愚か者のブルース

KUZUME

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第6話

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 「──待ちなさいっ!!!」

 真夜中、手に手に篝火を持ち狂気に燃え上がる民衆の輪に、清廉な声が降る。
 ざわめきは水を打ったように静まり、集まった人々は声がした方へ振り返る。

 「シスター!」

 ぽたぽたと米神から血を一筋流すシスターが息を乱しながら立っていた。

 「大丈夫かいシスター!?」
 「血が出ているじゃないか!」
 「おい!怪我させてないんじゃなかったのか!」
 「ああ、シスター。ここは危ない。野蛮で凶暴な呪われたリザードマンが居るんだよ!」

 わっと民衆がシスターの元へと集まり、俺から引き離そうとしている。
 そうする間に、俺の首に繋がる縄を掴んでいる男達と、シスターの元へ行かなかった村の男衆がぐるりと俺を囲み見下ろしてくる。

 「お、おい!警備隊は呼ばないからこいつを早くなんとかしてくれ!」
 「面倒事はごめんだ…流石にこのまま騒ぎが大きくなれば警備隊がやって来てしまう」
 「へへ…旦那、また
 「う、五月蝿いっ!さあ、早くやっちまってくれよ!」
 「で、こいつはどうするんだ?」
 「…このまま引き摺って行こうかと思ったが、警備隊に見つかるかも知れねえ。こいつ、図体ばかりでかい所為で重たいったらねえぜ」
 「じゃあやっぱりここでこの邪魔な尻尾は切り落として行こうぜ。そうすりゃ少しは早く引き摺って行ける」
 「ああ、そうだな」

 男達の会話にぞくりと悪寒が走る。1人の男の手がまた、あの炎をまとう。

 「ぐっ…!や、やめろ!離せ!!」
 「くそっ!こいつ、暴れんじゃねえ!」
 「ぎゃあ!」

 腹を思いっきり蹴られる。
 その一発を皮切りに、多方面から人間の足が飛んでくる。1発、2発、3発…頭をただ抱えている事しか出来ない。
 突然シスターの悲鳴があがった。軽い足音が、バタバタと砂を蹴り上げ駆け寄って来る。

 「やめて下さい!!何をしているのですか!!やめて!!」
 「おっと、危ないからお嬢さんはどいてな!」
 「シスター!こっちに来てはいけない!危ないから!」

 なんとか薄っすらと目を開けてみる。
 血相を変えたシスターが、俺を囲んでいた村の男達に腕を掴まれるが、それを華奢な体のどこにそんな力があるのだろうと疑問に思うほどにめちゃくちゃに振り回して拘束を解く。
 そして俺を囲む男達を掻き分け、俺の目の前に両手を広げて立ちふさがる。

 「乱暴はやめて下さい!」
 「ちっ、なんだこの女は!」
 「頭おかしいんじゃねえのか!?リザードマンを庇うだなんて!」
 「貴方達こそ恥を知りなさい!神はこのような事、決してお許しにはなりません!」
 「神だあ?その神がリザードマンには一生地を這って泥を啜って生きていけって言ったんだろうが!そうやってみっともなく泥だらけで地べたに這いつくばってるのがお似合いの一族なんだよそいつらは!!」
 「いいえ、違います!神は他者を顧みず、他者を意味もなく傷つける者を地に落としたのです!自分達をご覧なさい!まさしく今の貴方達の姿ではありませんか!?」
 「くそっ!このアマ…!」

 男達の1人が炎をまとったままだった腕を振り上げる。
 上がる悲鳴、息を飲む音。ぎゅっと、小さく温かい両腕が俺の首に回される。
 ざわめきが、動揺が、波のように押し寄せる。
 頬には、まだ血が伝っている。
 彼女が何か叫んでいる。全くもって意味不明な、理解出来ない事を。
 ああ、くそ。

