咆哮が轟く。ビリビリと大気さえも衝撃に揺れている。音は耳鳴りを残し、立ち上がる事さえ出来ない。

 「(…なっ、なになになに!何!?)」

 先ほどの狼の比ではない草葉の擦れ合う音が辺り一面を包む。何か大きく重たいものが走り抜ける様なドシンドシンという振動もする。

 「ガアアアアアアアアア!!!!!」
 「っきゃああああ!!」

 落雷を思わせる様な咆哮の第二波が襲う。アナスタシアは遂に目も開けていられなくなり、ただただ頭を抱えて小さく地面に蹲る。

 ──ガサガサガサ!!!
 ──ドシンドシンドシン!!!
 ──グルアアアアアア!!!
 ───ドッッ……シイイイイン!!!!!

 「っ!?」

 一瞬、地面から体が浮く程の振動に反射的に目を見開く。

 「(……跳んで…降ってきた…!)」

 すぐ目の前に降り立ったモノ。
 2メートルは優に超えているだろう見上げる巨躯。全身は野生動物の様な毛で覆われ、大きく裂けた口から立派な牙が覗いている。
 熱風に靡く鬣は、漆黒。

 「ぁ、あなた…!」

 ぷつりとそこで、意識は途切れた。
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