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第三章
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しおりを挟む天野は造船業を営む家に生まれた。
父と母と妹の四人家族で、父は仕事でほとんど家にいなかった。妹の泰子は三歳下で女学校に通う、器量が良いが気の強い女性だ。
当時は第一次世界大戦によって日本は好景気を迎え、造船業を営んでいた天野家もそれにあやかり一気に船成金と呼ばれるほどの富を得た。
父はより一層仕事に精を出し、病気がちだった母を放ったらかしにして滅多に家に戻ることはない。そんな事より、この好景気に取り残されまいと目先の欲に走っているようだった。
金銭に余裕がある分、都内に暮らして良い教育を受けることが出来たが、母の様態は悪化の糸を辿っていて、特に肺を病んでいたようだった。都内では車が多く走っていた事もあり、その排気ガスのせいで外出もままならない。
その事に気に病んでいた天野は渋る父に頼み込み、母を自然豊かな地へと移した。その場所はかつて、偽りの家族旅行をした島だ。天野も一緒に移りたかったが、学業を疎かにすることを母が反対して断念した。
母が療養先に移った後も父は母の見舞いには行かず、学業の合間を縫って天野と泰子だけで母の見舞いに行っていた。
天野にとって父は守銭奴にしか他ならず、自分達兄妹や母を放ったらかしにする人でなしとしか思っていない。
一方で母は最期まで父の悪口をいう事はなく、それどころか「あの人とは死ぬまで一蓮托生だから」と笑っていた。母がいくら夫婦として死ぬも生きるも一蓮托生だと思っていても、父はきっとそんな事思ってはいないだろう。
たとえ見合いの席で池に浮かぶ蓮の花を見て、父が母に「一蓮托生の覚悟を持って君と夫婦になりたい」と言っていたなど、そんな事は所詮まやかしにしか過ぎない。
母を好いていたわけではなく、資産家の娘だからというだけで逃したくなかっただけなのだ。母に愛があるなら、愛人など作らない。それに見舞いにも来るはずだ。
天野はずっと父に不信感と憤りを感じながら生きてきた。それでも母が悲しまないようにと、余計なことは言わずに口を噤んでいた。
天野が十七歳、泰子が十四歳の時に、母は流行病によって亡くなってしまった。
兄妹で母の最期を看取り、骨は都内に持ち帰った。天野は母のような慈悲深い心で父を許すことは出来ず、それどころか怒りと憎しみを募らせていた。
憎悪を膨らませ続けること、三年の歳月が流れた頃。天野の人生が変わるほどの出来事が、突如として起きる。
天野は二十歳になり帝国大学文学部に通う学生で、泰子は十七歳で高等女学校に通っている。
女性は基本的に学業よりも早く嫁に嫁ぐほうが良いとされていて、泰子の学友の殆どが中退して嫁いでいってしまっていた。
天野は少しばかし泰子の行く末を不安に思っていたが、対する泰子はあっけからんとしていて、結婚に対しては無頓着なようだった。
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