王都の片隅、名もなき雑貨店 〜没落王子の鑑定眼と、粗野な義賊のバイト生活〜

kurimomo

文字の大きさ
32 / 34
第2章:王都の雑貨店と夜の鴉

2−26:夢を売る紳士(其の一)――硝子のなかの残像

しおりを挟む
 冬の夜は長く、とある雑貨店の窓の外では、吹き付ける風が細い指先でガラスを叩くような音を立てていた。  
 カイトはカウンターで、最近凝っているという安ワインをちびちびと舐めながら、大きな欠伸をした。

「……なあ店主。影の次は、もっと分かりやすい依頼がいいぜ。例えば、でっかい金塊の鑑定とか、呪われた名刀の処分とかな。形がないもんを相手にするのは、どうも肩が凝って仕方ねえ。」

 リヒトは、カウンターの奥で一台の「精密天秤」を調整していた。その動きは静謐で、風の音さえも彼の集中を乱すことはできない。 

「カイトくん。形がないからこそ、人はそこに無限の価値を見出そうとするのです。……ですが、あなたの願いは半分だけ叶ったようですよ。……『形のある、形のない依頼』が、扉の向こうに立っています。」

 リヒトの言葉が終わらぬうちに、ベルが、澄んだ、しかしどこか現実味のない音色を響かせた。  店内に滑り込んできたのは、銀髪を完璧に整え、仕立ての良い燕尾服に身を包んだ初老の紳士だった。その身のこなしには一分の隙もなく、漂う香水の香りは、王都の貴族街でも最上級のものだ。

「……こんばんは。……ここが、どんな『真実』も白日の下に晒すと噂の、魂の鑑定所ですかな?」

 紳士は優雅に会釈し、胸元から一つの小さな箱を取り出した。ベルベットに包まれたその箱の中から現れたのは、親指ほどの大きさしかない、クリスタル製の小瓶であった。一見すると、それはただの空瓶に見えた。中には液体も、粉末も、何も入っていないように思える。

「……おやおや、おじいさん。うちは空き瓶の回収はやってねえぜ。」 

 カイトが茶化したが、リヒトの目はその瞬間に鋭く細められた。

「……静かに、カイトくん。……お名前を伺っても?」

「……人は私を、マルローと呼びます。……かつて王宮で香りを調合し、王たちの眠りを守っていた、ただの隠居人です。……今夜は、私の生涯の最高傑作……『真実の夢』を鑑定していただきたく、参りました。」

 マルローと名乗った紳士は、小瓶をカウンターにそっと置いた。リヒトはルーペを取り出し、瓶の表面を、そして底を凝視した。

「……美しい瓶ですね。……ですが、マルロー殿。この瓶には『質量』がある。空気が入っているだけにしては、三ミリグラムほど、重すぎる。」

 リヒトは精密天秤に小瓶を載せた。針は微かに、しかし確実に振れた。 


「……さらに、瓶の底に埋め込まれたこの透明な破片……。これはダイヤモンドではなく、魔導的な共鳴を引き起こす『蓄音石(ちくおんせき)』の極小チップだ。」

 カイトは不思議そうに瓶を覗き込んだ。 

「重い? 石が入ってる? ……どれ、俺にも見せてくれよ。」

 カイトが手を伸ばし、小瓶を手に取ろうとしたその時だった。マルローが、意味深な笑みを浮かべて囁いた。 

「……どうぞ、お若いの。その栓は、少しばかり緩んでおりますゆえ……『漏れ出る夢』にご注意を。」
「あ?」  

 カイトが瓶に触れた瞬間、確かに、指先に微かな振動が伝わった。そして、カイトの繊細な指が、無意識に瓶のガラス栓を僅か一ミリだけ、回してしまった。

 ――プシュッ。

 極めて微かな、霧が吹くような音がした。同時に、カイトの鼻腔を、甘く、それでいて鉄錆のような鋭い匂いが突き抜けた。

「……ッ!? な、なんだ、これ……!」

 カイトの視界が、一瞬にして歪んだ。雑貨店の棚、リヒトの顔、カウンター……すべてが溶け落ち、代わりに彼の目の前に広がったのは、地獄のような光景だった。

 王都が、焼けている。  空は血のように赤く、巨大な時計塔が轟音を立てて崩れ落ちていく。人々が逃げ惑い、絶望の叫びが、耳の奥で蓄音石が奏でる不気味な不協和音となって響き渡る。  熱い。頬を焼く火の粉の感触、鼻を突く焦げた肉の匂い。  それは、未来の予言か、あるいは、忘れたはずの過去の再現か。

