夏の雪

アズルド

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第六章

夏の風

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「マスターが…夏海君に何かしたの?」

「いや、良い人ぶるのが上手い奴は信用出来ない。何を企んでるんだ?って…」

「マスターの事、良い人だと思ってたんだけど…。夏海君の話を聞いてるとだんだん良い人に見えなくなってきたよ…」

「とにかく良い人ぶりながら親切にしてくる奴には裏があるんだ。俺が前にホームレスしてた頃もヤクザがホームレスを騙して、役所に連れて行ってたんだが、生活保護の金を吸い取る為だった」

「マスターも夏海君のお金を騙して吸い取ろうとしてるって事?」

「なんか言葉巧みに騙そうとしてる気がしてさ。変な書類にサインさせられた」

「変な書類?どんな書類なの」

「役所でも何枚も何枚も書類にサインさせられて、あの頃はまだ俺もバカだったから言いなりになったけど…」

「私にはよくわからないんだけど、書類にサインするとまずいの?」

「俺、作家目指しててね。就労支援施設でもその事を話したら、作家になるのを手伝うって言われて、しばらくその件で話してたんだが、本を作る金は出してくれるけど、本が売れても一円もくれないって言うから書くのはやめた」

「作家目指してるの?すごい!私も応援するよ」

「ああ、普通の作家はマージンが一割もらえるんだ。その本が一冊千円なら百円もらえるってわけ。でもその時、もしサインしてたら仮に俺の本が大ヒット飛ばして何千万も儲かっても全額施設の儲けになっちまう…」

「夏海君ならすごい作品が書けそう!」

「施設には知的障害者が多いから、他の人は疑問も抱かずにサインしてて、絵なんか描いたら売られてしまうけど、もちろん作者には一円も支払われない」

「それは酷い…。中には有名になれる才能のある子もいるかもしれないのに…」

「あの喫茶店に飾ってある抽象画は誰かから買い取ったものらしくて、それをマダムたちに高く売ってた。俺の書いた小説に関してもマージンではなく、まるごと作品を買い取るとかマスターに言われて断った…」

「才能のある子から作品を買い取って、自分の物にしちゃってるって事かな?」

「売れてない作家だと喜んで売ってしまう人もいるけど、俺は怖くなって売れなかった」

 夏海は小雪から離れると、机の上に置いてあるマグカップを一つ手に取り、中身をグイッと飲み干した。

「カフェオレが冷めちまった…。小雪さんの分は作り直そうか?」

 小雪も冷めたカフェオレの入ったマグカップを手に取って飲み干す。

「ううん、冷めてるので良いよ?夏海君が淹れてくれたからおいしい」

「冷めたカフェオレなんておいしくないだろ?なんかこれカルキっぽいニオイするし…。あそこの水はあまり体に良くなさそうだな」

「私は別にカルキのニオイなんかしないよ?気のせいじゃないかな…」

「俺も今まで気にしてなかったけど、小雪さんにこんなまずいもの飲ませて申し訳ない」

「美味しかったよ?また飲みたいな!」

「俺、味覚障害もあるから、薬品っぽい味するの苦手なんだ。多分、薬の副作用もあると思うけど…」

「味覚障害?私も薬品っぽい味は嫌いだけど…」

「薬盛られ過ぎて味がわかんなくなってる頃あって、あの頃は何食べても不味かったよ」

「それはわかるかも…。私も十六歳の頃に少し薬を飲んでたから」

「十六歳の頃に何かあったのか?俺、小雪さんの事、何も知らない…」

「私も夏海君の事、何も知らないから知りたい」

「小雪さんが話してくれたら俺も話す」

「また交換条件?十六歳の頃にね…、お母さんが再婚して…、その再婚相手に…レイプされたの…。それから…リスカするようになっちゃって…」

 小雪は手首に巻かれたリストバンドを外した。切り刻んだ痕が出てくる。

「リスカは…した事ないけど、切ると強い快感があるって本で読んだ」

「私の場合…、快感はないけど…、本気で死にたい…、って思ってた…」

「リスカはドラッグで得られる快楽と、ほぼ同じ快感が得られる、って本では読んだんだけど、本を書いた奴はリスカした奴から話聞いて書いてるだけっぽかったから信憑性は怪しいね」

