悪恋〜ヴィランに恋する乙女の短篇集〜

KUZUME

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第7篇 愚か者のブルース

第5話

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 意外にもシスターと2人、干渉し過ぎず距離をとり過ぎず、穏やかな時間が過ぎていった。
 盲目でお人好しの聖職者から、ちょっと変わった奴に印象が変わり、ぽつぽつと話を交わすようになっていた。
 魔法を使い治療を施す時、彼女は俺の鱗に覆われた皮膚に触れた。彼女は何も言わなかったから、俺も何も言わなかった。もしくは逆かも知れなかったけれど。
 シスターは日中は相変わらず掃除、洗濯をキビキビとこなして、そしてよく聖堂で祈っていた。
 全てに意味を見出そうとしなくていい。意味の無い事だってある。そう言っていた彼女は果たして、冷たい石の塊に何を祈っているのだろう。
 聖堂で祈る彼女の背中を目に写しては、俺はそんな事を考えるようになっていた。
 大怪我を負って、シスターに拾われるまでの生活と今が、余りに違い過ぎた所為かも知れない。盲目の彼女は俺の姿を視て嫌悪に顔を歪めないからかも知れない。
 俺は忘れていた。
 俺が、竜人おれたちが、って事を。



♦︎



 バキィィッ!!!

 「──っ!?」

 突然の衝撃と痛みに目を覚ます。
 頬に感じる冷たい床の感触。ズキズキと痛む腹を抱えて体を丸めながら、顔を持ち上げる。

 「…こいつ、教会こんなところに転がりやんでいやがった」
 「!?」

 ベッドでぬくぬくと寝ていたところを腹を蹴られて床に落とされたらしい。数人のガラの悪そうな男達に囲まれ見下ろされている。
 見覚えのあるその顔に、さっと血の気が引くのを感じる。
 ──追ってきた。見つかった…!

 「ちっ、呪われた竜の分際で、人間様みたいに布団使って寝こけやがって!」
 「本当に逃げられると思ったのか!?てめぇがやった事の落とし前はきっちりつけて貰うからなぁ!?」
 「ぐあっ!…うっ、あああ!」

 容赦なく男達の硬く汚いブーツが振り下ろされる。爪先で顎を弾かれ、なんとか振って抵抗しようとした尻尾も踏みつけられる。
 痛い。微かな熱気を感じて薄目を開ければ、1人の男の手が炎をまとっていた。──魔法だ。

 「うっ、くそっ…!」
 「連れて帰る前にその邪魔な尻尾は切り落としてやらあ!」

 炎をまとった手が振り下ろされる。目を見開いて迫るそれを見る事だけしか出来ない。あれは駄目だ。いくら硬い鱗に覆われてるリザードマンの皮膚でも、直撃したら刻まれる。殺される──!

 「っ貴方達!!何をやっているのですか!!?」
 「!?」

 開け放たれたままだった部屋の扉に、逆光を背に小さいシルエットが浮かび上がる。

 「なんですか貴方達は!?この部屋に居るのは私の客人です!乱暴をするのはやめて下さい!!」

 暴行の音を聞いて駆けつけたのだろう。寝巻きのままで髪も束ねていないシスターがそこに居た。
 息遣いや匂いで、何かがおかしい空気を感じているのだろう。入り口からベッドの方まで来ようとしたが床に散乱する普段とは違う物の配置に盲目の彼女は戸惑って上手い事前へ進めていない。

 「何って…俺たちゃあ逃げ出しやがった可愛いトカゲを連れ戻しに来ただけだよシスター」
 「トカゲ?何の事を…いいえ、それより凄まじい音がしました。貴方達が彼と本当にお知り合いだとして、随分と穏便でないお迎えのようですが?」

 普段の穏やかな彼女からは想像もつかない、毅然とした態度に俺はただ驚いて阿呆みたいに彼女を見つめる事しか出来ない。
 男数人に向かって、女で、目だって視えちゃいないのに。

 「ちっ、うるせえな!お前こそ分かってんのか!?呪われたリザードマンなんて匿いやがって!てめえはそれでも聖職者か!?」

 しかし男が吐き捨てた言葉に俺は背筋が冷えるのを感じた。
 言いやがった。言いやがった!あの男。ワナワナと口が震える。
 シスターとの間に曖昧に、けれど確かにあった線引きを。触れても、決して言葉にはしなかった事を。

