夏の雪

アズルド

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第五章

白い雲

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 待ちに待った約束の水曜日。放課後になると二人でバスに乗って一時間以上かけ、夏海の家に行った。バス停から歩いて数分の民家に案内される。小雪が玄関のインターホンを押そうとすると、夏海に手首を掴まれて止められた。

「インターホンは押さなくて良い」

「あっ、つい癖で…」

「俺の部屋はこっちだよ?付いて来て」

 庭に建ててあるプレハブ小屋の前に来ると引き戸をガラガラッと開ける。

「これが…夏海君の部屋なの?家の中には入らないんだね…」

「ああ、父親がいるからな。暴言吐いて来るし、関わりたくない」

「お父さんと仲が悪いんだね」

「カフェオレ、飲むか?スティックのやつだけど、喫茶店だと一杯四百円だが、これは一杯四十円くらいだな」

「カフェオレ、飲みたい!夏海君が淹れてくれるのなら、きっと美味しいよね」

「スティックのだから誰が作っても同じ味だよ?お湯を沸かすから、ちょっと待ってて」

 夏海はゴソゴソとカセットコンロを取り出すと、小さめの片手鍋に庭の水道で水を汲んで来て、お湯を沸かし始める。

「あっ、ちょっと着替えたいんたけど、トイレはないよね…」

「トイレは家の中だな。おしっこなら庭でしちまうんだけど、女子は無理か…」

「家の中には入っちゃダメなんだよね」

「家の中に入っても小雪さんみたいな美人なら、あのエロ親父も優しくしそうだ…」

「エロ親父なんだ?なんか夏海君にそっくりなイケメンのお父さん想像してた」

「昔はイケメンだったと母親も言ってたけど、今はただのオッサンだよ?」

「着替えたいだけだから、トイレには行かずに、ここで着替えても良い?」

「ここで着替えるのか?とりあえず、あっち向いとくから早くしろよ」

 夏海はカフェオレの粉が入ったマグカップにお湯を注いで、部屋の中央の机の上に置くと背中を向けて座った。小雪は制服のボタンを外して、綺麗に畳みスポーツバックの中に入れる。

「うん、でも夏海君になら見られても平気だから、振り向いても良いからね?」

「またそう言う事、冗談で言うだろ?そう言うの男はマジで本気にするから、ふざけて言うのはやめとけ!襲われたら君が誘ってきたから悪いって言うからな」

「わざと夏海君を誘ってるの。いつもこんな事は絶対に言わないんだよ?」

「俺を試してるのか?絶対に襲われないって高を括ってたら襲われて、後悔しても知らんぞ!」

「えへへ、今日は可愛いパンティーにしてきたから、見られても大丈夫だもん」

「可愛いパンティー?どんな柄だ」

「蝶柄だよ?ちょっとセクシー系かも」

「セクシーな蝶柄…。完全に小悪魔だ」

「友達に選んでもらったんだけどね。少し派手な気もするけど…」

「俺がチェリーボーイだから、からかって楽しんでないか?」

「チェリーボーイだったの?経験豊富だと思ってたのに」

「俺のどこが経験豊富に見えるんだ?」

「落ち着いてるし、ガツガツしてないから、恋愛経験豊富そうだなって…」

「恋愛経験はほぼないな。付き合った事あるのは三人くらいか…」

「三人もいたの?いいな、その子たち」

「良くないよ?ロクなデートも出来ないし、安い事しか出来ん。遊園地とか映画館とか行きたがってたが、障害認定受けたら半額になる場所もあるけど、当時はまだ障害認定が受けられなくて…」