「その本はアテにならないね。私はした事あるけど、血を見てると安心するって言うか、これで死ねる…と思って寝たんだけど、起きたら血が止まってて死んでなかった…」

「経験のない事を書くと、どうしてもリアリティがなくなるからな。経験者が読めば嘘だとバレる。だから俺もなるべく色んな経験はするべきだと思ってるんだけど、別に官能小説を書くつもりはないから、特にやらなくても良いかな?と思ってる」

「それはむしろしてみた方が良いんじゃないかな?官能小説じゃなくても恋愛小説で役に立つでしょ」

「恋愛小説も書く気ないし、子供向けのファンタジーが好きだから、大人がやってるシーンなんか出てこないよ?」

「そんな感じの小説書いてるんだね!読んでみたい」

「めちゃくちゃ長いから読むの大変だと思うぞ」

「短編小説は書いてないの?本を読むのが苦手な私でも読めそうな短いやつ…」

「それじゃ小雪さんの誕生日までに短編小説を書いてプレゼントするよ?」

「本当に?楽しみにしてるね」

「ジャンルは何が良いかな?小雪さんの好きなジャンル、教えて」

「私?恋愛小説が好き!」

「恋愛小説か…。苦手ジャンルだ」

「無理だったらファンタジーで良いよ」

「いや、小雪さんへのプレゼントだから小雪さんの好きなジャンルに挑戦してみるよ?」

「夏海君と私のノンフィクションラブストーリーが読んでみたい」

「自分を主人公にして書くの難しいんだけど…」

「夏海君の考えてる事、全部書いてね」

「俺の頭ん中、全部包み隠さずに書いたら確実に振られる自信がある」

「振らないから!夏海君の心の中、知りたいの」

「とりあえず、服着てくんないかな?」

「ううっ…もうしてくれないの?」

「キスはしただろ?本番はやらないって決めてる…」

「夏海君みたいに純粋な人から見たら、私みたいに穢れた子は嫌いなんだよね」

「嫌いだなんて言ってないだろ?それなら教えてやるよ!今考えてる事、全部」

「うん、教えて?知りたい!」

「この女、簡単にやらせてくれそうだから一発やったらポイしてやる」

「一回でも良いよ?夏海君がしてくれるなら、一生の思い出にするから!」

「はぁ…、その先も教えてやろうか?」

「教えて、教えて!嫌いになったりしない自信ある」

「俺が作家になったら俺の作品が映画化されて、綺麗な女優さんと浮気する。君なんかポイして、君はお腹の中にガキがいるのに露頭に迷うんだ」

「夏海君がデビューしてプロになって映画化するの?しかも私のお腹の中に夏海君の赤ちゃんがいるなんて!幸せ過ぎる未来だね~」

「小雪さんって時々、人の話を全然、聞いてないなって感じる…」

「ちゃんと聞いてるよ?すごく幸せなそうな妄想だね。そうなると良いな」

「君が俺にボロ雑巾のように捨てられてシングルマザーになるってところはちゃんと聞いてたか?」

「私一人でも夏海君の赤ちゃん、頑張って育てるね!きっと可愛い赤ちゃんなんだろな」

「最悪な未来だと思わないのか?」

「どこが?夏海君が有名になって、私は夏海君の赤ちゃんもいて、幸せとしか思えない」

「ダメだ…!君ちょっとおかしいよ?」

「やっぱり私…頭がおかしいのかな?たまに言われる…」

「いや、頭はおかしくはないと思うけど良い子過ぎるね」

「私、良い子じゃないよ?心の中は汚い事ばかり考えてる…」

「君みたいに純粋で優しい子は初めて会ったよ?俺の妄想の中の産物としか思えない…」

「夏海君の妄想の中に入れたら良いな」

「君、俺の妄想の中でめちゃくちゃにされてるよ?」

「私、めちゃくちゃにされてるの?どんな事してるのかな…」

「小雪さんも妄想してるんだろ?どんな妄想なのか教えてよ」

「私の妄想?この前の妄想はね、夏海君がご主人様で、私がメイドさんだった」

