作家は二度、炎上する

箕田 はる

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 コーヒーの抽出作業を始めると、辺りに香ばしい豆の香りが漂い始める。語部は食器棚から二人分のカップと皿を一枚取り出した。冷蔵庫に入っているショートケーキを皿に移し、フォークを添える。すぐ近くの洋菓子店で、語部が午前中に買ったものだった。
 淹れたてのコーヒーとケーキを乗せたトレイを手に、テーブルに近づく。途端に慌てたように安時が腰をあげようとした。
 語部が睨みつけ「動くな」と言うと、ストンと再び安時の腰が落ちる。拳銃を突きつけているわけでもないのに、安時の怯えようは役者級だった。
「先生、いつもすいません。僕のために……」
 恐縮したように安時が頭を垂れる。ぴっちりと揃った前髪がさらりと揺れた。
 その坊っちゃんみたいな前髪が幼く見えるのだと、以前に語部は指摘したことがあった。安時も「なるほど。さすが先生」と納得し、翌日には前髪を後ろに撫で付けて現れた。だが予想に反し、背伸びした高校生男子にしかみえなかった。七五三で子供が化粧したときのような違和感にも近い。結局は元の髪型のほうがマシだという結論に至り「やっぱり戻せ」と語部が言ったことで、安時もそれに従っていた。語部が安時の為に用意した整髪剤は、渡すことなく自分で使った。
「別にお前の為じゃない」
 語部は心外だとばかりに吐き捨て、ケーキとコーヒーをテーブルの上に並べていく。
「でも先生の分、いつもないじゃないですか。甘い物はお嫌いですよね」
「別に何だって良いだろう。もらったんだよ」
 吐き捨てるように言ってから語部は安時の隣に腰を下ろす。一つしかないソファに男が二人。どうもむさ苦しい。来客用のソファも買うべきか、でも安時ぐらいしかこの部屋には来ない。もったいないと、語部は我慢することを選んだ。
「僕も今度、辛家からやの明太子おにぎり持ってきますよ。明太子お好きですよね」
 辛家とは明太子おにぎりで有名な店だ。福岡から取り寄せた選ばれし明太子をその場で、魚沼産のコシヒカリで包み込んでいる。海苔もこだわっていて、各名産地から取り寄せたものを選べる仕組みになっている。
 まだ福岡県の海苔は食べていないと、語部は密かに歯噛みした。都内に一店舗しかなく、場所も語部が住んでいる地域から電車で一時間以上はかかる。出版社に顔を出す用事がない語部にとって、願ってもみない申し出だった。それでも「いらない」と言って、語部は険しい顔のままカップに口を付ける。
 何も書けていない今の立場で、何か差し入れをされるのは嫌だった。外での打ち合わせを語部が拒んでいるのも、お金がかかって接待になってしまうからだ。
 貢献していないにもかかわらず、出版社に無駄な経費を払わせるわけにはいかない。今ですら、人件費や交通費をかけて安時は語部の元に来ているのだから、それ以上の経費は掛けて欲しくない。それが語部の心情だった。
「でも、先生好きじゃないですか。辛家のおにぎり。こちらに来た折には、いつも寄っていかれているようですし……」
「どうしてそんなこと知っているんだ」
 カップから口を離し、語部は隣に座る安時を睨んだ。
 安時は肩を竦め「担当作家の好みの把握も編集者の仕事ですから」と言って、ケーキを口に運んでいる。ケーキに夢中なせいか、語部が睨みを効かせていることに気づいていないようだった。
「そうじゃない。なんで店に行ったことまで知っているんだ」
 辛家は出版社のある最寄り駅の近くにある。美味しい明太子のおにぎりが食べれる店だと知って、語部は数年前から出版社に寄ったついでに行っていた。けれども出版社とは逆の改札口に店はある。しかも、知る人ぞ知る店なだけあって、入り組んだ路地裏に構えられていた。その店目当てで行かなければ、気づくはずのない場所だ。
「なんでって、僕は先生の担当だからです」
「それは関係ないだろう」
「ありますよ。とても重要です」
 最後の一切れを口に入れ、安時は残念そうに目元を皿に伏せた。まるでお菓子を食べ終えてしょげる子供のようだった。クリームを余さず食べようとしているのか、横にしたフォークで皿の隅々を掻いている。
「まだ残ってる。食べるか?」
 語部がため息混じりに問う。一個じゃ足りないのは、日頃の安時の甘党ぶりを見て知っていた。
 安時は嬉しそうに「はい」と言って、顔をあげる。目をキラキラとさせ、皿を差し出した。語部はグッと眉を寄せると、安時から皿を受け取り腰を上げた。
 安時がもう一つのケーキを頬張ったところで、やっと満足したのか「次回作の案はでましたか?」と仕事の話を始めた。
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