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第六話 無知

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起きたら夜の七時だった。
お兄ちゃんが、キッチンで野菜を刻む小気味いい音が聞こえる。

「おそよう」
「おそよう、麻衣」

兄はいつも通りの手早さで野菜を刻み終わり、鍋に放り込んだ。
顔色にも変化は無いし、どうやら嫌われてはいないらしい。

いつも通りの食卓。いつも通りの家族団らん。
思いを告げた私には、それが一番有難かった。

テーブルからむくむくと這い出し、ピンクの水玉のパジャマを着る。
家にいるときはこの服装が一番動きやすくて、好きだ。

「もうすぐで出来るからな。お腹すいただろ」
「うん!」
「思春期だからな。いっぱい食べろ」

お兄ちゃんは私の話を真剣に受け止めてくれて、それでも笑顔でいてくれた。
すごい強い人なのだ。私の、憧れの人。

私は顔のいい兄を横目で観察しながら、スマホのSNSタブを開いた。
フォローしている漫画やアニメの話題が、どんどんタイムラインに流れていく。

仲のいいフォロワーはそんなにいないけど、ここも私の大事な居場所だ。
特に、学校に行けなくなってからは。

『16の誕生日でした!』
『おめでとう!リカちゃん』

私と同い年のフォロワーの子に、おめでとうリプを送る。
自分の好きな事ばっかりが流れるここのTLは、私がのびのびと暮らせる場所だった。

『今期のアニメ見た?』
『ピーシブでも作品結構上がってたよね!』
『わかる~結構いいよね』

だいたい同い年の、話が分かる子たちの集まりで構成されたゆるやかな流れ。
苦手な人はブロックすればいい。
好きな人だけ、フォローして話せばいい。

でも、そんな仲良しグループの中でも、もめ事は発生するのは私も知っている。

『お前ぶりっこうざい』
『は?お前こそ厚化粧のくせに自撮り上げてキショイんだよ』
『お前の病みポエムのほうがキショイんだよオタサーの姫がよ』

もちろん直接悪口リプを送りあったりはしない。そこまで彼女たちは馬鹿じゃない。
でも、鍵垢や空リプなんかでの喧嘩は結構あった。
誰かが誰かをブロックしたり、時には通報したり。

私はそれを見るたびに具合が悪くなって、でも誰かからの承認が欲しくてSNSがやめられなかった。
お兄ちゃんに隠れてリスカの自撮りを上げた時は150いいねもついた。
顔出しや体の一部出したら、もっといいねもらえるかな。
こんな気持ち悪い私も、承認してもらえるかな。

『えむって言います!絵を書くのとアニメが好きです。
 中高生です!病み垢さんとかアニメ垢さんとつながりたいな!
 #つながりたい』

今日もハッシュタグを付けて、
自分の飢えを誰かからの承認で満たそうとする。
こんな所も、私は醜い。汚い。でもやめられない。
本当に承認をもらいたい人はただ一人なのに。

私はきっと、馬鹿なんだろう。

「ふう」

思ったより長文になってしまった。
これでは最後まで読んでもらえないかもしれない。

私は肩を落として、ベッドに寝転がった。

天井を見る。
お母さんと一緒に買いに行った、ホームセンターの壁紙がある。

「親がいないのも、兄を好きになったのも、私のせいじゃないのに」

ぼやいてもしかたないことをぼやく場所には、SNSは最適だ。
兄に言ったらまた心配をかけてしまう。

「あ~あ」

本当の幸せのかたちを知っているはずなのに。
兄に愛される事でしか、この空洞は埋められないはずなのに。
それでもSNSで、心に空いた穴を埋めようとしている。

私のフォロワーもそうだ。
みんな十代で、繊細でどこか寂しそうで。
皆、明日の朝が来ない事を望んでいる。

「今から死んできます」なんてツイートもたまに流れる。
「おつかれさま」「来世は幸せになりたいね」なんて返信が付いている。

わたしもこうなるのだろうか。
兄に拒否されたら。
唯一生きている家族から見放されたら、私も死ぬだろうか。
学校にも行けなくて、ただご飯を食べて本を読んで眠るだけの生活。

落ち着かなくて、部屋の明かりを消す。
自分が暗がりと同化できている気がして、少し安心する。

よく希望の事を光と表現するが、私にとって兄は
暗がりを照らす懐中電灯だった。

「ひとりにしないでよ、ひとりは嫌だよ」

腕の傷跡をかきむしりながら、他人にとってはどうでもいいツイートをする。
何の意味も無い行為。何の意味も無い生活。

「……はあ」

自分のハッシュタグ付きのツイートをし終わって、ひと段落したころ、
あるツイートが目に飛び込んできた。

『近親相姦とかマジキモい。日本の奴らはこんなもので興奮してるってマジ?
 ドン引き。人として無理』

自分でも瞳孔が開くのを感じた。震える手で返信欄を覗く。
……返信欄には、私と交流があるフォロワーもいた。

『マジキモイ。去勢されてほしい』
『そんな奴らがいるからこの国はいつまで経っても良くならないんだよ』
『一生刑務所にぶち込まれてろって思うね』

お腹からこみあげてくる急激な吐き気とめまいを感じ、その場にうずくまる。
震える手をどうにか動かして、スマホの電源を切る。
それが私が出来た、精いっぱいだった。

「あああ……」

わかっていた。
例え兄に話を聞いてもらおうと、この思いが肯定されることは決してない。
世間からは石を投げられ、訳もないのに侮辱され、笑いものにされる。

近親に向けた恋は、存在自体が悪だ。

「じゃあ私は、生きてるだけでもいけないって事……?」

兄に話した時に枯れたはずの涙が、止めどなくあふれ出す。
人ってこんな泣けるんだ、なんてどこか他人事のように思った自分もいた。

「麻衣、味見……おい、どうした」

具材を炒めていた兄が火を止め、心配そうにこちらに駆け寄る。
私はどうこの痛みを伝えていいかわからなくて、自分の涙を拭ってばかりいた。

「麻衣、またネットで何か見たのか?」
「うん……」

うなずく気力も無くて、ただうなだれる。
兄はそんな私にハンカチを差し出した。花柄の、お母さんの形見。

「俺も母さんも父さんも、みんなお前の事を思ってるから。
 心配するな。俺はいつでもお前の側にいる」
「うん……」

震える私の頭を撫でる、大きな手。
そのぬくもりに、安堵の涙が出そうになる。

でも私は知っている。どんなに許容してもらっても、それと理解は違う。
兄は優しいから、私の事を家族として受け入れようとしてくれているだけだ。
私の恋は、絶対に実る事は無い。

カレンダーを見る。明日は土曜日だ。

「冬木お兄ちゃん」

兄の、そして好きな人の名前を呼ぶ。

「明日、デート1回目はどう?」
「ん?……いきなりだな。いいけど」
「……ありがと」

この夢を、少しでも長く見ていたいから。
……兄に、私の事を見ていてほしいから。
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