「……カイトくん! 離しなさい!」

 リヒトの声が、遥か遠くの雷鳴のように聞こえた。リヒトはカイトの手を叩き、瞬時に瓶の栓を締め直した。同時に、カイトの鼻先に、自ら調合した「強い刺激臭のする嗅ぎ薬」を突きつけた。

「……ハァッ! ……ハァ、ハァ……!」  

 カイトは膝をつき、激しく咳き込んだ。冷たい汗が、滝のように額を流れていく。 


「……な、なんだ……。今のは……。王都が……燃えて……」

 リヒトは、手の中に残った小瓶を、憎しみを込めて見つめた。 

「……カイトくん、大丈夫ですか。……マルロー殿。……これは『夢』などという美しいものではない。……脳の感覚中枢に、特定のイメージを強制的に書き込む、揮発性の幻覚剤……そして、記憶を補完するための『音の暗号』です。……あなたは、これを売っているのですか?」

 マルローは満足そうに目を細め、胸に手を当てた。 

「……左様。悩み深き要人たちに、彼らが望む『未来』を、あるいは彼らが恐れるべき『警告』を売っております。……リヒト殿。この夢は、一週間後、実際にこの王都で起こる『可能性』を鑑定した結果を抽出したもの。……さて、この悪夢の価値、あなたならいくらと鑑定されますかな?」

 リヒトの瞳が、青白く燃えた。それはかつて王宮で、他人の記憶を弄び、恐怖で支配しようとした策士たちを排除した時と同じ、静かな憤怒の色だった。

「……人の脳を実験場にし、恐怖を売り捌くとは……。……鑑定するまでもありません。……これは、この世で最も不潔な『贋作』です。」

 マルローは動じることなく、優雅に扉へと向かった。 

「……おや、手厳しい。……ですが、瓶を開けてしまったのは彼の方だ。……一度見た『夢』は、魂に根を張りますぞ。……鑑定を終えたければ、明日の夜、旧市街の香水工房までお越しください。……真実の目覚めを、お約束しましょう。」

 紳士が去った後。  
 店内には、カイトの荒い呼吸と、風の音だけが残された。リヒトは、カウンターに残された空の小瓶を、鋭い眼差しで見つめていた。

「……カイトくん。……今夜は眠ってはいけません。……その悪夢の残滓(ざんし)、私が今から論理の力で、すべて解体して差し上げます。」

 形のない「夢」という名の暴力に対し、リヒトの鑑定士としての矜持が、深夜の雑貨店で静かに研ぎ澄まされていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】姉に婚約者を奪われ、役立たずと言われ家からも追放されたので、隣国で幸せに生きます

よどら文鳥
恋愛
「リリーナ、俺はお前の姉と結婚することにした。だからお前との婚約は取り消しにさせろ」  婚約者だったザグローム様は婚約破棄が当然のように言ってきました。 「ようやくお前でも家のために役立つ日がきたかと思ったが、所詮は役立たずだったか……」 「リリーナは伯爵家にとって必要ない子なの」  両親からもゴミのように扱われています。そして役に立たないと、家から追放されることが決まりました。  お姉様からは用が済んだからと捨てられます。 「あなたの手柄は全部私が貰ってきたから、今回の婚約も私のもの。当然の流れよね。だから謝罪するつもりはないわよ」 「平民になっても公爵婦人になる私からは何の援助もしないけど、立派に生きて頂戴ね」  ですが、これでようやく理不尽な家からも解放されて自由になれました。  唯一の味方になってくれた執事の助言と支援によって、隣国の公爵家へ向かうことになりました。  ここから私の人生が大きく変わっていきます。

【完結】クビだと言われ、実家に帰らないといけないの?と思っていたけれどどうにかなりそうです。

まりぃべる
ファンタジー
「お前はクビだ!今すぐ出て行け!!」 そう、第二王子に言われました。 そんな…せっかく王宮の侍女の仕事にありつけたのに…! でも王宮の庭園で、出会った人に連れてこられた先で、どうにかなりそうです!? ☆★☆★ 全33話です。出来上がってますので、随時更新していきます。 読んでいただけると嬉しいです。

追放された俺のスキル【整理整頓】が覚醒!もふもふフェンリルと訳あり令嬢と辺境で最強ギルドはじめます

黒崎隼人
ファンタジー
「お前の【整理整頓】なんてゴミスキル、もういらない」――勇者パーティーの雑用係だったカイは、ダンジョンの最深部で無一文で追放された。死を覚悟したその時、彼のスキルは真の能力に覚醒する。鑑定、無限収納、状態異常回復、スキル強化……森羅万象を“整理”するその力は、まさに規格外の万能チートだった! 呪われたもふもふ聖獣と、没落寸前の騎士令嬢。心優しき仲間と出会ったカイは、辺境の街で小さなギルド『クローゼット』を立ち上げる。一方、カイという“本当の勇者”を失ったパーティーは崩壊寸前に。これは、地味なスキル一つで世界を“整理整頓”していく、一人の青年の爽快成り上がり英雄譚!

