片思いの相手に偽装彼女を頼まれまして

八千古嶋コノチカ

文字の大きさ
6 / 15
■誠side

■誠side

しおりを挟む
■誠side

「はぁ」

 シャワーを流す音が漏れてくると俺はやっと息を吐く。

「一体何なんだ、あの可愛さは」

 抱えた頭の奥から茜への率直な印象が溢れた。
 俺はかれこれ5年目ほど片思いをする相手が部屋に来てシャワーを浴びているという状況に理性を総動員し、紳士の仮面を付けている。   

 きっとこの仮面も僅かなハプニングで外れてしまうだろう。仕事上のトラブルならば冷静に対処出来るが、茜相手だとそうはいかない。いちいち反応が可愛く、斜め上の返事すら可愛い。つまり全部が可愛い。

 とりあえず水を飲んで頭を冷やそう。冷蔵庫を開ければ中身が整理整頓されており、玄関に目を向けると靴もきちんと揃えてある。

 町田茜は所作が美しい女性だ。控えめでいつも一歩引いて周囲を気遣い、俺の無茶なお願いを断れないお人好し。

 田舎の母が恋人に合わせろと言ってきたのも、俺は茜と付き合っていると嘘をついているから。最初は見合いを断る口実で願望を口にしていたが、何年も重ねていけば母の中で嘘は真実になっていく。

 俺も世に言う適齢期。所帯を持ち、子供を授かる同年代も居る。そんな中、自分は告白さえ出来ないでいるなんて。

 手前に置かれたプリンを手に取る。茜が食べたそうにしていたので買ってみた。甘いものが好きなのは彼女の上司から度々聞かされ、またこの部長が茜を信頼していると知っている。

 茜も語っていたが若くして出世した彼には敵が多い。その一方で優秀な部下に恵まれ、足元をすくわれないようにしてもいた。そして俺が知る限り、部長は誰それ構わずフレンチトーストは差し入れない。そう、茜は間違いなく可愛がられている。なんなら恋仲と噂されるくらいに。

「はぁ……」

 また溜め息がでた。恋敵が部長なんて分が悪過ぎる。あんな有能な男の側で働いていれば目が肥え、俺が仕事面でアピールできることは無いだろう。しかしそれでもと踏ん張り勤めるも、まだまだ部長には及ばない。

 その時、シャワーを絞る音がした。俺は無意識に浴室へ目線をやり、ごくんと飲み込む。

 一線を超えるつもりはなく部屋に呼んだというのは本心だ。ここまで温めてきた恋心を壊したくなんかない。大事にしたい。

 茜は俺にその気がないと分かると「……え、しないの?」と返したが、安堵していた。内心、俺が簡単に関係を持つ男だと思っていたのか。だとしたら全力で否定したいものの、じゃあ何も期待しないんだなと問われればそうもいかない訳で。

 情けない。本能と理性の天秤がぐらぐら揺れている。
 押しに弱い茜を丸め込もうと悪魔の俺が囁くと、そんな真似したって明日には同僚に戻るぞと天使の俺が諭す。

 もしも茜の肌を覚えてしまうと手離したくなるのが目に見え、1日限りの恋人ごっこじゃ満足出来ない。もっと側に、もっと一緒に居たいと求めてしまう。こんな想いをぶつけられても茜は困惑するだけ。

 部長と同等の業績を上げて告白する計画は延長に延長を重ね、もはや見通しが立たない。だからと言って、彼女の人の良さにつけ込んで得た機会で気持ちを打ち明けるのはフェアじゃない気がする。

 いや、彼女の振りをお願いする時点でフェアじゃないのだけれども。
 葛藤の末、水を持って部屋へ戻り、外れかけた紳士の仮面をきちんと装着した。

(茜に手を出さない、手を出さない、手を出さない)

 呪文のように念じる。彼女が出てきたら俺も入り、その間はデザートを食べていて貰おう。この後の行動パターンを巡らす。

「あ、布団がない……」

 そして重大なことに気付く。来客用の布団がないのだ。スリッパすら用意できない生活環境なのであるはずない。
 当然、茜を床に寝かす選択など有り得ないが、そうなるとベッドを使って貰うことになる。

