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部屋に足を踏み入れると、古い紙の匂いが部屋を満たしていた。この紙の匂いが春信は好きだった。
本棚を眺め回し、春信は一冊の本を取り出す。それは昔に清次と交換して読んだマルクス経済学の本だった。あの頃はさっぱり内容が分からず、解読不明な呪文のような本を前に戸惑っていた。
それでも読み耽っている清次の邪魔にならないように、読んだ振りをし続けていたのだ。
感傷に浸りながら、春信は頁を捲る。
難解な文章に苦戦しながらも何とか目を動かしていく。ずっとこの場所に囚われ続けるのは、どうにも性に合わないだろう。だからこそ、少しでも彼と肩を並べられる状況を作る為にも、こうして足掻くしかなさそうだった。
「随分と君には似合わない本を読んでいるね」
春信は驚いて顔を上げる。部屋の扉を閉め、清次がこちらに近づいてくるところだった。既に洋装に着替えていて、黒のネクタイに茶色のベスト姿だった。
「面白みなどないだろ? 昔みたいに、空を見ている方がマシってものじゃないのかな」
「まさか、気付いてた?」
「気付かないはずがないよ。頁が進んでいないのだからね」
春信は「君には敵わないよ」と顔を顰める。
「探偵小説を読んでいるわりには、君はそういった所に気付かないのだね」
「僕は探偵じゃない。所詮は和菓子屋の息子だ」
春信は躍起になって言い返す。その様子を面映ゆそうに清次は見つめる。
「そうやって意地を張る君も好きだよ」
清次に腰を抱かれ、春信は引き寄せられる。そのまま唇を重ねられ、春信は促されるままに唇を開く。あっという間に清次の舌先が入り込んでくる。
昨日の熱が再び立ち上りそうになったところで、扉を叩く音がした。春信は慌てて顔を離す。
「朝食の準備が整いました」
外から倉田の声が聞こえ、清次が「今行く」と返事をする。
「この続きは夜にね」と春信に囁きかけ、清次は先に部屋を出て行ってしまう。春信は本を棚に戻し、少し経ってから煩わしい頬の熱を抱えたまま部屋を出た。
用意された朝食を終えると、春信は清次を見送る為に玄関に立つ。
「じゃあ、行ってくる。今日は早く帰るよう努めるよ」
清次は帽子を被ると、爽やかな笑みを称えて背を向ける。
「行ってらっしゃいませ」と倉田が頭を下げる横で、春信は黙ったまま見送った。
倉田はすぐに家事に取り掛かり、春信は手持ち無沙汰になる。清次に言われた通り、許可無く外に出るのは叶わない。家の中で過ごすとなれば、読書するしかなかった。
本当なら毎日のように作っていた餡を拵えたくもあったが、小豆がなければ出来ないだろう。
春信は諦めて二階へと上がる。大人しく本の海を彷徨う為に、書室へと足を踏み入れる。
さっきまで目を通していたマルクス経済学の続きを開く。だがどうしても、目が滑ってしまい、気付けば明臣はどうしているのか、家は今一体どうなっているのかとそればかりが気になってしまっていた。
状況を知りたくとも、連絡を取る手段もない。手紙を送るにしても、近況を伝えようがなかった。それに明臣が、この場所に乗り込んでくる恐れがある。でももし、その手を取って逃げ出せたならば――
実家も何もかも捨て、二人で手を取り合い遠い地に移り住む。『氷層』では二人は心中してしまったが、自分たちならば何とかなるのではないのだろうか。
そんな妄想をしてから、春信は被りを振る。
邪念を追いはらい、もう一度本に視線を向ける。しばらくは読み進め、溜息を吐くと栞を挟んで本棚に戻す。
気晴らしに庭を散歩するために外に出る。美しい薔薇が咲き誇る花壇を眺めていると、ふと門扉が目に留まる。嫌な鼓動を立て、心臓が脈を早めていた。
「春信様」
背後から声が聞こえ、春信は肩を跳ね上げる。
瞬時に振り返ると、籠を持った倉田が立っていた。
「これから買い物に行って参ります。何か必要な物はありますか?」
その問いに春信は「出来れば小豆と砂糖を」と咄嗟に口にしていた。そこですぐに、砂糖は高価な代物であることを思い出す。春信はすぐさま「あ、やっぱりいい」と言い直す。
「すでに台所の棚に入っておりますよ」
「えっ?」
「清次様から仰せつかっております。砂糖と小豆は必ず用意しておくようにと」
「清次君が……」
「台所にありますので、ご自由にお使いください」
そう言い残して、倉田は買い物に出てしまう。
家は無人となる。今なら、誰にも止められることなくここを出ることも出来るだろう。
