王都の片隅、名もなき雑貨店 〜没落王子の鑑定眼と、粗野な義賊のバイト生活〜

kurimomo

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第1章:奇妙な出会いと主従関係

1−5:カイトの初任給、あるいは初めての贈り物

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 とある雑貨店に雇われてから、ちょうど一ヶ月が過ぎた。カイトにとって、これほどまでに長く「盗み」をせずに過ごした期間は、物心ついてから一度もなかった。朝、孤児院を出て市民街の隅にある店へ向かい、床を磨き、棚の埃を払い、リヒトから物の見方を教わる。そんな奇妙な日常が、カイトの痩せた体に少しずつ肉をつけ、荒んでいた瞳に落ち着きを与え始めていた。

 その日の夕暮れ時、リヒトはいつものように台帳を閉じると、小さな革の袋をカウンターに置いた。チャリン、と硬質な金属音が店内に響く。

「カイトくん。一ヶ月、よく働いてくれました。これはあなたの給料です。」

 カイトは一瞬、差し出された袋をどう扱っていいか分からず、呆然と立ち尽くした。 

「……給料? 俺に、か?」

「ええ。昨夜のスープ代や、あなたが割った安物の花瓶の代金、それに昼食代を差し引いた、正当な労働の対価です。中を確認してください。」

 カイトが震える手で袋を開けると、そこには数枚の銀貨と、たっぷりの銅貨が入っていた。
 
「……こんなに、いいのかよ。俺、掃除とガラクタ磨きしかしてねえぞ。」

「あなたが磨いたガラクタが、いくつか適切な値段で売れましたからね。……そのお金は、あなたのものです。さて、そのお金をどう使おうと、私の知ったことではありません。」

 カイトは銀貨の冷たさを掌に感じながら、複雑な表情を浮かべた。これまでは、奪った金を握りしめるたびに「次はいつ食えなくなるか」という恐怖が常に付きまとっていた。だが、この金には、リヒトが淹れる茶のような、静かな重みがあった。

 その夜。
 カイトは孤児院へ戻る道中、目抜き通りの露店に立ち寄った。普段なら見向きもしない、色鮮やかなリボンや、木製の可愛らしい玩具が並んでいる。

(……あいつら、最近まともなもん食ってねえしな。……いや、でも、冬の薪代を先に払っとくべきか?)

 孤児院の年下の子たちの顔が浮かぶ。いつもお腹を空かせているミナや、破れた靴を履き続けているレオ。カイトは自分の服のボロさなど気にも留めず、誰のために何を買うべきか、あるいは何も買わずに貯めておくべきか、露店の前で一時間も悩み続けた。

 結局、カイトが翌朝、店に持ってきたのは、小さな「壊れたオルゴール」だった。

「……店主。これ、昨日の給料の半分を使って、古道具屋から買ってきたんだ。」 

 カイトはバツが悪そうに、その音の鳴らない箱をカウンターに置いた。

「ほう。自分へのご褒美ではなく、これを?」

「……あ、当たり前だろ! これ、孤児院のミナってガキが好きそうな形だったからさ。でも、音が出ねえんだ。古道具屋の親父は『もう直らねえ』って言ってたけど……あんたなら、なんとかなるかと思って。」

 リヒトはオルゴールを手に取り、ゆっくりと裏蓋を開けた。 

「……カイトくん。あなたは昨日、私の教えを無視しましたね?」

「え……?」

「『物の価値を鑑定しろ』と言ったはずです。このオルゴール、ゼンマイが切れているだけでなく、内部の円盤(シリンダー)の突起が摩耗して潰れています。現代の技術で直すには、新品を買うよりも多くの金貨が必要になるでしょう。」

 カイトの顔が、みるみるうちに青ざめた。

 「……じゃあ、俺…… 給料の半分も出したのに、ただのゴミを買っちまったのかよ。」

 絶望に肩を落とすカイト。やはり自分は盗人のままで、本物の価値なんて一生分からないのだと、自嘲の笑みが漏れる。だが、リヒトはオルゴールの歯車をピンセットで軽く弾き、穏やかに言葉を続けた。

「ですが、カイトくん。このオルゴールの箱の材質は、最高級の『マホガニー』です。音を鳴らすためではなく、この『箱』自体が、かつてある音楽家が愛娘の宝飾品入れとして特別に作らせたもの……。鑑定の答えは、一つではありません。」

 リヒトはカウンターの下から、一つの小さな銀の鈴と、細い針金を取り出した。 

「音が出ないなら、別の音を足せばいい。……カイトくん、手伝いなさい。あなたの繊細な指先で、この鈴を蓋の裏側に仕込むのです。蓋を開けるたびに、澄んだ鈴の音が響く。……オルゴールとしての命は終わっていても、新たな『音楽』を宿すことはできます。」

 カイトは目を見開いた。 「……そんなのアリかよ。」

「鑑定士とは、物の死を宣告する仕事ではありません。物の『次の生き方』を提案する仕事です。」

 その日の午前中、店は「休業」となった。リヒトの指導のもと、カイトは必死に鈴を調整し、マホガニーの箱を磨き上げた。指先を針金で傷つけながらも、彼はかつてないほど集中していた。

 夕方。蓋を開けると、「チリン」と、天上の星が零れたような美しい音が響く箱が完成した。

「……できた。」

「ええ。素晴らしい出来です。……カイトくん、これはもう、世界に一つしかない贈り物になりましたね。」

 カイトはその箱を大切に抱えると、給料の残り半分で買った「一番安いキャンディの袋」と一緒に、孤児院へと走っていった。

 翌朝。  
 店に現れたカイトの顔には、これまで一度も見たことがないような、照れくさそうで、それでいて誇らしげな笑みが浮かんでいた。

「……あいつら、めちゃくちゃ喜んでた。ミナなんて、鈴の音を聴いて『魔法の箱だ』ってさ。キャンディより、箱の方が大事だってよ。」

「それは良かった。……カイトくん、初めて自分で稼いだお金で誰かを幸せにした気分はどうですか?」

「……ケッ。……悪くねえよ。人の金でパンを買ってやった時より、ずっと腹が膨らんだ気がする。」

 カイトはそう言って、自分から進んで雑巾を手に取り、まだ光っている床をさらに磨き始めた。

 リヒトは、そんな彼の背中を見つめながら、手元の台帳に小さな印をつけた。 (王都の闇に消えるはずだった才能が、一つ、光を見つけた。……母様、この国も、まだ捨てたものではないかもしれません。)

 とある雑貨店の棚に、また一つ、目に見えない「本当の価値」が積み上げられた。
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