 縁に掛けていた腰を上げ、シーツを見下ろす。
 幸い新しい物に変えたばかりで衛生面での心配ない。しかしながら自分がいつも寝ている場所を貸すのはーーなんというか。

 なんというかーー。

「誠?」

 茜がやってきて、ほかほか湯気が出ていそうな表情でこちらを伺う。単刀直入に言って可愛い。
 首を傾げればサイズの大きいシャツが強調され、俺は可愛いという言葉以外を失ってしまった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

抱きしめて

麻実
恋愛
夫の長期に亘る不倫に 女としての自信を失った妻は、新しい出会いに飛び込んでいく。

さようなら婚約者

あんど もあ
ファンタジー
アンジュは、五年間虐げられた婚約者から婚約破棄を告げられる。翌日、カバン一つを持って五年住んだ婚約者の家を去るアンジュ。一方、婚約者は…。

忘れ去られた婚約者

かべうち右近
恋愛
『僕はレベッカしか選ばない』 甘い声音でそう話したはずの王太子サイラスは、レベッカを忘れてしまった。 レベッカは、王太子サイラスと付き合っていることを、ある事情により隠していた。舞踏会で関係を公表し、婚約者に指名される予定だったのに、舞踊会の夜にサイラスは薬を盛られて倒れ、記憶喪失になってしまう。 恋人が誰なのかわからないのをいいことに、偽の恋人が次々と名乗りをあげ王太子の婚約者の座を狙ってくる。おかげで不信に陥ったサイラスに、レベッカは自分が恋人だと名乗り出せなくなってしまった。 サイラスの記憶喪失を解消するため、薬師兼魔女であるレベッカは恋人であることを隠しながら、事件調査を協力することになった。そうして記憶が戻らないまま二人の距離は再び近づいていく。だが、そんなおりにサイラスの偽の恋人を名乗りでた令嬢たちが、次々と襲われる事件も起き始めて……!? ※他のサイトにも掲載しています。 毎日更新です。

妹の身代わりだった私に「本命は君だ」――王宮前で王子に抱き潰され、溺愛がバレました。~私が虐げられるきっかけになった少年が、私と王子を結び付

唯崎りいち
恋愛
妹の身代わりとして王子とデートすることになった私。でも王子の本命は最初から私で――。長年虐げられ、地味でみすぼらしい私が、王子の愛と溺愛に包まれ、ついに幸せを掴む甘々ラブファンタジー。妹や家族との誤解、影武者の存在も絡み、ハラハラと胸キュンが止まらない物語。

幸せになれると思っていた

里見知美
恋愛
18歳になったら結婚しよう、と約束をしていたのに。 ある事故から目を覚ますと、誰もが私をいないものとして扱った。

【完結】逃がすわけがないよね?

春風由実
恋愛
寝室の窓から逃げようとして捕まったシャーロット。 それは二人の結婚式の夜のことだった。 何故新妻であるシャーロットは窓から逃げようとしたのか。 理由を聞いたルーカスは決断する。 「もうあの家、いらないよね?」 ※完結まで作成済み。短いです。 ※ちょこっとホラー?いいえ恋愛話です。 ※カクヨムにも掲載。

最弱白竜ですが、なぜか学園最強の銀竜に番認定されました

めめめ
恋愛
竜の血を引く者だけが貴族になれるこの世界で、白竜は最も格の低い竜の証。 白竜の男爵令嬢リーゼロッテは、特待生として国内最高峰の王立竜騎学園に入学する。待っていたのは上位貴族からの蔑みと、学園を支配する四人の御曹司「四竜」。 その筆頭、銀竜公爵家の嫡男ルシアンに初日から啖呵を切ったリーゼは、いじめと嫉妬の嵐に巻き込まれていく。 それでも彼女は媚びない、逃げない、折れない。 やがてルシアンはリーゼから目が離せなくなり―― 白竜の少女が、学園と王国の運命を変える。 身分差×竜×学園ラブファンタジー、開幕。

有名俳優の妻

うちこ
恋愛
誰もが羨む結婚と遺伝子が欲しかった そこに愛はいらない

処理中です...