ピアシリュージョン・ブレイド

白金 二連

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第三幕 神は天に居まし、人の世は神も無し

52.シーン3-18(彼女)

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 私は不意に、この荒れ果てた地にごうごうと巻き上がる激情が、土気色の褪せた世界でそれでも自分はここにいるのだと必死に叫んでいる気がした。根も葉もあったものではないが、本当に、これはこうして消し去るべきものなのだろうかなんていった疑念が浮かぶ。

 激流の中にたたずむ丸い光と目が合った。聖都ではなぜよりによって私なのかと思ったものだが、こうしてみれば、実は誰でも良かったのではなかろうか。応えたのが、ただ単に目が合った私だった。多分、それだけのことなのだ。

 わたしの声を聞いてくれた、ただ一人の人なのよと、彼女は私に向かって言った。目が合ってしまったからこそ気に留まり、その人物が何かを話していることに気がついた。きっと、それくらいの、些細なきっかけなのだろう。

 来ました。あなたに会いに。心の中で、そう呼び掛ける。
 三人が必死になって色々やっているなかで、何も威張れたことは出来ないかもしれないけれど、会って話すことしか出来ないかもしれないけれど、いや、それどころか、会話の糸口さえ見つけられずに黙ってそばにいることしか出来ないかもしれないけれど、それでも、私はあなたに会いに来ました。私はあなたがいることを知っている。少し息抜き程度にでも、お話をしませんか。

 ただ顔を合わせて会うだけということにどれほどの意味があって、それがどれほど嬉しいことなのか、私は恐らく分かっている。置き去りにされ、忘れられてしまうことの寂しさを、悲しみを、やるせない悔しさを、私は多分知っている。

 目を閉じれば、ほの暗い眠りの淵からいつでも凍える死の足音が忍び寄る。けれど、ここにいてねと手を差し伸べて、温かな光の中に繋ぎとめてくれる人は、すぐそばにいないのだ。消えてしまえば、もはや誰にも拾い上げられることはない。二度と元には戻らない。そんな恐怖を直感で知った苦い記憶がまざまざと蘇る。この世界は、そういうところばかりが無情にも不可逆だ。込み上げてくる気持ちを抑えるように、私はそっと瞼を閉じた。

 誰もいない静まり返った病院の室内で、ただひとつ手元に残されていた小さな冊子をめくる私は、その本に描かれているささやかな舞台へと思いを馳せた。

 ギャグやジョークに埋もれてしまい見る影もない王子の境遇たるや、どれほど悲しいものだったことだろう。王子は、彼の全てを失い、何もない世界のなかでひとり孤独に戦っていた。何を思って、彼は姫を助けようとしたのだろうか。

 姫を助けてみたところで、王子が報われるとは限らないのだ。王子には到底知る由もないような、さらに過酷な展開が待ち受けている可能性だってある。王子の是非などお構いなしに、台本は先は先へと時間を進める。

 ステージ上では笑いばかりが交えてあるが、もしかしたら、それは王子の虚勢だったのかもしれない。無理をしてでも前に進みたかったのかもしれない。表面だけでは計り知れない彼の心の苦悩を思い、私はそっと息をついて本を閉じ、窓の向こうを流れる雲を静かに仰いだ。

 話の終盤、さんざん打ちのめされておきながら、結局最後に王子はさらりと笑って「助けたのは気まぐれです」なんて言ってのけたのだ。お気楽なのか格好でもつけたのか、気まぐれで問題ごとに首突っ込んで打ちのめされただなんていうのは、しょうもないとしか言えない。なんでも「姫が美人だったから」だそうだ。なんともまあ現金な王子様だ。

 そこはかとなく、台本を製作する側が恥ずかしさでくさい台詞を書けなかったらしきことがうかがえる。そこで恥ずかしがってどうする。小難しいことを考え付かなかったのだとしたら情けなさが倍である。そうなると、王子はただのお馬鹿だった可能性も、否めない。そうとも、何のことはない。なんたってこれ、喜劇である。

