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第2章:王都の雑貨店と夜の鴉
2−22:食べられない料理(其の終)――真実の晩餐
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ベルモンド伯爵邸の食堂は、眩いばかりのシャンデリアの光と、着飾った貴族たちの社交辞令に満ちていた。だが、その華やかさの裏側には、死の予感に似た奇妙な緊張感が漂っている。
長テーブルの主賓席に座るベルモンド伯爵は、一ヶ月前とは別人のように痩せ細り、その瞳からは生気が失われていた。
「さあ、旦那様。今夜こそ、この聖なる塩で清めた鴨のコンフィを召し上がってください。あなたの健康を願う私の祈りが、きっと奇跡を起こしますわ。」
伯爵夫人が、慈愛に満ちた笑みを浮かべて伯爵に寄り添う。彼女の指には、あの「青魔石」の指輪が怪しく輝いていた。その傍らで、「食器の微調整師」という名目で給仕に混じっているリヒトは、無表情にその光景を見つめていた。カイトは弟子の振りをしながら、銀のトレイを掲げ、リヒトが調整した「特製のフォーク」を伯爵の前に置いた。
「……伯爵閣下。そのフォークは、閣下の衰弱した握力でも重みを感じぬよう、重心を計算し尽くした特注品です。どうか、最後の一口だと思ってお試しください。」
リヒトの静かな、しかし確信に満ちた声が食堂に響く。伯爵は震える手で、その銀のフォークを握った。その瞬間、フォーク内部に仕込まれた極小の回路が作動し、微弱な、しかし正確に計算された「逆磁場」が発生した。
夫人が指輪をはめた手を伯爵の口元へ差し出す。本来なら、ここで目に見えない衝突が起こり、伯爵は激痛と共にフォークを弾き飛ばすはずだった。だが、リヒトの相殺装置は、夫人の指輪が発する磁界を完全に打ち消した。
――サクッ。
フォークの先が、鴨の肉を捉えた。一ヶ月間、誰の手によっても傷つけることができなかった「拒絶の肉」が、今、伯爵の口へと運ばれていく。
「……あ……ああ……」
伯爵がゆっくりと咀嚼し、嚥下する。その喉が動く音を聞いた瞬間、食堂は凍りついたような静寂に包まれた。
「食べた……。旦那様が、召し上がったわ!」
夫人が歓喜の声を上げ、伯爵に抱きつこうとする。だが、その時だった。
「お待ちください、伯爵夫人。その手をお引きください。あなたのその『愛』が、今の伯爵にとっては最大の猛毒です。」
リヒトの鋭い声が、シャンデリアの揺らぎを止めるかのように響き渡った。参列者の中から、一人の男が立ち上がった。伯爵の主治医であり、夫人にあの薬と指輪を薦めた男、ヴァン・ドールだ。彼は顔色を変え、リヒトを指差した。
「貴様、何を無礼な! 職人の分際で夫人の献身を汚すか!」
「献身、ですか。ドール先生、あなたの鑑定眼は随分と曇っているよですね。」
リヒトは悠然と歩み寄り、ポケットから一粒の『黒い砂』を取り出した。それは昨日、カイトが盗み出してきた塩の中から分離した極磁鉱の粉末だった。
「伯爵が食べられなかったのは、病のせいでも呪いのせいでもない。……あなたが夫人に売りつけた『聖なる塩』と、その『指輪』による物理的な排斥現象だ。夫人が近づけば磁気が反発し、伯爵の喉を塞ぐ。……あなたが仕組んだのは、愛する妻の手によって夫を餓死させるという、世界で最も残酷な舞台装置です。」
「出鱈目を! 磁気だと? そんな非科学的な……」
「科学的ですよ、ドール先生。磁気とは目に見えぬだけで、確かな質量を持つ物理現象です。……証拠に、あなたの胸ポケットに忍ばせているその『調整用の発信器』を出してみてください。」
リヒトの合図と同時に、カイトが電光石火の動きでドールに肉薄した。驚くドールの懐から、カイトの手が小さな黒い機械を奪い去る。
「……あったぜ、店主。こいつ、こっそりダイヤルを回して磁力を操ってやがったんだな。伯爵が死ぬ寸前にだけ、少しだけ食べさせて命を繋ぎ、恐怖を煽るために。」
