王都の片隅、名もなき雑貨店 〜没落王子の鑑定眼と、粗野な義賊のバイト生活〜

kurimomo

文字の大きさ
26 / 34
第2章:王都の雑貨店と夜の鴉

2−20:食べられない料理(其の一)――拒絶の晩餐

しおりを挟む
 秋の陽光が、王都の裏通りにあるとある雑貨店の窓ガラスを琥珀色に染めていた。  
 カイトはカウンターの端で、先日仕入れたばかりの古い銀食器を磨きながら、盛大に腹の虫を鳴らしていた。

「……なあ店主。鑑定ってのは頭を使うから腹が減る。今日の昼飯、たまには奮発して角のパイ屋で買わないか? 焼きたてのミートパイの匂いがここまで漂ってきて、俺の集中力はもう限界だぜ。」

 この店の店主リヒトは、分厚い医学書から目を離さず、眼鏡のブリッジを中指で静かに押し上げた。 

「カイトくん。空腹は最高の調味料と言いますが、度が過ぎれば鑑定眼を曇らせる毒になります。……ですが、安心してください。その『食い気』が、今日のお客様にとっては、絶望の底で唯一共感できる救いになるかもしれませんよ」

 リヒトが予言めいた言葉を口にした直後、店の重い扉が、押し殺したような悲鳴を上げて開かれた。現れたのは、王都でも指折りの名家として知られる「ベルモンド伯爵家」の料理長、ジャンであった。真っ白なコックコートには一点のシミもないが、その顔色は土色で、両手は病的なまでに震えている。

「……助けてください、リヒト殿。……私は、もう包丁を握るのが恐ろしい。我が腕が、主(あるじ)を殺そうとしているのかもしれない。」

 ジャンが震える手でカウンターの上に置いたのは、豪華な彫金が施された銀製のドームカバー(クロッシュ)であった。リヒトが促すと、ジャンは決死の覚悟でその蓋を開けた。

 中に鎮座していたのは、見る者の食欲を瞬時に奪うほど、官能的で美しい「鴨のコンフィ」だった。琥珀色に輝く皮の質感、絶妙な赤みを残した肉の断面、そして芳醇な赤ワインのソース。漂ってくる香りは完璧で、王都のどの美食家も、この一皿を前にして沈黙を守ることはできないであろう。

「……おや。実に見事な一皿ですね。」

  リヒトはルーペを取り出すこともなく、その料理を静かに凝視した。 

「ですが、ジャン殿。あなたが震えているのは、これが『美しすぎる』からではないのでしょう? 鑑定士の目から見れば、この料理には一つだけ致命的な『欠落』があります。」
「……欠落?」 
「ええ。これほど素晴らしい香りがありながら、この料理の周囲には、本来あるべき『空気の対流』が感じられない。……まるで、時間が止まっているかのような異質な静止です。」

 ジャンが泣きそうな声で言った。 

「……そのとおりです。主人のベルモンド伯爵様は、一ヶ月前から、私が作るどんな料理も『一口も』食べられなくなった。……味覚障害ではありません。主人がフォークを肉に突き刺そうとすると……その、料理が、世界そのものが、主人の食事を『拒絶』するんです。」

 カイトが我慢できずに身を乗り出した。 

「拒絶? なんだよそれ、食べ物が生き物みたいに逃げ回るってのか? まさか、新種の毒とかか?」
「毒など入っていません! 私はこの三十年、伯爵家に命を懸けて仕えてきた。……ですが、見てください!」

 ジャンは懐から一本の銀のフォークを取り出し、震える手で鴨の肉を刺そうとした。 
 その瞬間だった。フォークの先が肉の表面に触れる直前、――キィン、という、硬質な金属同士がぶつかり合うような音が店内に響いた。フォークの刃が、まるで見えない鋼鉄の壁に阻まれたかのように、肉に触れることすらできず宙で弾き返されたのだ。

「……なっ! なんだよ今の!」  

 カイトが椅子から飛び上がる。肉は確かに柔らかそうに見える。しかし、物理的な干渉を一切受け付けない「拒絶の膜」が、料理の周囲数ミリを覆っているかのようだった。

 リヒトは無言のまま、カウンターの下から一本の「真鍮製のピン」を取り出した。彼はそのピンを、肉ではなく、皿の縁に添えられた「ハーブ」の茎へと向けた。 

 ――パチッ。  

青い火花が小さく散り、ピンはリヒトの手から弾き飛ばされた。

「……なるほど。ジャン殿。これは料理の腕の問題でも、幽霊の仕業でもありません。極めて緻密な『静電気的、あるいは磁気的な干渉』によるものです。」

  リヒトは眼鏡を外し、丁寧に磨き始めた。その瞳には、かつて王宮で数々の策略を見てきた者特有の、冷徹な輝きが宿っている。

「カイトくん。……店の奥の地下室から、私の『砂鉄の瓶』と、それから『絶縁処理を施したピンセット』を持ってきてください。……今から、この料理を『硬化』させている透明な檻の正体を鑑定します。」