それなのに春信の足は、そちらに向けることが出来なかった。
本棚を眺め回し、春信は一冊の本を取り出す。それは昔に清次と交換して読んだマルクス経済学の本だった。あの頃はさっぱり内容が分からず、解読不明な呪文のような本を前に戸惑っていた。
それでも読み耽っている清次の邪魔にならないように、読んだ振りをし続けていたのだ。
感傷に浸りながら、春信は頁を捲る。
難解な文章に苦戦しながらも何とか目を動かしていく。ずっとこの場所に囚われ続けるのは、どうにも性に合わないだろう。だからこそ、少しでも彼と肩を並べられる状況を作る為にも、こうして足掻くしかなさそうだった。
「随分と君には似合わない本を読んでいるね」
春信は驚いて顔を上げる。部屋の扉を閉め、清次がこちらに近づいてくるところだった。既に洋装に着替えていて、黒のネクタイに茶色のベスト姿だった。
「面白みなどないだろ? 昔みたいに、空を見ている方がマシってものじゃないのかな」
「まさか、気付いてた?」
「気付かないはずがないよ。頁が進んでいないのだからね」
春信は「君には敵わないよ」と顔を顰める。
「探偵小説を読んでいるわりには、君はそういった所に気付かないのだね」
「僕は探偵じゃない。所詮は和菓子屋の息子だ」
春信は躍起になって言い返す。その様子を面映ゆそうに清次は見つめる。
「そうやって意地を張る君も好きだよ」
清次に腰を抱かれ、春信は引き寄せられる。そのまま唇を重ねられ、春信は促されるままに唇を開く。あっという間に清次の舌先が入り込んでくる。
昨日の熱が再び立ち上りそうになったところで、扉を叩く音がした。春信は慌てて顔を離す。
「朝食の準備が整いました」
外から倉田の声が聞こえ、清次が「今行く」と返事をする。
「この続きは夜にね」と春信に囁きかけ、清次は先に部屋を出て行ってしまう。春信は本を棚に戻し、少し経ってから煩わしい頬の熱を抱えたまま部屋を出た。
用意された朝食を終えると、春信は清次を見送る為に玄関に立つ。
「じゃあ、行ってくる。今日は早く帰るよう努めるよ」
清次は帽子を被ると、爽やかな笑みを称えて背を向ける。
「行ってらっしゃいませ」と倉田が頭を下げる横で、春信は黙ったまま見送った。
倉田はすぐに家事に取り掛かり、春信は手持ち無沙汰になる。清次に言われた通り、許可無く外に出るのは叶わない。家の中で過ごすとなれば、読書するしかなかった。
本当なら毎日のように作っていた餡を拵えたくもあったが、小豆がなければ出来ないだろう。
春信は諦めて二階へと上がる。大人しく本の海を彷徨う為に、書室へと足を踏み入れる。
さっきまで目を通していたマルクス経済学の続きを開く。だがどうしても、目が滑ってしまい、気付けば明臣はどうしているのか、家は今一体どうなっているのかとそればかりが気になってしまっていた。
状況を知りたくとも、連絡を取る手段もない。手紙を送るにしても、近況を伝えようがなかった。それに明臣が、この場所に乗り込んでくる恐れがある。でももし、その手を取って逃げ出せたならば――
実家も何もかも捨て、二人で手を取り合い遠い地に移り住む。『氷層』では二人は心中してしまったが、自分たちならば何とかなるのではないのだろうか。
そんな妄想をしてから、春信は被りを振る。
邪念を追いはらい、もう一度本に視線を向ける。しばらくは読み進め、溜息を吐くと栞を挟んで本棚に戻す。
気晴らしに庭を散歩するために外に出る。美しい薔薇が咲き誇る花壇を眺めていると、ふと門扉が目に留まる。嫌な鼓動を立て、心臓が脈を早めていた。
「春信様」
背後から声が聞こえ、春信は肩を跳ね上げる。
瞬時に振り返ると、籠を持った倉田が立っていた。
「これから買い物に行って参ります。何か必要な物はありますか?」
その問いに春信は「出来れば小豆と砂糖を」と咄嗟に口にしていた。そこですぐに、砂糖は高価な代物であることを思い出す。春信はすぐさま「あ、やっぱりいい」と言い直す。
「すでに台所の棚に入っておりますよ」
「えっ?」
「清次様から仰せつかっております。砂糖と小豆は必ず用意しておくようにと」
「清次君が……」
「台所にありますので、ご自由にお使いください」
そう言い残して、倉田は買い物に出てしまう。
家は無人となる。今なら、誰にも止められることなくここを出ることも出来るだろう。
それなのに春信の足は、そちらに向けることが出来なかった。
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