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しおりを挟む語部は渋い顔で「まだない」と、素っ気なく言った。
毎日のようにパソコンと向き合ったり、気分転換にメモ帳片手に外に出ていた。何かヒントとなる時事ネタはないかと、ニュースや新聞にも強く意識を向けてもいる。それなのに、話がぱったりと浮かんでは来ない。出てくるのは溜息ばかりだった。
「そうですか。まぁ、焦らずに一緒に良いネタを探していきましょう」
落胆している様子はなく、安時は「そういえば」とすぐさま話を転じた。
「先生、テレビ付けていいですか?」
安時はそう聞きつつも、すでにテレビのリモコンを手にしていた。テレビをつけるなり、画面を切り替えていく。語部に対して恐怖を抱いているように見えて、ちゃっかりと自分の意志を通すところが安時にはあった。特に仕事のことになると、それは一際強くなる。
やっと止まった画面には、一人の男がスケッチブックを片手にスタンドマイクを前に立っていた。長めの前髪が黒縁眼鏡を隠し、俯きがちに頭を垂れている。まるで謝罪会見のような光景だ。
だが、背後に吊り下がっている看板には「第八十五回里垣 清太郎文学賞」と書かれている。それに男の背広の胸元には、赤の胸章リボンがついていた。そのおかげか、これが目出度い授賞式会場だということが分かる。
里垣 清太郎文学賞とは、日本の文学賞の中でも名誉ある文学賞だ。人生の喜怒哀楽を上手く表現した作品であれば、純文学だけではなく、ミステリやファンタジー、SFというジャンルは問われない。
この賞の名でもある里垣 清太郎は人生と向き合うことの大切さや、人との関わりの多様性を描いてきた作家だ。説教臭くないユーモアに溢れた文体。世知辛い世の中で懸命に自分の意志を貫き、周囲までも意識を変えさせしまう主人公の強さ。個を重んじつつも、人との向き合い方のヒントを伝えるストーリー性。それが人々の心を打つ、里垣文学の魅力だった。
そして語部も里垣文学に影響を受けた一人だった。里垣の著書に触れた際に激しく感銘を受け、中学時代から小説を書き始めた。二十二歳でこの賞を受賞したのをきっかけに、文壇デビューとなった身だ。
「黎城先生の『息子の標』が今回、大賞に選ばれたんです。先生は読まれましたか?」
語部は首を横に振った。彼の作品を語部は一作も読んだことがなかった。
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