 数分後。
 リヒトは皿の周囲に、微細な砂鉄を慎重に、かつ一定のリズムで撒いた。すると、驚くべき光景が広がった。砂鉄は鴨の肉の上に落ちることはなく、肉の周囲を囲むように、幾何学的な「格子状の模様」を描いて空中に整列したのだ。

「……やはり。カイトくん、見てください。この料理を包んでいるのは、物理的な壁ではありません。極薄の『魔導金属の粉末』が形成する、強力な磁気フィールドです。……それも、特定の『波長』に反応して、瞬時に斥力を生むように設計されています。」

「魔導金属? 誰がそんなもん、伯爵の飯に混ぜるんだよ。」

「それが鑑定の核心です、カイトくん。……ジャン殿、伯爵家の中で最近、新しい『食器』を新調した方はおられませんか? あるいは、食事の席で常に特定の『宝石』を身につけている方は。」

 ジャンの顔が、一気に青ざめた。 

「……あ。そういえば、一ヶ月前、伯爵夫人が『食欲を増進させる、北方の奇跡の指輪』というものを購入されました。主人の食事の世話は、常に夫人が、その指輪をはめた手でなされており……」
「……『食欲を増進させる指輪』、ですか。皮肉なネーミングですね。」  

 リヒトの瞳が、薄氷のように冷たくなった。 

「その指輪こそが、この魔導金属を活性化させる『発信機(トリガー)』だ。……夫人が指輪をはめた手で皿に近づくたびに、伯爵の体内、あるいは料理に含まれた金属粉末が反応し、物理的に口を塞ぐ。……伯爵夫人は、伯爵を『餓死』させようとしている。それも、目の前に最高級の料理を並べ、その香りを嗅がせながら、決して口にさせないという、最も残酷な『鑑定不能の殺意』を持ってね。」

「……奥様が、旦那様を……?」

「奥様の真意は私には分かりかねます。もう少し調べますので、後日またきていただけますか?」

「え、ええ。分かりました。」

ジャンは今にも倒れそうなほどのふらつく足取りで、、店のドアを潜っていった。


「……本来なら然るべき手順で伯爵邸へ正式に抗議すべきですが、証拠もなしに乗り込めば、それこそ私たちが不敬罪で捕らえられかねません。……困りましたね。誰か、正式な手続きを経ずに、夫人が伯爵にだけ与えているという『特製の健康塩』の成分を、こっそりと鑑定に回してくれる身軽な助手がいてくれればいいのですが。」

 リヒトはわざとらしく溜息をつき、手元の医学書に目を戻した。カイトはニヤリと笑った。店主は決して「盗め」とは言わない。だが、その言葉が自分に何を求めているか、彼は誰よりも理解していた。

「……店主。俺、ちょっと夜食を調達しに行ってくるわ。明日の朝までには戻るからよ。」

「おやおや、夜食ですか。それは健康的ですね、カイトくん。……くれぐれも、夜風に当たって風邪など引かないように。」

 カイトが影のように店を飛び出していくのを、リヒトは本を閉じることなく見送った。王子として、毒と策謀に満ちた王宮で育った彼にとって、愛という名の衣をまとった「殺意」の匂いは、どんな香辛料よりも鼻につくものだった。

「……贅沢な空腹。伯爵夫人、あなたが仕掛けたその『見えない檻』、私が余さず鑑定させていただきましょう。」

 王都の美食の裏側に隠された、残酷な「拒絶」の真実に、リヒトの鋭いメスが入り込もうとしていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】姉に婚約者を奪われ、役立たずと言われ家からも追放されたので、隣国で幸せに生きます

よどら文鳥
恋愛
「リリーナ、俺はお前の姉と結婚することにした。だからお前との婚約は取り消しにさせろ」  婚約者だったザグローム様は婚約破棄が当然のように言ってきました。 「ようやくお前でも家のために役立つ日がきたかと思ったが、所詮は役立たずだったか……」 「リリーナは伯爵家にとって必要ない子なの」  両親からもゴミのように扱われています。そして役に立たないと、家から追放されることが決まりました。  お姉様からは用が済んだからと捨てられます。 「あなたの手柄は全部私が貰ってきたから、今回の婚約も私のもの。当然の流れよね。だから謝罪するつもりはないわよ」 「平民になっても公爵婦人になる私からは何の援助もしないけど、立派に生きて頂戴ね」  ですが、これでようやく理不尽な家からも解放されて自由になれました。  唯一の味方になってくれた執事の助言と支援によって、隣国の公爵家へ向かうことになりました。  ここから私の人生が大きく変わっていきます。

【完結】クビだと言われ、実家に帰らないといけないの?と思っていたけれどどうにかなりそうです。

まりぃべる
ファンタジー
「お前はクビだ!今すぐ出て行け!!」 そう、第二王子に言われました。 そんな…せっかく王宮の侍女の仕事にありつけたのに…! でも王宮の庭園で、出会った人に連れてこられた先で、どうにかなりそうです!? ☆★☆★ 全33話です。出来上がってますので、随時更新していきます。 読んでいただけると嬉しいです。