 「リザードマン…?」
 「はっ!なんだよ、まさか視えてないからといっても気づかない筈ねえだろう!触れたろ!あの気持ちが悪い鱗に覆われた肌に!聞き取りにくいひしゃげた声!ズルズルと引きずる尻尾!魔法も使えない役立たず!神に呪われた一族だ!!」

 男の嫌に熱気の篭った叫び声があがる。
 耳を塞ぎたくても押さえつけられた腕を振り解く事も出来ずにただ唇を噛む。

 「ちょ、ちょっと…待ってくださ…っ!」
 「うるせえっ!どけ!!こいつは俺達の奴隷のくせに、仲間を殺して金目の物まで盗みやがったんだよ!!きっちり痛い目みせてやる!!」
 「うぐぅっ…!」
 「ちょっと…あっ!」

 首に太いざらついた縄を巻かれる。容赦なくそれを引っ張られ体が引き摺られる。痛みに呻くがそれさえも許されないのか、呻き声をあげる度に首を引かれる強さは増し、蹴り付けられる。
 戸惑うシスターの声が遠去かる。倒れる音がしたが大丈夫なのだろうか。誰か、誰でもいい、助けて欲しい。
 助けて欲しい!彼女を!

 「──ゥゥゥ、グルゥアアアアアアア!!!!!」

 「っ!?」
 「なんだ!?」

 縄が首に食い込む中、渾身の力を込めて大咆哮をあげる。
 その昔は炎を吐いた大咆哮。今はもう火を吹けなくとも、自分を引き摺る男達を殺せなくてもいい。
 ただ彼女を助けて欲しくて、気づいて貰いたくて咆哮をあげる。
 男達の縄を引き摺る手が止まる。少し先の民家のあちこちに明かりが灯り出す。それを確認した男達が舌打ちを漏らして狼狽えだすのを目にして狙った事が上手くいったことを知る。
 どうやらこの男達は、リザードマンを奴隷同然に扱っている事はバレたくないらしい。リザードマンの奴隷商売が横行しているとはいえ、一応違法だ。バレれば、こいつらにとっては不利益な事があるのだろう。

 「くそっ!この、黙れ!薄汚いリザードマンめ!」
 「どうする!?村の奴等がこっちに来ちまう!」
 「…っもうこうなったら仕方ねえ!警備隊さえ来なけりゃ構うもんか!どうせ村の奴等だってリザードマンがここに居るとなりゃ関わり合いになりたくねえって逃げてくさ!」

 男達が揉める間に、近付く明かりと複数の足音達。遂に明かりが俺の尻尾まで全て照らし出すほど近づいたところで足音が止まる。

 「い、一体なんだお前達!」
 「うわっ!リ、リザードマンを連れてる…!」

 一瞬にして村人達のざわめきが広がる。奇異や蔑み、嫌悪の目が一心に向けられるがそんな事はどうでもいい。

 「…たっ、助けてくれ!教会に、シスターが居る!怪我してるかも知れないんだ!」
 「こいつ何を、」
 「この男達は奴隷商人だ!!シスターを突き飛ばした!!」
 「なんだってシスターを!?」
 「酷いわ!彼女は目が視えないのに!」
 「奴隷商人だと!?誰か、警備隊を…!」

 先ほどよりも一層ざわめきが大きく広がっていく。警備隊が来れば、と思ったところで縄をきつく引かれ出そうとした言葉は呻き声にしかならなかった。

 「おい。おいおいおい。いいのか?警備隊なんて呼んで。お前らの中にがいるぜぇ?」

 男達がニタリと醜悪に顔を歪める。

 「シスターには何もしてねえ。ただ転けただけだよ。俺達はこのリザードマンを連れ戻しに来ただけさ」
 「むしろ感謝して欲しいねえ。ここのシスターはこいつがリザードマンと知らずに匿ってやがったんだ!俺達は可哀想なシスターに気づかせてやったのさ!」
 「それに知ってるか!?こいつはリザードマンの分際で人間様を殺して盗みまでして逃げやがったんだ!!この罪人をこのまま野に放しちまっていいのか!?こいつはこの村の人間を皆殺しに来たのかも知れねえぜ!?」
 
 男達に煽られ、動揺と嫌な熱気が広がって増長していく。その様を見ながら、否応なしに鼓動が速まり冷や汗が吹き出していく。
 畜生、知ってる。
 これは、狂気だ。

 「──待ちなさいっ!!!」

 狂気の只中に声が降った。
 西陽の中で光った、あの声だった。
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