カイトが奪った装置を床に叩きつけると、中から不気味なトカゲの紋章が刻印された基板が転がり出た。
「……サラマンドラの錬金術。……ドール先生、あなたは伯爵を衰弱させ、心神喪失に追い込んだ上で、夫人に全財産の譲渡書類を書かせるつもりだった。……違いますか?」
リヒトの瞳は、もはや雑貨店の店主のものではなかった。かつて王宮の玉座の傍らで、真実のみを射抜いてきた王子の、峻厳たる「審判者の目」だった。
ドールはガタガタと震え出し、逃げようとしたが、既にカイトが退路を断っていた。
「……鑑定完了です。……この館に満ちていたのは『食べられない呪い』ではなく、あなたの底知れぬ強欲です。」
騒動が収まり、ドールが警備兵に引き立てられていった後。食堂には、ようやく温かいスープの香りが、本来の役割を持って満ち始めていた。伯爵は、涙を流しながら自分を責める夫人の手を、痩せ細った手で優しく握り返していた。
「……責めないでくれ、ミレーヌ。君の愛だけは、この磁石よりも強く私に届いていたよ。」
リヒトは、その光景を背に、静かに食堂を後にしようとした。
「店主。……いいのかよ。あんなに感謝されたのに、報酬も受け取らずによ。」
カイトが隣で、少し不満そうに尋ねた。
「報酬は既にいただいていますよ、カイトくん。……見てごらんなさい。あのテーブルに並んだ料理が、今は何の抵抗もなく、あるべき場所へ収まっている。……料理が『食べられる』という当たり前の事実を鑑定すること以上に、素晴らしい報酬がどこにあるというのです?」
リヒトは外套の襟を立て、夜の王都へと歩き出した。とある雑貨店の灯りが見えてくると、リヒトはふと、足を止めて夜空を見上げた。
「……カイトくん。明日の朝食は、あなたが言っていた角のパイ屋のミートパイにしましょうか。。」
「へっ! やっとその気になったか! 店主の奢りだぜ?」
「……ええ。本物の、何の細工もない、美味しいパイを鑑定することにしましょう。」
リヒトの口元に、微かな、しかし本物の微笑が浮かんだ。王宮で毒を恐れ、常に鑑定を強要されていた孤独な食卓。そこから逃れ、今、信頼できる相棒と囲む質素な食卓こそが、彼にとっての「本物の逸品」だった。
雑貨店の扉が開く。 カラン、というベルの音が、静かな夜の空気に心地よく響き渡った。
長テーブルの主賓席に座るベルモンド伯爵は、一ヶ月前とは別人のように痩せ細り、その瞳からは生気が失われていた。
「さあ、旦那様。今夜こそ、この聖なる塩で清めた鴨のコンフィを召し上がってください。あなたの健康を願う私の祈りが、きっと奇跡を起こしますわ。」
伯爵夫人が、慈愛に満ちた笑みを浮かべて伯爵に寄り添う。彼女の指には、あの「青魔石」の指輪が怪しく輝いていた。その傍らで、「食器の微調整師」という名目で給仕に混じっているリヒトは、無表情にその光景を見つめていた。カイトは弟子の振りをしながら、銀のトレイを掲げ、リヒトが調整した「特製のフォーク」を伯爵の前に置いた。
「……伯爵閣下。そのフォークは、閣下の衰弱した握力でも重みを感じぬよう、重心を計算し尽くした特注品です。どうか、最後の一口だと思ってお試しください。」
リヒトの静かな、しかし確信に満ちた声が食堂に響く。伯爵は震える手で、その銀のフォークを握った。その瞬間、フォーク内部に仕込まれた極小の回路が作動し、微弱な、しかし正確に計算された「逆磁場」が発生した。
夫人が指輪をはめた手を伯爵の口元へ差し出す。本来なら、ここで目に見えない衝突が起こり、伯爵は激痛と共にフォークを弾き飛ばすはずだった。だが、リヒトの相殺装置は、夫人の指輪が発する磁界を完全に打ち消した。
――サクッ。
フォークの先が、鴨の肉を捉えた。一ヶ月間、誰の手によっても傷つけることができなかった「拒絶の肉」が、今、伯爵の口へと運ばれていく。
「……あ……ああ……」
伯爵がゆっくりと咀嚼し、嚥下する。その喉が動く音を聞いた瞬間、食堂は凍りついたような静寂に包まれた。
「食べた……。旦那様が、召し上がったわ!」