 「ギュルル、ギュルアアアアアアアア!!!」

 血管が張り裂けそうなほどに力を込める。
 万力の力を込めて、地面に擦り付けていた顔を持ち上げて、首に繋がる縄を掴んで思いっきり引き寄せる。

 「う、うわあああ!?」

 縄の先を掴んでいた男がなす術もなく引き摺られ、そのまま勢いを殺せずブォン!と体ごと後方へ飛ばされる。

 「ギュアアアアアアアア!!!」

 バシン!バシン!と尻尾を四方八方へめちゃくちゃに振り回し叩きつける。周囲の地面が凹み、砕けた欠片が辺りに降り注ぐ。
 人間達は一斉に怯み、驚愕に目を見開く。

 「き、きゃあああ!」
 「うわああああ!リザードマンが暴れてる!!」
 「み、見たか!?ほらな!?これが呪われた一族の凶暴性だ!!ころ、殺されちまう!!」
 「警備隊だ!警備隊を呼べ!!」
 「チィっ!村人共め、勝手を…!フン!所詮は魔法も使えないただ図体のでかいトカゲだろうが!びびってんじゃねえ!!」
 「そ、そうだ!もうこうなったらここでこいつを殺しちまおう!もうこんな馬鹿は要らねえ!」
 「待ってくれ!まだシスターが捕まって…!」
 「うるせえ!あの女はあれを庇ったんだ!自業自得だ!」
 「そんな…!」

 俺の首に両手を回したままのシスターをぶら下げて、俺は魔法を手に向かってくる男達を睨みつける。
 沸々と、何かが込み上げる。
 今までいつもいつも感じていた許容しがたい気持ち悪い感情じゃない。神への憎悪でも、人間への嫌悪でも、いつも聞かされてきた馬鹿な竜への憎しみでもない。
 これは、そう、怒りだ。

 「ギュルギュル…ッ!」

 喉から、とても知性のある生き物の声とは思えない声が出る。
 人間は、この目の前に迫る男は、理不尽で自分勝手な理由を並べ立てて俺を、シスターを殺そうとしている。

 「ギュルアアアアアアーッ!!!」
 「ぐえっ…!!」

 尻尾を横薙ぎに一閃。
 一瞬前まで目の前に迫っていた男の1人が視界から消え去る。少し遅れて何かが激突したような音がする。民家の塀に叩きつけられた男が血を噴いて倒れている。

 「きゃああああああ!!!」
 「や、やりやがった…!やりやがったこいつ…!!

 絶叫がそこかしこから噴き上がる。

 「殺せ!この凶暴な生き物を殺せ!!」
 「も、もうシスターに構うな!シスターごとでいいからあのリザードマンを殺せ!」

 四方から魔法が飛んでくる。武器を持った人々が襲い掛かってくる。
 怒りでもう頭は真っ赤だった。向かってくる人間を尻尾で薙ぎ、時に投げ飛ばし、咆哮をあげる。

 「ひっ…!や、やめて…やめて下さい…!もう十分です…!」

 すぐ耳元でシスターの今にも消え入りそうな声がした。
 迫っていた人間共を尻尾で一斉に薙いで距離を取る。
 首にぶら下げたままのシスターの顔を覗き込めば、光の灯らない目に涙を溜めて震えていた。

 「…はぁっ、はぁっ……どうして、何故止める!?こいつらはお前の事も殺そうとしてるんだぞ…!?」

 悔しい、意味もなく彼女が傷つけられる事が。
 悲しい、傷つけられた彼女が泣く事が。

 「っく、…ギュルギュルギュルゥゥウアアアアアアア!!!」

 何もかもがごちゃ混ぜになった思考が、チカチカと赤く黒く点滅し出す。
 あつい。何かが熱い。わけも分からないままに絶叫を上げた。

 「ひいっ…!ぎゃ、ぎゃああああ!」
 「なん、なんだあれは!?」
 「いやあああああ!!」

 皮膚が裂け、筋肉が引き千切れ、骨が軋む。
 背中が痛い!熱い!熱い!!

 「……り、竜だ…!!」

 バサリと音がして、暴風が吹き抜けていく。
 鱗は剥がれ、魔法の炎に身を焼かれる。けれど自身を守る為の両腕はシスターを包んだまま、俺自身は一切防御の姿勢を取らずにただただ周囲を薙いでいった。



♦︎



 「……ぜぇっ…はぁっ…ぜっ…ぜっ……」
 「…」

 周囲は無音に包まれる。
 俺の血が混ざった息切れと、静かなシスターの呼吸音だけがしている。
 東から昇り始めた太陽が、辺りを照らしていく。

 「…ぜっ……ぜっ…」

 抉れた地面。焼かれた民家。倒れる人、人、人。
 俺とシスター以外に、息をしている人間はもう居なかった。
 俺は呆然としながら振り返る。視界に、見た事もない皮とも骨ともつかない2枚の翼が写った。

