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【第一部】プロローグ

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 「あっ」

 少女が声を上げた時は、もう栗色の毛束が目の前を舞って落ちた後だった。

 「ちょっとだけ切るつもりだったのに……」

 少女は眉上、横一直線に綺麗に揃った前髪を指先でいじって後悔したがもう遅かった。
 切ってしまった前髪は布と違って糸で縫って繋げるわけにもいかない。
 少女はため息をつき、店の開店準備をするために洗面所を出た。



   *   *   *



 朝の光を受けて、庭園の草木が瑞々しく輝いていた。緑が眩しい季節になった。
 長身の青年は静かに庭園を眺めていた。長い漆黒の髪が肩に落ちている。

 「失礼します」

 軽いノックの後、フレームの細い銀縁の眼鏡をかけた青年が入って来た。
 声で誰かわかっていたので、長身の青年は振り向く事はせず目は庭園に向けたままだった。

 「本日の予定の確認に参りました」

 眼鏡の青年が説明し始める。
 戴冠式に向けて、王宮は徐々に慌ただしくなって来た。
 眼鏡の青年の手腕により、準備は滞り無く進んでいる。

 ―――――筈だった。



   *   *   *



 「絶対! 絶対だよ! ちゃんとお渡ししてね!」

 王宮の門の前で米袋ほどの包みを持った兎耳の青年が声を張り上げた。
 大事な依頼品を受け取りに来たのが双子の少年少女だったからだ。

 「もう、心配性ね!」
 「大丈夫! ボク達に任せてよ!」

 双子は元気よく答える。

 「この包みに入ってるのはとってもとってもとーっても、大事な物なんだ。チョコレートを食べた手で触ったりしたら駄目だよ」
 「ひどい! 子供扱いして!」
 「そんなことしないよ!」

 機嫌を損ねた双子は兎耳の青年から包みを奪うようにして走り出した。
 落ち着かない気持ちで走り去る双子の後ろ姿を見つめた。双子は角を曲がり、その姿が見えなくなる。
 兎耳の青年が王宮へ戻ろうとしたその時、

 「わあぁ!」
 「きゃー!」

 双子の叫び声が聞こえて兎耳の青年は何事かと声の元に走り出した。

 「二人とも大丈夫!?」

 角を曲がった先で双子が倒れていた。兎耳の青年は近くにいた少女を抱き起こす。少女が小さく呟いた。

 「か、」
 「か?」
 「かいと…」
 「カイト?」
 「怪盗ジェイドが現れて……」
 「怪盗ジェイドだって!?」

 その名前を聞いて兎耳の青年は飛び上がった。
 この国で、否、この世界でその名を知らない者はいない。

 「あれ、包み、包みは………?」

 渡したはずの依頼品が見当たらない。兎耳の青年の顔色が一気に青くなる。

 「怪盗ジェイドが、持って行っちゃった……」
 「ええええぇぇぇ! だ、だって、あれは…あれには……!!!」


 ―――戴冠式のマントが入っていたのに!!!!!



   *   *   *



 その頃、長い金髪を後ろで一つにまとめた青年が入国審査を受けていた。
 舞台俳優のような整った顔立ちが周りの女性の視線を集めている。

 「よし、通っていいぞ」
 「はぁい、どうもありがとねぇ~」

 が、それは話さなければの話だった。彼の女口調を聞いて女性の熱い視線が驚きに変わり、そして好奇心に変わる。
 彼の女口調は、これまで貴族相手に髪結いや化粧を施す生業で自然と身に付いたものだった。
 険しい山を迂回してようやくこの国に辿り着いた。腹が空いている。

 「さて、まずは腹ごしらえっと」

 彼は食事と仕事を見つけるためにセントラル街へ向かった。



   *   *   *



 下町のお針子店『Charlotte―シャルロット―』から少し離れた所に一台の辻馬車が停まっていた。建物の影になっているので馬車の中の様子は外側からはほとんど見えない。
 しかし、その人物が纏う雰囲気、着ている物から辻馬車には似つかわしくない高貴さがあった。左目に黒い眼帯をしている。
 店からエプロンを付けた少女が現れて、『open』と書かれた木板をドアに掛けた。ドアの両脇で育てているハーブの様子を少し見て店の中へ戻る。
 馬車の中の人物はそれを見届けた後、御者に合図を送った。
 馬車はゆっくりと動き出し、その場から去った。
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