そして目が覚めたら

雪乃

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フェル②




感情を抑え、逃がす訓練も受けた。
フェルは血が滲む拳を握る。



赤に覆われながら、閉じた目もとに涙の跡。

アンルーが運ばれてゆく。そばにいたいが役に立たないことはわかっていた。「必ずお助けいたします」誰かの声にフェルは頭を下げる。


刹那、横を通り過ぎたアンルーの長い髪が揺れ、腕を掠めていった。




フェルは顔を上げ、その大勢に紛れて見た。待っていた。
王太子は腑抜けている。どうせ気づかない。現に今もそうだ。


だからもうひとりの元凶が、それに気づくのを。


こうなってまで何かを期待しているような狂った女だからよかったのかもしれない。



ボロ人形のように崩れたのを横目に、フェルは伯爵家へと急いだ。















今思えば、違和感は最初から感じていたのかもしれない。




アンルーは生死を彷徨い、危篤に陥った。
したくもない覚悟を、皆がしなければならなかった。
事実アンルーの身体は一度、すべての機能を止める。


けれど時間はまた動き出した。


王宮から伯爵邸へ戻れることになり、目覚めることはなくともちいさな鼓動を刻み続けている。



毎夜、フェルはアンルーの部屋のまえに立つ。


祈りながら。
早く目覚めてほしいなんて思わない。ゆっくり休んでいい。
今まで頑張っていた分ゆっくり休んでから、それからでいいから。


そう祈りながら。









そうして目覚めたアンルーに対面したとき、フェルは戸惑った。
アンルーと目が合い、その表情を見たとき。


アンルーはいっしゅん、見知らぬ人間に向けるような視線でいたから。
それがすぐなくなり、得心がいったような視線と表情に変わったから。


フェルは言い知れぬ不安を感じた。
記憶の混濁があるとはきいていなかった。だからフェルにも面会の許可が出たのだから。


安堵、だったのかもしれない。


アンルーに起きたことを思い、そう自らを説き伏せた。

薄気味悪い感覚を、そう捻じ伏せようとした。






だがそれは消えてくれなかった。


表情、仕草、感触、ーー視線。
選ぶ本、食の好み、紅茶の温度。



『……お嬢様は毎朝、鏡を見るんです。何か確認するように。……こうしていることが未だ信じられないのかなって、……きっとまだ不安なんだと思うんです。当然ですよね……早く安心して過ごせるようになれたらいいんですけど』



確認していたのは、自身のことではないのか。

今、鏡に映っているのは、か。




フェルでさえそう思うのだ。そう感じるのだ。
家族がそれに、気づかないわけがない。



『ーー…まわないわ…ーーこの子が誰で…』

『ーーだな……たらいい。…誰にもーー』

『……の、娘よ……』








ーーあのろくでもない王太子すら。




あの日激情を溢れさせ叫んでいたのは、誰だと。













アンルーはその場で倒れた。
蒼白な顔色をしているのに、抱き止めた身体は燃えるように熱かった。


誰も何も言わないのなら、口にするつもりもない。


確信めいていたとしても、口にしなければ。










水を変えに行き飲み物も補充したい、そのあいだ看ていてほしいと侍女に頼まれたフェルは室内に足を踏み入れた。
ドアは開け放しているが時刻は深夜。
普段ならこんなことゆるされないが、倒れたアンルーは高熱で何日も伏せっている。

魘されているのだと言われれば、フェルは断ることができなかった。



フェルはアンルーを見下ろした。

苦しげに浅い息を吐いている。



ふと、身じろぎしたアンルーの額からやわらかい浴布がシーツのうえへ落ちた。
フェルは思案したのちそれを拾う。ずいぶん温くなっていた。


次の動作を、フェルは無意識に行っていた。


自身の手のひらを、そっと額に押し当てる。


そのあまりの熱さにフェルは胸を締めつけられ慌てて離そうとしたとき、





『…………だれ、…………』





ため息混じりのちいさな声がきこえた。




フェルはゆっくり手を離し、あなたこそ誰なのかと、問いかけた。





きっと答えはないとわかっていたから。


また静かに眠りへと落ちてゆくアンルーを、きこえてくる足音が近くなるまでフェルは見つめ続けた。


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