「映画も半額になるんだね。バス代も安くて羨ましい!」

「羨ましいって…。それだけの障害があるから半額になるんだぞ?左目を潰されたいのか!」

「ごめん…、なんか怒らせる事…、言っちゃった?」

「いや、なんかもう…ちょっと…蝶柄のせいで…イライラしてた…。ごめん!」

「蝶柄が嫌いなの?失敗しちゃった…」

「蝶柄は好きだけど、あまり誘惑しないでくれ…。顔がガキっぽくても中身は大人の男なんだ。子供だから安心とか思ってたら…、大変な事になる!」

「中身は大人の男なの?見てみたいな」

 夏海が振り向くと小雪はまだ下着姿のままで着替え終わっていなかった。夏海は慌てて目を閉じると背を向ける。

「まだ着替え終わってないのか!」

「夏海君にだったら…何されても嫌じゃないよ」

「したらガキが出来るかもしれねぇだろが!バカ…」

「赤ちゃんはそんな簡単に出来ないよ?私…レイプされた後…病院に行ったんだけど…あんな事されても…赤ちゃんは出来てなくて…先生に聞いたんだ…」

「やったら出来るもんじゃないのか?」

「赤ちゃんが出来る確率は百回に三回くらいの低確率なんだって。だから不妊症で悩んでる人が多いんだよ?」

「それは知らなかった…」

「夏海君でも知らない事あるんだね?」

「俺にも知らない事はたくさんある。自分がバカ過ぎて嫌になるくらいにな!だから勉強しまくってんだよ?」

「レイプされた後は…赤ちゃんが出来たらどうしよう…って悩んでたけど…夏海君の赤ちゃんなら…産みたいなって…」

「俺は虐待されて育ってる。虐待の連鎖って知ってるか?俺はガキを虐待する可能性がかなり高い。だからガキは作りたくない」

「夏海君なら大丈夫だよ?虐待なんかしないと思う」

「なんでそんな無責任な事が言えるんだよ?虐待しちまったら、そのガキが苦しむんだぞ!」

「そんな風に考えられるのは夏海君が優しいからだよ?」

「とにかく俺はガキは作らないって決めてる。この前、別れた理由もそれが原因だった」

「この前?最近まで彼女がいたんだね」

「この前って言っても一年以上前だけどな。したいって言われたけど断ったら、わけわかんない事言って振られたよ?」

「きっと愛されてない、って思っちゃったんだね…。その元カノさん」

「ああ、愛してないからしないんだとか言われてさ、ヤリモクの男は嫌いとか言ってた癖になんでやりたがるんだよ?」

「ヤリモクの男は私も嫌いだよ。そんな人とはしたいと思わない」

「愛してるからしないんだよ?虐待しちまったらガキも可哀想だろ!」

「夏海君は虐待なんか絶対にしないよ」

「わかんねぇだろ!本には書いてあったんだ。虐待をしないって決めてても、しちまった親の話がな」

「本に書いてある通りになるかわかんないじゃない?夏海君なら大丈夫だよ…」

「そう思ってたけど虐待してしまったらしい。だから多分、俺もしちまう」

「夏海君は本当に優しい人だと思う。こんな優しい人に初めて会ったんだよ?」

「優しくなんかない!毎晩、君をレイプする妄想してたし、君をレイプした男と俺は何にも変わんねぇよ?やりたくて堪んねぇんだ」

「私をレイプした男とは全然、違う!」

「違わねぇ!初めて会った時も背後から抱き付いた時に、襲いたいと思ってた」

「そうなんだ?夏海君にそう思われてたなんて嬉しいよ」

「あんまり誘惑するな!マジで襲うぞ」

「襲って欲しい。私も毎晩、布団の中で夏海君の事、考えながら変な事してた」

「小雪さんでもそう言う事するのか?」

「そうだよ?いけない子なの…。夏海君の方が純粋だと思う」

「う~ん、俺はやった事ないから、どんくらい気持ち良いのかわかんねぇし、もしやっちまったら、もうやりたいって衝動が抑えられなくなって、やりまくるクソ男に成り下がる気がしてる」