 「…はは、人間を大勢殺して、こんなわけの分かんねえもん生やして、ほんとに神話の化け物だな」

 自嘲が漏れる。と、抱きしめたままでいたシスターがぽそりと呟いた。

 「私、私以前言いましたよね。この世には、意味のない事もあるって…」
 「…ああ」

 持ち上げられた彼女の顔は、今まで見た事がない表情をしていた。

 「私、貴方が人間とは姿形が違う事は分かっていました。視力がないかわりに、触覚とか他の感覚が鋭敏なんです」
 「…」
 「でも、姿形なんて私にとってはどうでもいい事なんです。私にはどうせ視えないって事じゃありません。姿形がどうあれ、その人はその人だという事を知っているからです」

 彼女の濁った瞳に、朝日が映り込んで反射する。

 「私は貴方というひとを知っています。不器用でちょっと頭が悪くてぶっきらぼうで、でも私の為に怒ってくれるひと」
 「…学校には行けなかったからな」
 「ふふ…」

 くしゃりと顔を歪めて笑った彼女が、きゅっと口を引き結ぶ。

 「逃げましょう」
 「…」
 「逃げましょう、一緒に。今なら貴方は、飛べるのでしょう?」
 「お、おいおい…何言ってるんだあんた…一緒に逃げるって、お前も犯罪者に…!」
 「この国では、リザードマンが殺人を犯して捕まったら絞首刑です。でも、それは神の望むところではありません。ない筈なんです!」
 「シスター!いい加減にしろ!神なんてもんは存在しない!存在しているのだとしても、あいつらはおれを憎んで殺したい筈だっ!!」
 「いいえ」

 彼女の力強い声が否定する。

 「いいえ。神は竜を憎んでなんかいません。殺したいから、翼を奪って地に落としたのではありません」

 〝神をも恐れぬ獣よ、天を仰いで誰かを敬う気持ちを失わないように、お前から翼を取り上げよう。未来永劫、地を這いずって生きなさい〟

 「それは、誰か自分自身以外に目を向けなさいということ」

 〝人を愛する事を知らぬ獣よ、2度と他者を踏みつけ生きる事がないように、お前から強さを取り上げよう。他者と助け合い生きなさい〟

 「それは、誰か自分自身以外を愛し慈しみなさいということ」

 それは決して地を這いずり泥を啜れ、人間に迫害さえて惨めに死ねということではない。と彼女は続ける。

 「…意味がないなんて事はない。少なくとも貴方が今この人達を殺したのは、私を守る為でしょう」
 「…シスター」
 「ねえ、なら次は、何故貴方の背にいにしえの竜の翼が生えたのか、その意味を求めに旅立ちたくはないですか?」

 俺の首から両腕を解き、一歩離れた彼女が胸の前で手を組んで立つ。
 彼女の背後から、朝日が照らして後光がさす。ああ、どこかで見た光景だなぁと思えばそれは、あのチンケな教会、その狭い聖堂で彼女越しに散々見たあの冷たい石の塊だった。

 「…許されるのか。竜人おれに」
 「貴方に命を救われた私は貴方を許します。けれど後ろを向き立ち止まる事は許しません」
 「…随分おっかない神さまシスターだな」
 「人を殺したという罪そのものが許されるわけではありません。貴方が何故その罪を犯すに至ったか、その探求と贖罪の旅を許すのです。それこそが、神が竜に与えた罰なのだと、私は思います」

 手は組んだまま、彼女が閉じていた目を開ける。
 相変わらずその瞳に光が灯る事はないけれど、朝日が乱反射して輝いている。
 俺はおもむろに座りこんだままだった体を起こし、彼女の前に膝をつく。
 いつもいつも見ていた彼女がしていたように、彼女の前で手を組んで目を閉じる。

 祈る。
 いつも彼女がしていたように。

 祈る。
 罪を洗い流して欲しいと望むのではない。
 不当な扱いへの怨嗟を吐き出すのではない。
 救いの手を差し伸べて欲しいと縋るのではない。

 祈る。
 貴女が俺をただ見てくれている事を、感謝する。



♦︎



 バサリと大気を打ち、風を孕んだ翼が膨らむ。
 自分自身と彼女の体重を支えて天を駆けたのはいつの事だったか。
 流れる風が、彼女の長い髪を攫っては靡かせるその光景が、好きなのだと視界に入る度に気に入っていたのはいつの事だったろう。

 旅は長い。終わりも見えず、どこが終着点なのかも分からない。

 気が遠くなる。何もかもを忘れて、ただ天を飛ぶだけの生き物と成り果てるのかも知れない。

 それでも、あの遠い日、西陽の中で彼女の瞳が煌めいたあの涙が出るような美しい光景を、俺はきっと地に落ち斃れるまで鮮明に覚えているだろう。

 手を組み祈る彼女の背を、俺は永遠に覚えているだろう。
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