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「哀・戦士」編

   第360夜・『ララ悲劇・舞姫束縛・ハサミ文明・保守思想・森友手法』

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☆・・・2017/02/28
     


(小ネタ4題)

 1・「ラ・ラ・ランド」の良かったとこは、ほろ苦い、大人の結末を迎えたことか。
 昔の映画は「ローマの休日」と言い、安易なハッピーエンドにせず、クールな現実が背景にあったから、そこを目指したのか。
 いや、「モンスターズ・インク」のブーとサリーの再会は、あれはあれでいい!^^

 2・先日、こんな例えを書いた。
 《・・・あたかも、ストリップの生板ショーで、ステージにあげられ躊躇するお客さんを逃がさないようにするテクニックを見せられた思いがした^^;》と。
 ストリップ嬢が「カニばさみ」でお客さんを正常位体勢に持ち込むという事だ。
 そもそものその話は、昔、私が引っ越し屋のバイトをしていた時、そこの若い兄ちゃんが、私に話してくれたエピソード。
 その頃、サッカー観戦が好きだった私は、その話を聞き、「それって、<カテナチオ>みたいっスね!^^」と答えるのだった。

 3・先日、タッコングのことを書いて思い出したのだが、ずっと考えていたことを思い出した。
 タッコングみたいな怪獣には文明がない。
 しかし、バルタン星人みたいな宇宙人には文明がある。
 だが、バルタン星人、あのハサミの手で、どうやって文明を築いたのかという問題。
 私は、念動力を持っていたか、もしくは、あのシザーハンズはアタッチメント、となんとなく思っていた。
 調べてみた。
 《・・・バルタン星人のデザイナー成田亨の述懐によれば、あのハサミは、身体の一部ではなく、外装パーツです。ハサミの中に普通の手があります。》
 だそうだ。
 バルタン星人の手がハサミでだったから、握手が出来ず、人類と仲良くなれなかった、とのこと・・・。

 4・ちょっと、森友学園は看過できないね。
 その思想が悪いのではなく、その思想の表現のし方を完全に間違えている。
 ああいう学校ぐるみ・父兄ぐるみの状況を「集団ヒステリー」と言う。
 反原発運動の「集団ヒステリー」と似ている。
 よく、戦前教育の「教育勅語」の励行は悪とされるが、「教育勅語」は、それ単体では立派な道徳理論である。
 「九九」でわかるように、後から経験を伴わせる丸暗記と言うものも大事なことだ。
 軍歌だって一概に悪いものではない。
 戦後の、反戦の「集団ヒステリー」によるカウンターが、「教育勅語」「軍歌」をも悪とした。
 その反戦カウンター(左翼)こそが、「思想の表現のし方」を間違えているということで、
 今回の森友学園の手法は、『保守の思想に左翼の手法が使われた』という「おぞましい状況」になっている。
 それは、ニュースで話題になっている、児童による「運動会での宣誓…、特定の国の批判と施政者礼賛」の図式だ。
 教育と言うのは、嘘をつくことは禁じるが、嘘をつく人々の批判を強いることではない。
 施政者に100%の依存を向けることでもない。
 くれぐれも言っておきたいのは、森友学園の教育は、戦前教育と全く異なるという事。
 「敵」に足元をすくわれるような異常なことを、森友学園ちゅうのはしてくれたもんだぜ・・・、・・・。

                      (2017/02/28)
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