無能烙印押された貧乏準男爵家三男は、『握手スキル』で成り上がる!~外れスキル?握手スキルこそ、最強のスキルなんです!

飼猫タマ
ファンタジー
貧乏準男爵家の三男トト・カスタネット(妾の子)は、13歳の誕生日に貴族では有り得ない『握手』スキルという、握手すると人の名前が解るだけの、全く使えないスキルを女神様から授かる。 貴族は、攻撃的なスキルを授かるものという頭が固い厳格な父親からは、それ以来、実の息子とは扱われず、自分の本当の母親ではない本妻からは、嫌がらせの井戸掘りばかりさせられる毎日。 だが、しかし、『握手』スキルには、有り得ない秘密があったのだ。 なんと、ただ、人と握手するだけで、付随スキルが無限にゲットできちゃう。 その付随スキルにより、今までトト・カスタネットの事を、無能と見下してた奴らを無意識下にザマーしまくる痛快物語。

【完結済】獅子姫と七人の騎士〜婚約破棄のうえ追放された公爵令嬢は戦場でも社交界でも無双するが恋愛には鈍感な件〜

鈴木 桜
恋愛
強く賢く、美しい。絵に描いたように完璧な公爵令嬢は、婚約者の王太子によって追放されてしまいます。 しかし…… 「誰にも踏み躙られない。誰にも蔑ろにされない。私は、私として尊重されて生きたい」 追放されたが故に、彼女は最強の令嬢に成長していくのです。 さて。この最強の公爵令嬢には一つだけ欠点がありました。 それが『恋愛には鈍感である』ということ。 彼女に思いを寄せる男たちのアプローチを、ことごとくスルーして……。 一癖も二癖もある七人の騎士たちの、必死のアプローチの行方は……? 追放された『哀れな公爵令嬢』は、いかにして『帝国の英雄』にまで上り詰めるのか……? どんなアプローチも全く効果なし!鈍感だけど最強の令嬢と騎士たちの英雄譚! どうぞ、お楽しみください!

とっていただく責任などありません

まめきち
恋愛
騎士団で働くヘイゼルは魔物の討伐の際に、 団長のセルフイスを庇い、魔法陣を踏んでしまう。 この魔法陣は男性が踏むと女性に転換するもので、女性のヘイゼルにはほとんど影響のない物だった。だか国からは保証金が出たので、騎士を辞め、念願の田舎暮らしをしようとしたが!? ヘイゼルの事をずっと男性だと思っていたセルフイスは自分のせいでヘイゼルが職を失っただと思って来まい。 責任を取らなければとセルフイスから、 追いかけられる羽目に。

悪女として処刑されたはずが、処刑前に戻っていたので処刑を回避するために頑張ります!

ゆずこしょう
恋愛
「フランチェスカ。お前を処刑する。精々あの世で悔いるが良い。」 特に何かした記憶は無いのにいつの間にか悪女としてのレッテルを貼られ処刑されたフランチェスカ・アマレッティ侯爵令嬢(18) 最後に見た光景は自分の婚約者であったはずのオルテンシア・パネットーネ王太子(23)と親友だったはずのカルミア・パンナコッタ(19)が寄り添っている姿だった。 そしてカルミアの口が動く。 「サヨナラ。かわいそうなフランチェスカ。」 オルテンシア王太子に見えないように笑った顔はまさしく悪女のようだった。 「生まれ変わるなら、自由気ままな猫になりたいわ。」 この物語は猫になりたいと願ったフランチェスカが本当に猫になって戻ってきてしまった物語である。

私、今から婚約破棄されるらしいですよ!舞踏会で噂の的です

ゆきりん(安室 雪)
恋愛
デビュタント以来久しぶりに舞踏会に参加しています。久しぶりだからか私の顔を知っている方は少ないようです。何故なら、今から私が婚約破棄されるとの噂で持ちきりなんです。 私は婚約破棄大歓迎です、でも不利になるのはいただけませんわ。婚約破棄の流れは皆様が教えてくれたし、さて、どうしましょうね?

処理中です...