「それは…随分ベタな妄想だな。ラノベの世界に近い…」

「夏海君もラノベが好きなの?私もラノベが好きでよく読んでた」

「いや、俺は文学小説の方が好きかな?ラノベはあり得ない展開が多いし、都合の良過ぎる女が出てくるからつまらん」

「あっ、やっぱりそう?なんかそんな気はしてた…」

「それでご主人様とメイドさんはどんな事をしてたのかな?」

「うん、ご主人様が雨で濡れて帰ってきたから、私が拭いてあげてた」

「と言うか俺がメイドを雇える財力があるって事は、すでに作家デビューした後の展開か…」

「昨日の夜の妄想だから、その時は夏海君の夢が何かは知らなかったけど、偶然だけど夏海君の妄想もその夢みたいな展開だね」

「君の妄想と俺の妄想が繋がっていたとは…。事実は小説より奇なりとはよく言ったもんだ」

「うん、それでね。服が濡れてるから脱がせて洗い場に持って行くんだけど、ご主人様が私の服も脱がせて…」

「だんだんヤバい方向になってきたな」

「それで私のお腹の中にご主人様の赤ちゃんが出来ちゃって」

「ああ、重要なシーンを端折られた…」

「えっ、今のってそんな重要なシーンだったかな?」

「重要と言うか飛ばされると読者がガッカリしそうだ…」

「前に妄想したのは図書館に二人で行って夏海君が本を読んでるから、私は机の下に入ってご奉仕してた」

「図書館にデートに行く気はない。図書館は少しでも喋ると、ヒステリックなおばさんに怒られるから、デートに向いてないんだ…」

「他の子と図書館にデートで行ったの?羨ましいな」

「と言うかご奉仕って…。なんかその展開は…」

「私、変態なの…。私の事…嫌いになっちゃった?」

「君、本当に女の子なのか?完全に男の妄想だろ…それ」

「女の子だよ?性転換手術もしてない」

「いや、どう見ても女の子なのはわかってる…」

「夏海君の妄想の方が純情そう…」

「俺はバックからガンガン攻めるとか、もっとエロい妄想してるぞ?」

「えっ?バックから…夏海君に攻められたい!」

「ドン引きするどころか悦ぶとは…。君は本当に変わってるね?」

「今夜はバックから攻められるところ妄想して寝るね!」

「君がやめて!って言ってもやめない」

「やめてなんて言わないかも…。もっとして?って言っちゃう!」

「妄想の中の君より実際の君の方が現実味のない発言をしてる…」

「夏海君が思ってるような良い子じゃなくてごめんね…」

「いや、俺の妄想力が現実に負けていたようだ」

「でも夏海君の妄想の方が良いと思う」

「妄想の内容をそのまま小説にしたらヤバい事になるから、ちょっとソフトにして書く事にするよ。君の誕生日はいつなんだ?」

「私の誕生日?十一月だけど、まだまだ先だね」

「それだけあれば構想を練る時間もたっぷりあるな」

「官能小説は書くつもりないって言ってたけど」

「官能小説も書けなくなはないが…。官能小説が読みたいのか?」

「ちょっと読んでみたいかも?夏海君としてるシーン読みたいな。せめて小説の中では」

「めちゃくちゃ難しい注文してくるね。最初の彼女はホラーを注文されたんだが全然、怖くないって言われた」

「ホラーはあまり好きじゃないよ」

「ホラーが好きな女は性格が悪い…。人が傷付いてるのをゲラゲラ笑いながら見てて嫌だった…」

「その元カノさんとは映画館にデートに行ったの?私も一緒に行きたい…」

「ああ、どうしても一緒に見たい、って言うから行ったけど、映画のチケット高いんだよ!今は半額で観られるけどな」

「なんか元カノさんの話聞いてると切なくなってくる…」

「元カノの話はもうやめとく。聞きたくないだろうし…」

「うん、あまり聞きたくない」
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