追放された俺のスキル【整理整頓】が覚醒!もふもふフェンリルと訳あり令嬢と辺境で最強ギルドはじめます

黒崎隼人
ファンタジー
「お前の【整理整頓】なんてゴミスキル、もういらない」――勇者パーティーの雑用係だったカイは、ダンジョンの最深部で無一文で追放された。死を覚悟したその時、彼のスキルは真の能力に覚醒する。鑑定、無限収納、状態異常回復、スキル強化……森羅万象を“整理”するその力は、まさに規格外の万能チートだった! 呪われたもふもふ聖獣と、没落寸前の騎士令嬢。心優しき仲間と出会ったカイは、辺境の街で小さなギルド『クローゼット』を立ち上げる。一方、カイという“本当の勇者”を失ったパーティーは崩壊寸前に。これは、地味なスキル一つで世界を“整理整頓”していく、一人の青年の爽快成り上がり英雄譚!

無能烙印押された貧乏準男爵家三男は、『握手スキル』で成り上がる!~外れスキル?握手スキルこそ、最強のスキルなんです!

飼猫タマ
ファンタジー
貧乏準男爵家の三男トト・カスタネット(妾の子)は、13歳の誕生日に貴族では有り得ない『握手』スキルという、握手すると人の名前が解るだけの、全く使えないスキルを女神様から授かる。 貴族は、攻撃的なスキルを授かるものという頭が固い厳格な父親からは、それ以来、実の息子とは扱われず、自分の本当の母親ではない本妻からは、嫌がらせの井戸掘りばかりさせられる毎日。 だが、しかし、『握手』スキルには、有り得ない秘密があったのだ。 なんと、ただ、人と握手するだけで、付随スキルが無限にゲットできちゃう。 その付随スキルにより、今までトト・カスタネットの事を、無能と見下してた奴らを無意識下にザマーしまくる痛快物語。

【完結済】獅子姫と七人の騎士〜婚約破棄のうえ追放された公爵令嬢は戦場でも社交界でも無双するが恋愛には鈍感な件〜

鈴木 桜
恋愛
強く賢く、美しい。絵に描いたように完璧な公爵令嬢は、婚約者の王太子によって追放されてしまいます。 しかし…… 「誰にも踏み躙られない。誰にも蔑ろにされない。私は、私として尊重されて生きたい」 追放されたが故に、彼女は最強の令嬢に成長していくのです。 さて。この最強の公爵令嬢には一つだけ欠点がありました。 それが『恋愛には鈍感である』ということ。 彼女に思いを寄せる男たちのアプローチを、ことごとくスルーして……。 一癖も二癖もある七人の騎士たちの、必死のアプローチの行方は……? 追放された『哀れな公爵令嬢』は、いかにして『帝国の英雄』にまで上り詰めるのか……? どんなアプローチも全く効果なし!鈍感だけど最強の令嬢と騎士たちの英雄譚! どうぞ、お楽しみください!

とっていただく責任などありません

まめきち
恋愛
騎士団で働くヘイゼルは魔物の討伐の際に、 団長のセルフイスを庇い、魔法陣を踏んでしまう。 この魔法陣は男性が踏むと女性に転換するもので、女性のヘイゼルにはほとんど影響のない物だった。だか国からは保証金が出たので、騎士を辞め、念願の田舎暮らしをしようとしたが!? ヘイゼルの事をずっと男性だと思っていたセルフイスは自分のせいでヘイゼルが職を失っただと思って来まい。 責任を取らなければとセルフイスから、 追いかけられる羽目に。

悪女として処刑されたはずが、処刑前に戻っていたので処刑を回避するために頑張ります!

ゆずこしょう
恋愛
「フランチェスカ。お前を処刑する。精々あの世で悔いるが良い。」 特に何かした記憶は無いのにいつの間にか悪女としてのレッテルを貼られ処刑されたフランチェスカ・アマレッティ侯爵令嬢(18) 最後に見た光景は自分の婚約者であったはずのオルテンシア・パネットーネ王太子(23)と親友だったはずのカルミア・パンナコッタ(19)が寄り添っている姿だった。 そしてカルミアの口が動く。 「サヨナラ。かわいそうなフランチェスカ。」 オルテンシア王太子に見えないように笑った顔はまさしく悪女のようだった。 「生まれ変わるなら、自由気ままな猫になりたいわ。」 この物語は猫になりたいと願ったフランチェスカが本当に猫になって戻ってきてしまった物語である。

私、今から婚約破棄されるらしいですよ!舞踏会で噂の的です

ゆきりん(安室 雪)
恋愛
デビュタント以来久しぶりに舞踏会に参加しています。久しぶりだからか私の顔を知っている方は少ないようです。何故なら、今から私が婚約破棄されるとの噂で持ちきりなんです。 私は婚約破棄大歓迎です、でも不利になるのはいただけませんわ。婚約破棄の流れは皆様が教えてくれたし、さて、どうしましょうね?

処理中です...