王都の片隅、名もなき雑貨店 〜没落王子の鑑定眼と、粗野な義賊のバイト生活〜

kurimomo

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第2章:王都の雑貨店と夜の鴉

2−7:鳴かない小鳥と雨上がりの茶会

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 昨夜の激しい雨が嘘のように、王都の空は透き通った青色に洗い流されていた。路地裏の窪みにはまだ雨水が残り、鏡のように街並みを映し出している。カイトは、その水たまりを軽やかなステップで飛び越えながら、自身が育った孤児院の門をくぐった。

「あ、カイト兄ちゃんだ! お帰り!」 
「おう、おはよ。ほら、転ぶなよ。」

 カイトは駆け寄ってくる子供たちの頭を左手で撫でまわした。右手はまだ少し痛むが、昨夜、あの「偽物の鴉」を叩きのめした爽快感がそれを上回っていた。偽物が奪った金は、今朝早くにパン屋の軒先にこっそりと戻してある。孤児院のシスターが、洗濯物を干しながらカイトに声をかけた。

 「カイト、昨夜は遅かったわね。またお店のお手伝い?」
 「ああ、ちょっと店主の片付けが長引いてさ。……じゃ、行ってくるわ。」

  カイトは気恥ずかしさを隠すように背を向け、活気に満ちた市民街へと駆け出した。

 とある雑貨店の扉を開けると、そこには既に、完璧に整えられた空間が広がっていた。店主のリヒトはカウンターの奥で、銀のティースプーンを丁寧に磨いている。窓から差し込む朝陽が、彼の白磁のような肌と、銀縁の眼鏡を眩しく反射していた。

「おはようございます、カイト。今日は随分と晴れやかな顔をしていますね。昨夜の雨が、あなたの心の埃まで洗い流してくれたのでしょうか?」 

 リヒトは顔を上げ、優雅に微笑んだ。その口調はいつも通り丁寧で、淀みがない。

「……おう、おはよう。まあな。いいいこどがあったんだ、気分がいいもんだぜ。」

  カイトはエプロンを締めながら、作業用の箒を手に取った。 

「それは重畳です。ところで、カイトくん。昨夜、西区の鉄工所の裏で、義賊の名を騙っていた無頼漢たちが揃って衛兵に届けられたという噂を耳にしました。犯人は『本物の鴉』に手酷く教育されたようですが……何かご存じですか?」

 カイトの手が止まる。 

「……さあな。そんなの、俺が知るわけねえだろ。俺は昨日、店を出た後は真っ直ぐ孤児院に帰って寝たんだよ。」 
「おや、そうでしたか。それは失礼いたしました。ですが、あなたのブーツの踵についている、その独特な『青い泥』……。あれは王都でも西区の、それも特定の鉄工所周辺の土壌にしか含まれない成分なのですがね。」

 カイトは自分の足元を凝視し、絶句した。

 「……あ、いや、これは、その……散歩した時にたまたま……!」 
「ふふ、あまり慌てないでください。私はただ、あなたが無事に『散歩』を終えられたことを喜んでいるだけですよ。」

 リヒトは磨き終えたスプーンを置き、カウンターの上に一つの中箱を出した。 

「さて、お喋りはこれくらいにして、仕事に取り掛かりましょうか。今朝、ある老婦人から持ち込まれた依頼品です。……見ていただけますか?」

 箱の中から現れたのは、精巧な細工が施された真鍮製の小鳥の置物だった。小鳥は今にも羽ばたきそうなほど生き生きと作られているが、どこか哀しげに項垂れているように見える。

「オルゴール……か?」 
「ええ。ですが、この小鳥はもう何十年も鳴くことを忘れているそうです。持ち主の方は、『これがもう一度鳴けば、亡くなった夫の秘密が分かるはずだ』とおっしゃっていました。」

 リヒトはルーペを手に取り、小鳥の胸元をじっくりと観察し始めた。

「カイト、君も近くで見てください。……この小鳥の翼の付け根。ここに、以前あなたが修理した『パズル』……いえ、精密な錠前と同じ技法が使われています。どうやらこの製作者は、大切な思い出を安易に暴かれないよう、厳重なロックを施したようですね。」

 カイトはリヒトの言葉を聞きながら、昨夜、自分が偽物の鴉を捕まえた時の感触を思い出していた。 

「……溜息、だろ? 店主が言ってた、金属の溜息を聞けってやつ。」 
「よく覚えていましたね。素晴らしい。……では、やってみましょうか。これは鑑定士としての私の目と、あなたの『繊細な指先』が合わさって初めて解ける謎です。」

 リヒトはカイトの横に立ち、細長いピンセットを手渡した。 

「私は横で、内部の構造をガイドしましょう。……まず、右の翼をわずかに三ミリ、上へ。……そうです。そこで止めて。次に、尾羽の三番目の節を、奥へ押し込む。……聞こえますか? 小さな、カチリという音を。」

 カイトは息を呑み、集中した。店主の丁寧な声が、まるで暗闇を照らす灯火のように道を示してくれる。右手の傷はまだ疼くが、リヒトが巻いてくれた包帯の感触が、不思議と心を落ち着かせた。店主の言う通りだ。力任せに開けようとすれば、この繊細な小鳥は壊れてしまう。対話するように。相手が心を開くのを待つように。

 やがて――。  カチリ、と。  昨日よりもずっと深い場所で、何かが噛み合う音がした。

 次の瞬間、小鳥がゆっくりと首を上げ、翼を広げた。中から流れ出してきたのは、この世のものとは思えないほど清らかな旋律だった。   

「……鳴いた。」  カイトが呆然と呟く。

 「いいえ、カイト。これは『鳴いた』のではありません。……心を開いたのですよ。」

 リヒトは満足げに頷き、オルゴールの底板がスライドするのを見逃さなかった。そこには、一枚の古びた手紙と、小さな鍵が隠されていた。

「これこそが、彼女の夫が遺した『鑑定されるべき真実』というわけです。……お疲れ様でした、カイトくん。素晴らしい仕事でしたよ。君の指先は、今や王都で最も高価な宝飾品よりも価値があるかもしれませんね。」

「……よせよ。俺はただ、あんたに言われた通りにしただけだ。」

  カイトは照れ隠しに顔を赤くし、乱暴に頭を掻いた。

「いいえ。指示を形にするのは、いつだって本人の意思です。……さて、雨上がりの午後に相応しい、とっておきの茶葉を用意しましょう。今日は孤児院の子供たちにも、この小鳥の歌を聞かせてあげたいので、早めに仕事を切り上げましょうか。」

「……本当かよ! あいつら、喜ぶぜ!」 

「ええ。子供たちの笑顔以上に、価値のある鑑定品はこの世に存在しませんから。」

 リヒトは優雅な所作でティーポットを火にかけた。雨上がりの雑貨店に、オルゴールの音色と紅茶の香りが満ちていく。 カイトは、自分の右腕の包帯を見つめ、それから窓の外の青空を見上げた。

 この食えない店主の隣で働く日常は、夜の鴉として飛び回る時間と同じくらい……いや、もしかしたらそれ以上に、自分にとって大切なものになりつつある。カイトは、リヒトが淹れてくれた温かい紅茶を受け取りながら、そんなことを密かに考えていた。

「……店主。あんた、やっぱり全部知ってるんだろ。」 
「何のことでしょうか? 私はただの、博識な雑貨屋の店主に過ぎませんよ、カイトくん。」

 リヒトは眼鏡の奥で、優しく、そして底知れない瞳を細めて微笑んだ。
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