「やっほー」

 いつぞやの間延びした声を唐突に背後から掛けられて、私ははっと顔を上げた。
 気がつけば、一切の淀みない白一色の世界が広がり、足場の抜ける浮遊感に少しだけよろめいた。そのまま体勢を立て直すのを諦めて腰をおろし、ちょっとだけ後ろや下を覗きこんで落ちていかないものなのかと確認してみたのだが、周りはどこまでいっても白だらけなので、実際はよく分からない。

 膝を折り曲げて小さくまとまる私の隣に、見覚えのある女性がぱっと滑りこんで座る。

「えへ、また会ったね」

 嬉しい、と彼女は優しい藤色をした瞳を細めて小さく笑った。その言葉を聞けただけでも、ここまで付いてきた甲斐はあっただろう。

「ずっと、誰かとお話したかったんだ。わたし、お友達がいなかったから」
「そうなんですか……」

 ぽつりとそう打ち明ける彼女に、私は静かに相づちを打った。
 情けない話だが、突然そんなことを言われても、いったい何と返せば良いのか分からない。じゃあ私がお友達になりますよ、なんてこの不可解極まりない状況下でぽろっと言えるはずもない。早くも音を上げ申し訳ないことしきりである。

 寂しそうに目を伏せるアリアさんは、次の瞬間ふと顔を上げてから何かを言いかけてそれを諦め、その動作をニ、三回ほど繰り返した。

「わたしね、歪みの存在だったから」

 お友達になりますよ、よりももっともっと重大極まりない気がする言葉を、彼女はぽろっと口にした。それいきなり私に言っちゃっていいんですかとも思ったが、何のことはない、まさしく彼女の前には私しかいないから、きっと私に話すより他にないのだ。

「歪みの存在?」

 何気ない私の問いに、アリアさんはふわりと笑って「あれ、知らない?」と不思議そうな顔をした。時代や地域によって言い方が変わるのだろうとは思うが、答え合わせをしておいても損はない。

「わたしもね、あんまりよく知らないんだ」

 彼女は困ったように笑ってから、話を続けた。

「歪みの存在はね、周囲のマナをどんどん取り込んでいるの。だから、周囲には異様なマナの流れが出来る。そして、歪みの存在の魔力はあらゆる命に害を及ぼすものなのよ」

 教わったことを思い出しながら喋っているのか、どこかとつとつとした調子で、彼女は私にそう説明した。そして最後に、少し顔を伏せて「だからずっと封印術がかけられた暗い部屋に閉じ込められててね、ひとりで怖くて寂しかった」と呟いた。大聖堂の暗い部屋を思い出す。

「あれ、じゃあここにはどうして?」

 思い返せば彼女は色々と落し物をしてしまったと言っていたが、閉じ込められていたのではあの場所から動きようがないはずだ。私の疑問にアリアさんはしばらく眉間を微かに寄せて考えこみ、少しすると思い立った顔つきで口を開いた。

「嫌になっちゃったの」

 なるほど、嫌に。まるで突っ込める雰囲気ではなかったために、私はおとなしく彼女の次の言葉を待った。

「歪みの存在は周囲の命を奪ってしまうものだから、忌み嫌われる。いつか流れ込み続けるマナに体が耐え切れなくなる。苦しくて、つらくて、でも誰もそばにいなかった」

 せっかく会って話をしに来たというのに、こんなに重い会話にさせてしまったことへのばつの悪さで、私はひとりもぞもぞと座り直した。幸運にもぽつりぽつりと語り続ける彼女は、どうやら私が漏らした気まずい気配に気がつかなかったらしい。あれからずっとうつむき加減のまま、どこか懺悔しているような思いつめた表情で、静かに話し続けている。

「何度もマナが暴発して、その度に死んでしまいそうになって、どうしても耐えられなくてね」

 逃げたの。彼女の言葉はそこで一度呼吸をおいた。

「えっと、要するに、聖都からここまで逃げてきたってことですか?」

 アリアさんは返事をするまで若干の間を置いて、聖都?と首を傾げた。昔は違った名で呼ばれていたのかもしれない。

「前に会った場所です」
「ああ、えっとね、逆よ」

 少しだけほんわかとした陽だまりの香りを取り戻してきた彼女は、元々はここに封印されていたのだが、強まる魔力を危ぶまれたため聖都の方へ一度移されたのだと教えてくれた。
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