王都の片隅、名もなき雑貨店 〜没落王子の鑑定眼と、粗野な義賊のバイト生活〜

kurimomo

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第1章:奇妙な出会いと主従関係

1−3:雨宿りと、公爵閣下の嫌がらせ

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 その日は、朝から重苦しい雲が王都の空を覆っていた。 昼過ぎには予報通り、石畳を叩きつけるような激しい雨が降り始めた。

 王都の片隅にあるとある雑貨店の扉が勢いよく開き、ずぶ濡れのカイトが飛び込んできた。

「……クソ、最悪だ! びしょ濡れじゃねえか!」

 カイトは文句を言いながら、首に巻いたボロボロの手拭いで髪を拭う。彼は昨夜、店で食事を終えた後、「帰る場所があるんだ」と言ってスラム街の方へと消えていった。リヒトは、彼がそこの孤児院で年下の子供たちの面倒を見ていることを、彼の衣類に残った安い石鹸の匂いと、自分は食べずにパンを隠し持った手つきから既に把握していた。

「おかえりなさい、カイトくん。タオルはそこの棚にありますよ。」
「『おかえり』じゃねえよ。……ほら、これ。今日の分の『食事代』だ。」

 カイトがカウンターに置いたのは、雨に濡れた銅貨だった。 

「道端で運搬の手伝いをして稼いだ。……盗みは休業中だ。あんたに借りを返さなきゃならねえからな。」

 リヒトは銅貨を手に取ることなく、穏やかに微笑んだ。 

「感心ですね。では、その熱心な仕事ぶりに免じて、温かい飲み物を用意しましょう。」

 平和な、いつも通りの光景。だが、その平穏は、店の前に止まった一台の豪華な馬車の音によって破られた。

 雨音を切り裂くようにして、漆黒の外套を纏った男が店に入ってくる。整えられた顎髭、冷徹なまでに理知的な瞳。そして、立っているだけで周囲の空気が張り詰めるような、圧倒的な貴族の風格。

 現れたのは、最も古くから王家に忠誠を尽くしている一族、アルヴァス公爵であった。

「……酷い雨だな。こんな掃き溜めのような店で雨宿りをする羽目になるとは、運がない。」

 公爵は、入り口で立ち尽くすカイトをゴミを見るような目で見つめると、手袋を脱ぎ捨ててカウンターへと歩み寄った。

「なんだよ、このおっさん……。貴族様がこんな店に何の用だ?」 

 カイトが不機嫌そうに身構える。カイトにとって、貴族は孤児院から土地を奪おうとしたり、自分たちを人間扱いしない「敵」の象徴だ。

「カイトくん、失礼ですよ。こちらは当店の数少ない上顧客、アルヴァス公爵閣下です。」

  リヒトが宥めるように言うが、公爵はフンと鼻を鳴らした。

「リヒト殿。相変わらず、拾い物の趣味が悪い。こんな野良犬を店に入れているとは、店主の正気を疑うぞ。」

「野良犬だと!? この髭野郎……!」

「やめなさい、カイトくん。」

  リヒトの制止に、カイトは奥の棚の整理へと追いやられたが、その目には明らかな敵意が灯っている。
 公爵は何もなかったかのようにリヒトに向き直ると、仰々しく、布に包まれた大きな「塊」をカウンターに置いた。

 「鑑定を頼みたい。先日のオークションで競り落とした『伝説の英雄の盾』だ。歴史的な価値を含め、我が家の宝物庫に加えるに相応しいかどうかをな。」

 リヒトは、その塊を覆う布をゆっくりと解いた。  
 現れたのは、重厚な鉄製の盾だった。中央には古王国の紋章が刻まれ、戦場を潜り抜けたことを示す生々しい剣傷がいくつもついている。

 カイトは遠巻きにそれを眺めながら、思わず息を呑んだ。 (あれが、英雄の盾……。あんなのが一つあれば、孤児院の飯を十年分は買えるんじゃねえか?)

 だが、リヒトは盾に触れることさえせず、ため息を漏らした。

「……閣下。また『時計の針(クロック)』を止めるような、退屈な嫌がらせですか?」

 リヒトがわざと混ぜ込んだ隠語に、公爵の口角が、わずかに吊り上がる。

「何のことかな?」

「この盾、確かに材質は古王国のものと同じ鋼です。ですが、中央の紋章の刻み込みが深すぎる。当時の鍛冶技術では、これほどの精密な彫刻を鋼に施すことは不可能です。……これは、後世の熱狂的な愛好家が作った『最高級のレプリカ』ですよ。市場価値は、あなたが支払った額の百分の一もありません。」

「な……っ!」  カイトが驚いて声を上げる。

「さすがだな。……だが、これだけではない。」

  公爵は動じず、懐から古びた小さな「指輪」を取り出した。 

「では、これはどうだ? 没落した地方貴族の遺品だと聞いたが、石の色が気に入らなくてな。ゴミなら今すぐこの窓から捨てるつもりだ。」

 リヒトはその指輪を手に取り、ルーペで石の奥を覗き込んだ。その瞬間、リヒトの瞳に微かな熱が宿った。

「……これは。閣下、本気で言っていますか?」

「ゴミだろう? そこの小汚いガキにでもくれてやればいい。」

「いいえ。これは『青い涙』と呼ばれる、失われた鉱山のサファイアです。石自体の美しさもさることながら、この裏面……。ここには、かつての王妃が幼くして別れた王子へ宛てた、秘匿の刻印が刻まれています。」

 リヒトの言葉に、店内がしんと静まり返った。アルヴァス公爵の瞳から、それまでの不遜な色が消え、冷徹な「同志」の輝きが現れた。

「……ほう。あの『青い涙』か。あれには、死者に安らぎを与えるという言い伝えがあったはずだが。……この店には似合わぬ代物だな。」

「価値を判らぬ者の手に渡るよりは、この棚の隅で埃を被っている方が、指輪にとっても幸せでしょう。」

 公爵は、リヒトと数秒間、言葉を介さぬ視線の交換を行った後、再び傲慢な貴族の仮面を被った。

「……気に入らんな。鑑定料だ。そのゴミのような指輪は、好きにしろ。雨が上がったようだ、私は帰る。」

 公爵は一度もカイトを見ることなく、馬車へと戻っていった。

 馬車が去った後、カイトが詰め寄ってきた。 

「おい、リヒトさん! 今の、本当かよ!? あの指輪、王妃様が王子に贈ったものだって……」

「ええ。ですが、世間的にはただの古い指輪です。……カイトくん、今日はお疲れ様。雨も止みましたし、そろそろ孤児院の門限ではありませんか?」

 リヒトは、カウンターの上に置かれた指輪をそっと握りしめた。 それは、十年前の火災で、自分が母から受け取るはずだった……しかし、届かなかったはずの形見だった。

(アルヴァス……。相変わらず、贈り物のやり方が不器用ですね。)

「……変な一日だったな。」 カイトは不思議そうに首を傾げながらも、リヒトから渡された「余ったパン」を抱えて店を飛び出していった。

 王都の空には、雨上がりの冷たい星が輝き始めていた。リヒトは一人、店の明かりを消し、闇の中でサファイアの青い輝きを見つめていた。
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