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青空
〈5〉
しおりを挟むとうとう海水浴をする機会はなかったけれど、由比ヶ浜にもよく立ち寄った。ここは桜貝が拾える場所として知られている。
まだ桜の花が咲いているくらいの時期だった。
遠目にも砂浜がピンクに見える部分があって、私と圭介は波打ち際に近づいていった。
『すげえな。これ全部そうか』
『可愛いー』
陽に透けてきらきらと輝くそれらを、私は夢中で拾っていった。
ぱりぱりと華奢な貝殻は、とても脆くてすぐに欠けてしまいそうだ。細かく分ければ何種類かあるらしいが、私が特に好きだったのは色の濃い桃花貝だった。
『対になってるのは、幸運のお守りなんだって』
『俺らにはもう必要ねえな』
罰当たりなことを言う圭介に、私はひとつをつまんで見せた。
『綺麗だな。おまえの爪みたいだ』
圭介は私の手を取ると、指先にそっと口づけた。
たくさんの人であふれ返っている由比ヶ浜を、歩道の柵に凭れながら眺めていた。みんな誰かと楽しそうに笑い、はしゃいでいる。3年前までは私も向こう側にいたんだ。
パンをかじりながら、またひとつ思い出す。
『こっち旨いよ』
『ん。ちょっとちょうだい』
お昼は藤沢駅で時々沖縄おにぎりを買った。
おにぎりと言うより、海苔で挟んだごはんのサンドイッチみたいだったけど、紙に包んであって食べやすく、値段もそこそこ手頃で、出来立てだから温かい。
具材はスパムと卵焼きが基本型になっている。肉味噌入りは大葉がアクセントなのが気に入って、私は何度も食べたものだった。
海に面したレストランのテラスでは、カップルが遅めのランチを取っていた。おしゃれな料理とワインを楽しみながら、二人だけの話に笑い合い、寄り添う。
お酒は飲まなかったけど、あんなふうに圭介と過ごしたこともあったよね。
傾き始めた光の中で、私は彼らの姿に羨望よりも寂しさでいっぱいになった。
夕陽を見たら帰ろうと思い、稲村ヶ崎の海浜公園にバイクを停めた。石塀の上に座って足をぶらぶらさせながら、私は波頭を目で追っていた。
波は何度も繰り返し押し寄せる。潮風が髪をなびかせて通りすぎていく。かれこれ1時間はここに座っている。
マジックアワーがゆっくり近づいてくる。
富士山と江ノ島と海。
『海はいいよなー』
『ずっと見てても飽きないよね』
さっきまで辿ってきた想い出に、私の心は揺れていた。どこへ行っても圭介の笑顔が浮かんでくる。私を呼ぶ彼の声が聞こえてくる。
吹っ切るはずのツーリングは、かえって彼との軌跡をくっきりと浮かび上がらせることになった。
メットのシールドに涙が落ちた。
あんなに大好きだったのに
圭介がいなくなって
鎌倉は私にとって
つらい場所になってしまった
圭介を忘れたいわけじゃない。
でも、涙はもういらないのに。
「へえ。コレ、君の?」
声がして、反射的に私は顔を上げた。
バイクを覗き込むようにしていた男性が、こっちを向いたので私と目が合った。
茶髪の日焼けした人懐っこい笑顔が、一瞬戸惑いを見せた。
「おっと、お取り込み中だった」
私は彼から顔を背け、涙を拭って呟いた。
「コレは、彼の…」
「あ、彼氏持ち。ごめん、撤収するわ」
「…もう、いない」
「え?」
「いないの。どこにも…」
新しい涙がこぼれた。
絶対引かれてる
めんどくさい女だと思われてる
でも、私はあふれてくる涙を止められなかった。
泣いてる間に、彼が行ってしまえばいい。
そう思いながら手放しで泣き続けた。
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