王都の片隅、名もなき雑貨店 〜没落王子の鑑定眼と、粗野な義賊のバイト生活〜

kurimomo

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第2章:王都の雑貨店と夜の鴉

2−8:錆びた鍵と静寂の館

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 数日前の雨が、王都の空気を一層冷たく研ぎ澄ませたようだった。とある雑貨店のカウンターには、先日修理したオルゴールの底から現れた、古めかしい一本の銀鍵が置かれている。装飾は華美だが、長年の年月によって表面は黒ずみ、まるで持ち主の執念を吸い込んでいるかのように鈍い光を放っていた。

「……カイトくん、準備はいいですか? 今日は少し遠出になりますよ。」  

 この店の店主であるリヒトは、いつもの汚れ一つない執事のような装いに、厚手のウールコートを羽織りながら声をかけた。 

「おう、準備万端だぜ。……けどよ店主、本当にこんな鍵一本のために、わざわざ馬車を飛ばして郊外まで行くのか? 依頼人の婆さん、ただの形見だって言ってたんだろ。」

 カイトは背負い袋の紐を締め直しながら首を傾げる。彼の袋の中には、リヒトに「念のため」と持たされた鑑定道具一式――そして、エプロンの下に隠された、あの「修理されたパズル」が忍ばされている。リヒトは銀縁の眼鏡を指先で押し上げ、静かに微笑んだ。その瞳には、単なる好奇心を超えた、鑑定士としての冷徹な「確信」が宿っている。

「ただの形見、ですか。……カイト、あなたはまだ、物の『重さ』というものを表面的な価値でしか測れていないようですね。この鍵の素材を見てください。これは純銀ではなく、魔力を帯びた『静寂鋼(サイレント・スチール)』の合金です。かつての王宮貴族たちが、外部に漏らしたくない秘密を封印する際、特別に誂えさせた代物ですよ。これがオルゴールの奥底に隠されていた……。それは、誰かが命を賭して、この鍵が語る真実を守ろうとした証拠に他なりません。」

 リヒトの丁寧な、しかし重みのある言葉に、カイトは唾を呑んだ。 

「……命を賭して、か。物騒な話になってきたな。」 
「鑑定とは、物に宿る魂の遺言を聴く行為でもあります。依頼人の亡き夫が何を隠したかったのか、あるいは何を『遺したかったのか』……。それを見極めるのは、私たちが受けた依頼の一部です。」

 二人が乗り込んだ馬車は、石畳を叩く規則正しいリズムを刻みながら、王都の北側に広がる深い森へと向かった。辿り着いたのは、霧に包まれた湖のほとりに佇む、古びた石造りの館だった。かつては名門貴族の別荘だったのだろうが、今は蔦に覆われ、まるで時間が凍りついたかのような静寂に支配されている。

「……うわ、出そうだな。これ、本当に人が住んでたのかよ。」  

 馬車を降りたカイトが、思わず身震いして腕をさすった。 

「ええ。ですが、この館の沈黙は『死』によるものではありません。……カイト、耳を澄ませてごらん。鳥の声さえ聞こえないこの不自然な静まり。これこそが先ほど言った『静寂鋼』によって編まれた、大規模な結界の影響です。」

 リヒトは迷いのない足取りで、錆びついた鉄門の前に立った。彼は懐からあの銀の鍵を取り出すと、何もない空間に向かってそっと翳した。すると、霧が生き物のように揺らぎ、門の錠前がカチリと独りでに回る音が響く。

「……店主、あんた、鑑定士っていうより魔法使いかなんかなのか?」 
「まさか。私はただ、この鍵がどこに帰りたがっているかを理解しているだけですよ。さあ、入りましょうか。足元には気をつけてくださいね。この館の床板は、部外者の足音を嫌うようですから。」

 館の内部は、外観以上に壮麗な、しかし退廃的な空気に満ちていた。高く聳える天井には、色褪せたフレスコ画が描かれ、巨大なシャンデリアが蜘蛛の巣にまみれて吊り下がっている。リヒトは一歩進むごとに、壁に掛けられた絵画や、並べられた調度品に鋭い視線を送った。

「カイト、あちらの暖炉の上の燭台をよく見てください。何か気づくことはありませんか?」 

 リヒトの問いに、カイトは目を凝らした。

「……埃、か? いや、あの燭台の周りだけ、埃が積もってねえ。」 
「お見事。鋭いですね。ここ数十年、放置されていたはずの館に、最近になって『手入れ』をした者がいる。それも、特定の場所だけをね。……どうやら、この銀の鍵の行方を捜しているのは、私たちだけではないようです。」

