そして目が覚めたら

雪乃

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アン




貞淑であれ、と。



貴族に生まれた女は育てられる。
そう教育をされ、生きてきた。
不相応にも王太子殿下の婚約者として選ばれてからはいっそう厳しくなった教育に必死に食らいつき、伯爵家出身だと侮られないため、死に物狂いで。

選ばれたという、自負があった。

殿下がそう言ってくれたことを鮮明に覚えている。


けれどやはり噂通りだったのだろうか。


選ばれたのはわたしではなく伯爵家ーー資産が豊富な我が家からの支援目当てだと。
そうとも知らない勘違い令嬢だと。



ーー運命の愛を引き裂く、邪魔者だと。



みだりに触れてはいけない。
エスコートは手袋越し。ダンスさえ羊皮紙一巻きの空間。

適切な距離。正しい立ち位置。







「…」



わたしはあんな風に、抱きしめられたことは一度もない。






再従姉妹身内だから許される?いくら王宮だからと、誰が見てるかもわからないのに。




いつからか三人行動が増えて、それが二人になって、ただでさえわたしは余り物の腫れ物扱いだというのに。


気にするな。疚しいことは何もないと。


その言葉を信じてきたけれどじっさいこうして目の当たりにすれば、いったい何を信じればいいのかわからなくなってしまう。



張り詰めていた糸が切れ、一気に疲労が押し寄せる。八年分のそれは抗えない重しのようにわたしを押し潰してゆく。


動けなかった。











「…!アンルーさま…ッ」



先に気づいたのは彼の大事な大事なお姫さま。

清楚で優雅な仕立てのドレス。
その袖から伸びる白く細い腕が、広い背中にそっと触れていた。




きっと勝ち誇った表情をしているのだろう。

視界がぼやけていてよく見えない。




弾かれたように勝手に動き出した足が向きを変え、逃げたいと速度を上げる。

呼び止めるべつの声がしても、わたしの足は止まらなかった。








「ーー……アン……ッ!」



階段に差しかかったとき腕を取られた。

初めて感じる体温。

込み上げる想いで胸がいっぱいになる。






ーーでもその手は、何をしていただろう。

誰を抱きしめていただろう。



寄り添うように。
大切な宝物のように。









「……っ触らないで……ッ!」



振り払った勢いは足を縺れさせ地に着く感覚を失くさせた。

身体が傾き宙に浮く。







ーーなんてこと、を、



はしたない。みっともない。大声を出して、無礼な振る舞い。



わたし、は、





寂しい。
悲しい。

さみしい、




積み重なった感情が圧しかかり、そのまま鈍い音とともにわたしを床に叩きつけた。



「、ーー…」



身体じゅうが熱い。目の前が真っ赤に染まる。
周囲から音がなくなり、あれだけざわめいていた心は嘘のように凪いでゆく。



家族の顔大切なひとたちが浮かび、消えてゆく。


我儘ばかり言って、ごめんなさい。
離れていいんだよって何度も言ってくれたのに、最後まで我儘で、ごめんなさい。



もう、がんばるのは、やめるから。







それはわたしに安堵を与え、あれだけの重みすら心地いいものに思えてきて。
早くと閉じたがる瞼をあと少しだけと励まして。


最後の景色を、焼きつける。



透き通るようなうつくしい金色の髪。


表情はわからなくても、それだけで。






『ーー…成人を迎え、改めて誓う。
俺の人生すべてを国に、民に、…そしてきみに捧げる。』



しあわせな時間はたしかに在った。
それを持って、あなたの憂いまで持ち去って邪魔者は消えるから、


どうぞ、おしあわせに。



わたしは深く深く、安寧のなかへと沈んでいった。














少女アンの瞳に最後に映っていたのは、大好きな婚約者の姿だった。


それが泣き顔であることも、やがて慟哭が響き渡ることも知らずに。





享年十七。



アンルー・コートナーの生涯は幕を閉じた。
















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