夫人が歓喜の声を上げ、伯爵に抱きつこうとする。だが、その時だった。
「お待ちください、伯爵夫人。その手をお引きください。あなたのその『愛』が、今の伯爵にとっては最大の猛毒です。」
リヒトの鋭い声が、シャンデリアの揺らぎを止めるかのように響き渡った。参列者の中から、一人の男が立ち上がった。伯爵の主治医であり、夫人にあの薬と指輪を薦めた男、ヴァン・ドールだ。彼は顔色を変え、リヒトを指差した。
「貴様、何を無礼な! 職人の分際で夫人の献身を汚すか!」
「献身、ですか。ドール先生、あなたの鑑定眼は随分と曇っているよですね。」
リヒトは悠然と歩み寄り、ポケットから一粒の『黒い砂』を取り出した。それは昨日、カイトが盗み出してきた塩の中から分離した極磁鉱の粉末だった。
「伯爵が食べられなかったのは、病のせいでも呪いのせいでもない。……あなたが夫人に売りつけた『聖なる塩』と、その『指輪』による物理的な排斥現象だ。夫人が近づけば磁気が反発し、伯爵の喉を塞ぐ。……あなたが仕組んだのは、愛する妻の手によって夫を餓死させるという、世界で最も残酷な舞台装置です。」
「出鱈目を! 磁気だと? そんな非科学的な……」
「科学的ですよ、ドール先生。磁気とは目に見えぬだけで、確かな質量を持つ物理現象です。……証拠に、あなたの胸ポケットに忍ばせているその『調整用の発信器』を出してみてください。」
リヒトの合図と同時に、カイトが電光石火の動きでドールに肉薄した。驚くドールの懐から、カイトの手が小さな黒い機械を奪い去る。
「……あったぜ、店主。こいつ、こっそりダイヤルを回して磁力を操ってやがったんだな。伯爵が死ぬ寸前にだけ、少しだけ食べさせて命を繋ぎ、恐怖を煽るために。」
カイトが奪った装置を床に叩きつけると、中から不気味なトカゲの紋章が刻印された基板が転がり出た。
「……サラマンドラの錬金術。……ドール先生、あなたは伯爵を衰弱させ、心神喪失に追い込んだ上で、夫人に全財産の譲渡書類を書かせるつもりだった。……違いますか?」
リヒトの瞳は、もはや雑貨店の店主のものではなかった。かつて王宮の玉座の傍らで、真実のみを射抜いてきた王子の、峻厳たる「審判者の目」だった。
ドールはガタガタと震え出し、逃げようとしたが、既にカイトが退路を断っていた。
「……鑑定完了です。……この館に満ちていたのは『食べられない呪い』ではなく、あなたの底知れぬ強欲です。」
騒動が収まり、ドールが警備兵に引き立てられていった後。食堂には、ようやく温かいスープの香りが、本来の役割を持って満ち始めていた。伯爵は、涙を流しながら自分を責める夫人の手を、痩せ細った手で優しく握り返していた。
「……責めないでくれ、ミレーヌ。君の愛だけは、この磁石よりも強く私に届いていたよ。」
リヒトは、その光景を背に、静かに食堂を後にしようとした。
「店主。……いいのかよ。あんなに感謝されたのに、報酬も受け取らずによ。」
カイトが隣で、少し不満そうに尋ねた。
「報酬は既にいただいていますよ、カイトくん。……見てごらんなさい。あのテーブルに並んだ料理が、今は何の抵抗もなく、あるべき場所へ収まっている。……料理が『食べられる』という当たり前の事実を鑑定すること以上に、素晴らしい報酬がどこにあるというのです?」
リヒトは外套の襟を立て、夜の王都へと歩き出した。とある雑貨店の灯りが見えてくると、リヒトはふと、足を止めて夜空を見上げた。
「……カイトくん。明日の朝食は、あなたが言っていた角のパイ屋のミートパイにしましょうか。。」
「へっ! やっとその気になったか! 店主の奢りだぜ?」
「……ええ。本物の、何の細工もない、美味しいパイを鑑定することにしましょう。」
リヒトの口元に、微かな、しかし本物の微笑が浮かんだ。王宮で毒を恐れ、常に鑑定を強要されていた孤独な食卓。そこから逃れ、今、信頼できる相棒と囲む質素な食卓こそが、彼にとっての「本物の逸品」だった。
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