「夏海君はやりまくらないと思うけど」

「だからそれが甘いんだって?麻薬と同じだよ。一回やったら終わりだ…」

「麻薬とは違うと思うんだけど…」

「違わねぇ!麻薬やってる奴は大概、やりまくってるらしいし、快楽に溺れると言う共通点がある。人間なら誰でもそうなるんだよ?自分は大丈夫って思ってる奴ほどそうなる」

「じゃあ夏海君は大丈夫だね。自分は大丈夫って思ってないから」

「人の話を全然、聞いてないな…」

「聞いてるよ?夏海君の話は全部、私の記憶の一番大事な場所にしまってて、夏海君の言った事は全部、覚えてるんだからね?」

「確かに小雪さんは記憶力が良いな。他の女は何度、同じ話をしても忘れてるのに、一回言えば覚えててビックリした」

 小雪は夏海のそばまで行くと後ろから抱き付き、股間にそっと手を置く。

「大きくなってる…。私で欲情してくれてるの?嬉しい」

「勝手にそうなるんだ!自分でコントロール出来ない…」

「私の体が穢れてるから抱きたくならないの?」

「違う!体が穢れてるとかそんなもん、どうでも良いんだよ?男はやれれば誰でも良いくらいの感覚しかないから、女が思うほど経験数は気にしてない…」

「でも嫌がる男の人は多いよね?彼女の経験数が多いと」

「それはヤキモチ妬くだけだ。俺以外の男に触れさせたくないって考えてるだけだから、自分はやりまくりたいけど、彼女にはやりまくらないで欲しいと思ってる。要するに自己チューなんだよ」

「私も彼氏には…他の人とはして欲しくないよ」

「普通はやらんだろ?君の友達の彼氏が頭おかしいんだよ!つーか、君の友達も可哀想だから、別れた方が良いと思う」

「私の周りの人達、そう言う人ばかりだから当たり前になっちゃってて、別れるようにその子にも言ったら、私の方が悪いって責められた…」

「理解不能だ…。俺の周りにはそんな奴は多分いないと思いたいが、俺が知らないだけで、そいつもクソ男の可能性があるのかもな」

「だからね、夏海君に会った時に世の中にはこんな優しい人もいるんだ…って思ったんだよ」

「優しくねぇって?なんか美人が飛び降りようとしてるから、ドサクサに紛れて抱き付いてやれ!と思っただけだ」

「それは嘘…。あの時、本当に飛び降りるつもりだったんだ。なかなか踏み出せなくて…、そしたら君が助けてくれて…生きようと思った…」

「死ぬつもりないって言ってた癖に嘘つきだな」

「嘘ついて、ごめんなさい…。心配かけたくなくて嘘ついちゃった…」

「嘘つきは嫌いだけど、許してやるよ」

「ありがとう…、今まで出逢った人の中で一番…大好きだよ…。夏海君…」

 突然、振り返った夏海に、手首を掴まれて押し倒されると、唇を奪われた。小雪は悦びでとろけてしまいそうになる。

「キスは上手いだろ?何千回、いや何万回もした事あるから」

「そんなにしてたんだ?」

「キスしてもガキは出来ないからな…」

「ファーストキスが…夏海君だったら…良かったな…。こんな気持ち良くなるキス初めて…」

「キスくらいなら何回でもしてやるよ?俺はキス魔だから嫌ってくらいキスされるの覚悟しとけよ!」

 夏海は何度も何度も唇を重ねる。小雪は幸せの絶頂に達していた。恍惚の表情で腕を首に回して抱き付いた。

「夏海君と付き合ったら幸せになれる未来しか見えない」

「俺は君と付き合っても不幸になる未来しか見えないけどな」

「どうして?私の事、嫌いなの…」

「好きだからだよ?俺みたいな奴が君を幸せに出来る自信がない」

「一緒にいられるだけで幸せだから…」

「障害者雇用すると税金とか色々免除されるから雇ってくれるところはあるんだけど、障害者に支払われる工賃が酷過ぎるんだ」

「工賃ってお給料の事かな?」

「ああ、工賃の相場は時給換算すると五十円から二百五十円。朝九時から夕方五時まで働いて月一万円とかだぞ?」

「それは酷いね…。障害保険が七万って言ってたから月八万って事?」

「そんな感じだ。君やガキを養うほど稼げない」

「今、働いてる喫茶店はいくらもらってるの?」

「あそこは時給千円だな。平日は一日で三千円だが、土日はフルで働いて一日八千円もらってる」

「それなら大丈夫じゃない?」

「前にも話したけど、あの店にずっといる気はないんだ」

「バイトの女の子が嫌いだから?」

「実は色々と不満があってさ。あのマスター…、良い人ぶってるから…上手く言えないけど怪しい…」
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