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第1章:奇妙な出会いと主従関係
1−6:消えた指輪と、容疑者カイト
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その日の朝、とある雑貨店の空気は、冬の到来を予感させるような冷たさに包まれていた。
事件は、リヒトが開店準備のために、棚の奥に安置していた「あの品」を確認した瞬間に起きた。数日前、アルヴァス公爵が持ち込み、リヒトが「王妃の形見」であると見抜いたサファイアの指輪――それが、専用の木箱ごと消えていたのである。
「……ない。どこにも、ない……」
リヒトの呟きは、いつになく低く、鋭かった。ちょうど店に入ってきたカイトは、その異様な雰囲気に足を止めた。
「どうしたんだよ、リヒトさん。そんな怖い顔して……」
リヒトはゆっくりと振り返り、カイトの目を真っ直ぐに見つめた。その瞳は、いつもの慈悲深い蒼ではなく、すべてを凍らせるような冷徹な色を湛えていた。
「カイトくん。……昨日、店を閉めた後、どこへ行きましたか?」
「あ? 決まってんだろ、孤児院だよ。ミナたちの飯を買って……」
「その途中で、裏通りの『宝石商(うわら)』に立ち寄りませんでしたか? 私の知人が、あなたによく似た青年が、青い石のついた品を売ろうとしているのを見たと言っています。」
カイトの顔から、一瞬で血の気が引いた。
「……は? 嘘だろ、何言ってんだよ。俺が……俺があの指輪を盗んだって言うのか!?」
「あの指輪は、この店で最も価値のある……いいえ、私にとって特別な品です。そして、この店の鍵のありかを知り、防犯用の仕掛けを熟知しているのは、私以外にはあなたしかいない。」
「ふざけんな! 俺は、あんたに恩を返そうと……!」
「恩、ですか。……それとも、孤児院の冬の薪代が、どうしても足りなくなったのですか?」
リヒトの言葉は、カイトの最も痛いところを正確に突いた。確かに、昨日孤児院の院長が、冬を越すための資金が底をつきそうだと嘆いているのをカイトは聞いていた。
「……信じられねえ。あんた、結局俺のことを『盗人のガキ』としか見てなかったんだな。」
カイトの瞳に、激しい絶望と怒りが灯る。彼はカウンターを強く叩くと、リヒトを睨みつけた。
「ああ、そうだよ! 薪代も、ミナの新しい靴代も、全部足りねえよ! でもな……俺は、あんたからは絶対に盗まねえって決めたんだ! 死んでもな!」
「……」
「もういい。こんな店、こっちから願い下げだ!」
カイトは床に雑巾を投げつけると、逃げるように店を飛び出していった。残されたリヒトは、独り静まり返った店内で、消えた指輪のあった棚をじっと見つめていた。
一時間後。
カイトはスラム街の路地裏で、壁を蹴り飛ばしていた。
「クソ……クソッ! 分かってたはずだろ、俺みたいな奴が、まともな人間になんてなれるわけねえんだ!」
その時。背後から静かな、しかし確かな足音が近づいてきた。振り返ると、そこには漆黒の外套を纏った男――アルヴァス公爵が立っていた。
「……何の用だ。指輪の件なら、あのアホ店主に聞けよ。俺はもう関係ねえ。」
「ほう。盗人が被害者面か。……だが、リヒト殿はこう言っていたぞ。『カイトくんの指は、真実を掴むための指だ。欲に負けて、歴史を汚すような真似はしない』とな。」
「……あ?」
公爵は鼻で笑うと、カイトに一枚の紙を投げつけた。
「これは、昨夜この近辺で動いた『影』の報告書だ。指輪を盗んだのは、お前ではない。……この王都に巣食う、王立鑑定士ギルドの放った刺客だ。彼らは、リヒト殿が持つ『本物の鑑定眼』を恐れている。」