 リヒトの言葉が終わらぬうちに、二階の回廊からギシリという鋭い音が響いた。カイトの体が反射的に低くなり、右手が背後の護身具へと伸びる。義賊としての本能が、何者かの気配を察知していた。

「……店主、下がってろ。客人が来たみたいだぜ。」 
「いえ、カイト。あなたは動かないでください。……そこに隠れているのは、おそらく『猟犬』の類ではありません。この館の悲しい『遺品』の一つでしょうから。」

 リヒトは丁寧な口調を崩さず、暗がりに向かって静かに呼びかけた。 

「……管理人の名代として伺いました、リヒトと申します。どうか、その古い短筒(たんづつ)を仕舞っていただけませんか? 骨董品としても価値のある代物ですが、暴発して貴重な絨毯を汚してしまっては、主への顔向けができませんよ。」

 暗がりから現れたのは、ボロボロの衣服を纏った、幽霊のように青白い顔をした一人の老人だった。その手には、震えるような手つきで古い銃が握られている。

「……鍵……あの鍵を、返しに来たのか……? それとも、あいつらの仲間か……」 
「落ち着いてください。私はこの鍵の元の持ち主……亡くなられた鑑定士の夫の意志を継ぎ、正当な場所へ戻しに来ただけです。あなたがずっと守り続けてきた、この『静寂の記憶』を解き放つために。」

 リヒトの言葉には、不思議な説得力があった。老人は銃を降ろし、力なく膝をついた。

 「……私は、この館の図書守だった。旦那様が亡くなる前、私に言ったのだ。『本物の鑑定眼を持つ者が現れるまで、この地下にあるものを隠し通せ』と……」

 リヒトは老人の元へ歩み寄り、その痩せ細った肩にそっと手を置いた。 

「ご苦労様でした。あなたの『忠義』という名の鑑定品は、今、私が最高級の評価を以て受理いたしました。……さあ、カイト。この老紳士を休ませてあげられるよう、私たちは地下の扉を開くとしましょうか。」

 老人が指し示した書架の裏側には、厚い鉄扉が隠されていた。その扉には、オルゴールの内部構造をさらに複雑にしたような、巨大な歯車の仕掛けが施されている。

「……店主、これ、俺の出番か?」  

カイトが前に出ようとしたが、リヒトはそれを制した。 

「いいえ、カイト。ここはあなたの『指先』ではなく、私の『知識』を鍵とするべき場所です。……この仕掛けは、特定の古文法に基づいた暗号盤になっている。……あ、い、う、え……お。……いえ、これは失礼。この家の当主は、王宮の隠語(コード)を韻文に組み込むのが好きだったようですね。」

 リヒトは独り言のように呟きながら、素手で歯車を回転させ始めた。その動きに迷いはなく、あたかも最初から答えを知っているかのようだった。  
 ガコン、と腹に響くような振動が館を揺らす。ゆっくりと扉が開いた先には、数千、数万もの「書類」と「宝石」が並ぶ、広大な地下室が広がっていた。

「……なんだこれ。宝の山じゃねえか。」 

 息を呑むカイトの横で、リヒトは一つの棚から一束の古びた書類を手に取った。 

「宝、ですか。……いいえ、カイト。これは、この国の歴史を根底から覆しかねない『毒』の詰まった箱ですよ。……二十年前、王都を揺るがした大規模な汚職事件。その全容を記録した証拠文書が、ここに眠っていたというわけです。」

 リヒトの眼鏡の奥で、瞳が鋭く光った。 

「鑑定士の仕事は、価値を見出すだけではありません。時には、表に出すべきではない『真贋の毒』を、適切な場所に封じ込めることも必要なのです。……カイト、今夜は忙しくなりますよ。この館にある『真実』をすべて鑑定し、整理しなければなりませんから。」

「……へっ、やりがいがありそうじゃねえか。店主、俺を連れてきたことを後悔させてやるぜ。一晩中、俺の質問攻めに耐えられるかな?」 
「ふふ、望むところですよ。あなたの若々しい『質問』という鑑定眼に、期待させていただきましょう。」

 リヒトは優雅に微笑み、地下室の明かりを灯した。霧に包まれた湖畔の館で、元王子と義賊の、長い夜の鑑定が幕を開けたのだった。
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