王都の片隅、名もなき雑貨店 〜没落王子の鑑定眼と、粗野な義賊のバイト生活〜

kurimomo

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第2章:王都の雑貨店と夜の鴉

2−21:食べられない料理(其の二)――吸着する悪意

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 夜の帳が王都を深く包み込み、とある雑貨店の二階にある鑑定室には、一本の蝋燭とアルコールランプの青い炎だけが揺れていた。外では時折、夜警が石畳を叩く規則正しい足音が聞こえ、それがかえって店内の静寂を際立たせている。

 リヒトは、旧式の顕微鏡のピントを慎重に合わせ、スライドガラスの上に乗せた「純白の塩」を覗き込んでいた。その横で、夜装束のまま窓枠に腰掛けたカイトが、退屈そうに短剣の鞘を弄んでいる。

「……店主。その塩、見た目はそこらの高級品と変わらねえぜ。伯爵夫人の私室にある、あの趣味の悪い金細工の小箱に詰まってたんだ。ご丁寧に『聖地の加護』なんてラベルまで貼ってやがった。」

 リヒトは無言のまま、ピンセットで塩の結晶を一つ、小さな試験管に移した。そこに特製の溶解液を一滴垂らす。 

「カイトくん。……鑑定において『見た目』は、真実を隠すための最も安価な梱包材に過ぎません。おやおや……やはり、予想通りですね。」

 リヒトが顕微鏡から顔を上げ、カイトに席を譲った。 

「覗いてごらんなさい。塩が溶けた後、底に残っている『それ』を。」

 カイトは訝しげにレンズを覗き込み、思わず息を呑んだ。純白だったはずの塩の中から、微細な、しかし禍々しいほどに鋭利な「黒い棘」のような粒子が、無数に浮き上がっていたのだ。

「……なんだよこれ。砂鉄か?」

「性質は似ていますが、より悪質です。……これは『極磁鉱(きょくじこう)』の微粉末。北方の特定の地層からのみ産出される、極めて高い磁気感応性を持つ天然の金属です。カイトくん、もし伯爵がこれを一ヶ月間摂取し続けたとしたら、彼の体内はどうなっていると思いますか?」

「……身体のあちこちに、このトゲトゲが刺さってるってことか?」

「物理的に刺さるというより、定着するのです。この極微細な粒子は消化管の粘膜に吸着し、さらに血液中の鉄分と結びつくことで、伯爵の口腔から胃にかけての領域を、高密度の『磁性体』へと変質させてしまう。……そこで、夫人があの『指輪』をはめて近づくわけです。」

 リヒトはカイトが同時に持ち帰ってきた、夫人の指輪の「鑑定証明書」と称する書面を広げた。そこには大粒の『青魔石』の性質が、誇大広告じみた美辞麗句と共に記されている。

「この指輪に嵌められた青魔石は、特定の波長の振動を与えることで、周囲に指向性の強い磁場を発生させる特性があります。……夫人が慈しむように伯爵の口元へスプーンを運ぼうとすればするほど、体内の磁性粉末と指輪が互いに猛烈な勢いで反発し合う。結果として、目に見えない強固な『物理的な壁』が形成されるのです。伯爵が感じているのは、単なる食欲不振ではありません。内臓を内側から引き剥がされるような、強烈な磁気的ショックそのものなのです。」

 カイトは顔をしかめ、自分の腹をさすった。

 「……食おうとするたびに、腹の中からぶん殴られるようなもんか。胸糞悪りいな。けどよ店主、夫人は本気で『健康に良い』って信じてたんだろ? あの小箱の丁寧な扱い方、ありゃあ本物だったぜ。愛する夫を救うための聖なる塩、ってな。」

「ええ。夫人の所作や、ジャン殿の話を聞く限り、彼女の善意に嘘はないでしょう。……だからこそ、その『無知』を誘導し、善意を殺意へと変換させた供給者が、最も悪質な毒物と言えます。」

 リヒトは小瓶の底に沈んだ黒い粉末を、磁石のついたピンで弄んだ。粉末は磁石を避けるように、不気味な幾何学模様を描きながら逃げ惑う。

「この極磁鉱をこれほど細かく、均一に精製するのは、通常の薬師の技術ではありません。極めて専門的な、錬金術の設備を必要とするはずです。カイトくん、あの塩の小箱の底に、何か刻印はありませんでしたか?」

「……そういや、変なトカゲのマークが彫ってあったな。見たことねえ紋章だ。」

 リヒトは眼鏡を外し、布で丁寧に拭い始めた。その瞳は、紋章の正体を既に鑑定し終えていたが、それを言葉にしてカイトに伝えることはなかった。

(……火トカゲの紋章。かつて王宮の地下で禁忌に触れ、影へと消えた錬金術師一派の印か。彼らが伯爵を衰弱させ、その後に誰を据えようとしているのか……。それは、今の私には不要な鑑定結果だ。私はただの、雑貨店の店主(マスター)なのだから。)

 リヒトは静かに立ち上がり、机の引き出しから一本の風変わりな「銀のフォーク」を取り出した。その柄の部分は通常より厚みがあり、内部には極小のコイルと、緻密に計算された回路が組み込まれている。

「カイトくん。明日の晩、伯爵邸で開催される『健康回復を祝う小晩餐会』。……私たちが、ベルモンド伯爵に『一口の真実』を届けに行く時間です。このフォークは、いわば一時的な中和装置。相手の磁場を計算し、逆の磁場を発生させることで、あの見えない壁を数秒間だけ消滅させます。」

「その変なフォーク、そんなことができるのかよ。……へっ、面白くなってきやがった。」

「磁力には、磁力を。……そして、嘘には、さらに巧妙な論理を。カイトくん、あなたには『食器の運搬助手』として同行してもらいますよ。粗相のないように。」

 リヒトはアルコールランプの青い火を吹き消した。闇の中で、顕微鏡のレンズが窓から差し込む月光を反射して、まるで沈黙を守る監視者の目のように鋭く光っていた。

「……愛が人を殺す道具に使われるのは、鑑定士として実に寝つきが悪いものですからね。」

 王子の記憶を胸の奥底に鍵をかけて沈め、リヒトは翌日の「晩餐」に向けた最後の調整に取り掛かった。
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