カイトは呆然とした。 「じゃあ……なんでリヒトさんは、俺を疑うようなことを……」
「疑ったのではない。お前を『逃がした』のだよ。店が狙われていると察し、お前が容疑者として捕まらぬよう、わざと酷い言葉を投げかけて遠ざけた。……不器用な男だ。自分を犠牲にしてまで、飼い犬を守ろうとする。」
カイトの心臓が、激しく警鐘を鳴らした。 「……リヒトさんが、危ないのか!?」
カイトは公爵の返事も待たず、全力で走り出した。息が切れ、脚がもつれても止まらない。昨日までの「居場所」を守るために。自分を信じ、そして守ろうとしてくれた、あの「嘘つきな店主」を助けるために。
店に戻ると、そこには数人の男たちに囲まれながらも、優雅に茶を啜るリヒトの姿があった。
「……遅かったですね、カイトくん。もう少しで、あなたが戻ってくる前に、この下品な客人を追い払ってしまうところでした。」
リヒトは、手元で輝くサファイアの指輪を弄んでいた。男たちの足元には、すでに取り押さえられた「真犯人」が転がっている。
「……あんた、全部知ってたのかよ。」
「ええ。あなたの『鑑定』は、まだ未熟です。私がわざと冷たい目をした時、私の瞳が『嘘』をついていると、どうして見抜けなかったのですか?」
リヒトは立ち上がり、ボロボロになって戻ってきたカイトの頭に手を置いた。
「ですが、戻ってきた。……その勇気と忠誠心は、どんな宝石よりも輝いていますよ。」
「……うるせえよ。二度と、あんな嘘つくな。」
カイトはリヒトの手を振り払いながらも、その温かさに、密かに涙を拭った。
事件は解決した。だが、リヒトとカイトは知ることになる。この指輪を巡る騒動が、王都に渦巻く巨大な陰謀の、ほんの序章に過ぎないことを。
「カイトくん。明日からは、護身術も覚えてもらわないとダメですね。私には教えられませんけど。」
「……鑑定士の修行じゃなかったのかよ、店主!」
とある雑貨店の夜は更けていく。二人の絆は、偽りの不信という嵐を通り抜け、指輪よりも硬く、結ばれようとしていた。
事件は、リヒトが開店準備のために、棚の奥に安置していた「あの品」を確認した瞬間に起きた。数日前、アルヴァス公爵が持ち込み、リヒトが「王妃の形見」であると見抜いたサファイアの指輪――それが、専用の木箱ごと消えていたのである。
「……ない。どこにも、ない……」
リヒトの呟きは、いつになく低く、鋭かった。ちょうど店に入ってきたカイトは、その異様な雰囲気に足を止めた。
「どうしたんだよ、リヒトさん。そんな怖い顔して……」
リヒトはゆっくりと振り返り、カイトの目を真っ直ぐに見つめた。その瞳は、いつもの慈悲深い蒼ではなく、すべてを凍らせるような冷徹な色を湛えていた。
「カイトくん。……昨日、店を閉めた後、どこへ行きましたか?」
「あ? 決まってんだろ、孤児院だよ。ミナたちの飯を買って……」
「その途中で、裏通りの『宝石商(うわら)』に立ち寄りませんでしたか? 私の知人が、あなたによく似た青年が、青い石のついた品を売ろうとしているのを見たと言っています。」
カイトの顔から、一瞬で血の気が引いた。
「……は? 嘘だろ、何言ってんだよ。俺が……俺があの指輪を盗んだって言うのか!?」
「あの指輪は、この店で最も価値のある……いいえ、私にとって特別な品です。そして、この店の鍵のありかを知り、防犯用の仕掛けを熟知しているのは、私以外にはあなたしかいない。」
「ふざけんな! 俺は、あんたに恩を返そうと……!」
「恩、ですか。……それとも、孤児院の冬の薪代が、どうしても足りなくなったのですか?」
リヒトの言葉は、カイトの最も痛いところを正確に突いた。確かに、昨日孤児院の院長が、冬を越すための資金が底をつきそうだと嘆いているのをカイトは聞いていた。
「……信じられねえ。あんた、結局俺のことを『盗人のガキ』としか見てなかったんだな。」
カイトの瞳に、激しい絶望と怒りが灯る。彼はカウンターを強く叩くと、リヒトを睨みつけた。
「ああ、そうだよ! 薪代も、ミナの新しい靴代も、全部足りねえよ! でもな……俺は、あんたからは絶対に盗まねえって決めたんだ! 死んでもな!」
「……」
「もういい。こんな店、こっちから願い下げだ!」
カイトは床に雑巾を投げつけると、逃げるように店を飛び出していった。残されたリヒトは、独り静まり返った店内で、消えた指輪のあった棚をじっと見つめていた。
一時間後。
カイトはスラム街の路地裏で、壁を蹴り飛ばしていた。
「クソ……クソッ! 分かってたはずだろ、俺みたいな奴が、まともな人間になんてなれるわけねえんだ!」
その時。背後から静かな、しかし確かな足音が近づいてきた。振り返ると、そこには漆黒の外套を纏った男――アルヴァス公爵が立っていた。
「……何の用だ。指輪の件なら、あのアホ店主に聞けよ。俺はもう関係ねえ。」
「ほう。盗人が被害者面か。……だが、リヒト殿はこう言っていたぞ。『カイトくんの指は、真実を掴むための指だ。欲に負けて、歴史を汚すような真似はしない』とな。」
「……あ?」
公爵は鼻で笑うと、カイトに一枚の紙を投げつけた。
「これは、昨夜この近辺で動いた『影』の報告書だ。指輪を盗んだのは、お前ではない。……この王都に巣食う、王立鑑定士ギルドの放った刺客だ。彼らは、リヒト殿が持つ『本物の鑑定眼』を恐れている。」
カイトは呆然とした。 「じゃあ……なんでリヒトさんは、俺を疑うようなことを……」
「疑ったのではない。お前を『逃がした』のだよ。店が狙われていると察し、お前が容疑者として捕まらぬよう、わざと酷い言葉を投げかけて遠ざけた。……不器用な男だ。自分を犠牲にしてまで、飼い犬を守ろうとする。」
カイトの心臓が、激しく警鐘を鳴らした。 「……リヒトさんが、危ないのか!?」
カイトは公爵の返事も待たず、全力で走り出した。息が切れ、脚がもつれても止まらない。昨日までの「居場所」を守るために。自分を信じ、そして守ろうとしてくれた、あの「嘘つきな店主」を助けるために。
店に戻ると、そこには数人の男たちに囲まれながらも、優雅に茶を啜るリヒトの姿があった。
「……遅かったですね、カイトくん。もう少しで、あなたが戻ってくる前に、この下品な客人を追い払ってしまうところでした。」
リヒトは、手元で輝くサファイアの指輪を弄んでいた。男たちの足元には、すでに取り押さえられた「真犯人」が転がっている。
「……あんた、全部知ってたのかよ。」
「ええ。あなたの『鑑定』は、まだ未熟です。私がわざと冷たい目をした時、私の瞳が『嘘』をついていると、どうして見抜けなかったのですか?」
リヒトは立ち上がり、ボロボロになって戻ってきたカイトの頭に手を置いた。
「ですが、戻ってきた。……その勇気と忠誠心は、どんな宝石よりも輝いていますよ。」
「……うるせえよ。二度と、あんな嘘つくな。」
カイトはリヒトの手を振り払いながらも、その温かさに、密かに涙を拭った。
事件は解決した。だが、リヒトとカイトは知ることになる。この指輪を巡る騒動が、王都に渦巻く巨大な陰謀の、ほんの序章に過ぎないことを。
「カイトくん。明日からは、護身術も覚えてもらわないとダメですね。私には教えられませんけど。」
「……鑑定士の修行じゃなかったのかよ、店主!」
とある雑貨店の夜は更けていく。二人の絆は、偽りの不信という嵐を通り抜け、指輪よりも硬く、結ばれようとしていた。
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