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姿を消した処刑椅子の精霊と偽聖女の噂

スピカ・デクセレム

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「なあ、スピカ。お腹…空いてないか?」

 スピカが魂を木製椅子に宿し、ひとりでに動くことがなくなってから5年の時が過ぎる。
 俺が毎日のように魔石へ直接魔力を流し込んでいるが、スピカの魂は犯罪者の血肉を欲していた。
 お腹を空かせて、倒れていやしないだろうかと心配する。

 そんなわけ、ないよな。

 お腹が空いた、なんて。スピカが言うはずないのだ。
 スレイン曰く、スピカが犯罪者の血肉が欲しいと木製椅子を動かして餌を集めていたのは、スピカの本体である魔樹木に宿る魔石とスピカの魂が宿る木製椅子が離れすぎていて魔力とは異なる別の原動力を求めたせいだ。
 スピカの魔石が宿る魔樹木は、俺の手元にある。
 近づけようと思えば、スピカの木製椅子の上にだって。

 ーーそうだ。まだ、試したことなかったな。

 植木鉢に根を生やす魔石の埋め込まれた魔樹木と、スピカの魂が宿るとされる木製椅子をじっと見つめ、俺は決意した。
 植木鉢を、木製椅子の座面に乗せるのだ。
 何かが起こると確信したわけではない。
 もうすぐスレインにはスピカが目覚めるかもしれないと言われたが、いつもと同じように魔石を注ぎ込み続けるだけではいけないと、なんとなく新しいことをしたいと思い立っただけなのに。

 まさか、その行いが。

 実を結ぶことになるとは、思いもしなかった。

「…っ!?」

 ピカピカと光っては弱い光を放つルビーインゾイサイトの魔石が眩い光を放ち、魔樹木の中に吸い込まれていった。
 眩い光に包まれ、思わず目を瞑った俺が、再び目を見開いた時。
 そこにいたのはーー

「あー、やっと繋がったか」
「…誰だ?」
「あるじさま…っ!」

 この姿を見るのは3度目だ。
 全身を覆うロングチュールドレスを纏ったスピカは目に涙を浮かべて俺の所まで駆け寄り、勢いよく抱きついてきた。
 しっかりと抱き止めながら、状況把握に務める。
 ここは…白昼夢、だろうか。それとも、スピカの精神世界?ともかく、現実世界でないことは確かだ。
 そこには見慣れない服のスピカがいて、今日は何故か首から上を窺い知ることのできない、高身長の男らしき杖を持った人間が立っていた。

「オレが名乗ると空間が歪むんでね。今は…どうとでも呼んでくれ」
「あるじさま…っ!あるじさま…っ!スピカのこと、助けてくれてありがとう…っ!」
「俺は当然のことをしたまでだ」
「あるじさま大好き…っ!」

「スピカを助ける為に毎日、魔力が足りずあられもない姿を妄想して過ごしていました」
 彼女にそう打ち明けても、スピカは俺のことを大好きと言ってくれるんだろうかーー嫌い、変態、と罵られたら生きていけない。
 この事実は墓まで持っていこうと決めれば、名乗ることを拒否した男は俺に向けて言葉を発する。

「ずっと疑問に思っていたろ?ソレは、スピカだ。スピカ・デクセレム」
「知っているけど…」
「いや、初めて知ったはずだよ。お前が普段接しているスピカは精霊になった後。魂となったスピカだが、今お前に抱きついているスピカ・デクセレムは、魔石に宿る記憶をすべて知覚した本人ーーつまり、精霊になる前。人間だった頃のスピカだよ」
「あるじさま…っ!あるじさま…っ!」
「感情がいつもよりある気がするのは、勘違いじゃなかったのか」
「そうだな。スピカ・デクセレムはよく笑い、よく泣く少女だった。いつも笑顔のリディアと肩を並べて。怒りを露にすることもあった。今となっては、無機質な人形になっちまったがな」
「…お前は…いや。何故スピカは2人に分かれたんだ?」
「オレはリディアの願いを叶えるため、魂だけでも掬い上げて精霊にするためスピカの死体が埋められた場所に神のこぼれ種を空から落とした。その種は魔樹木として成長し、スピカの魂がもう少しで魔樹木を器として認めようとした時だ。教会がスピカから奪った魔石を持ってやってきたのは」
「スレインから聞いたろ?教会は魔石を埋め込むため魔樹木の右半分を伐採し、魔石を埋め込んだ。スピカの魂は丁度ど真ん中にあってな。聖騎士が伐採したせいで、魂まで2つに割れちまった。そうして、魔樹木に宿ったのが今お前の腕にいるスピカ・デクセレム。伐採された枝に宿って、処刑椅子として活動し始めたのが感情を失った精霊スピカ」
「つまり、同一人物ってことか」
「そうだな。いずれは一つになる必要がある。ただし、魂を一つにしたら、二度と2つには戻らない。スピカの身体は魔樹木だ。魔樹木はひとりでに歩くことはないし、お前と一緒に外を出歩けなくなる。精霊のスピカは嫌がっているようだな。スピカ・デクセレムは、どっちでもいいみたいだが」
「…そうなのか?」
「スピカ、あるじさまと一緒なら、なんでもいいの」
「なるほど…」

 俺としては教会が潰れるまでは処刑椅子のままで居てほしいが、魔樹木の中に宿るスピカ・デクセレムと一つになれば、犯罪者の血肉を必要とすることはなくなるらしい。
 スピカは犯罪者ではなくなるのだ。
 俺の魔力さえ絶え間なく注ぎ込めば、人を処刑する必要なく生きていける。

「オレとしてはだな?今一つになるのは絶好の機会だと思うが勧めねえ」
「教会の件があるからか」
「そうだ。スピカの魔樹木は大きな樹木に成長すれば、大地に根鞘しその場を動けなくなる。この間みたいに火付けでもされたら逃げ場がねえ。回復には時間がかかるし、手間も掛かる」
「2つに分かれたままなら、魔石さえ回収すれば精霊スピカは消えたりしない。スピカ・デクセレムは消えるがな。教会がスピカの本体を魔樹木であると認識しているのはかなりまずい状態でな。できたら、オレとしてはきっちりきっぱりメロディアと協力して教会ぶっ潰してから融合路線が一番いいと思うんだわ。わかるか?」
「あるじさま。スピカね、あるじさまがあの子を大事にしているって、伝わってきたから知っているの。スピカ、大丈夫だよ。あるじさまがあの子と一つになってお願いしてくれるまで、ここで待っている」
「ここでオレが現状維持を望んだら…。スピカは、今俺が抱きかかえている子じゃなくて、いつものスピカなんだな」
「そうだぜ」
「わかった」

 どちらもスピカであることは変わりないが、俺を助けてくれたのは今俺の腕にいるスピカではない。
 彼女には悪いが、今は俺の愛しい彼女を呼び戻さなくては。

「あるじさま、またスピカへ会いに来て」
「ああ、もちろんだ」
「うん。待っている」
「ーーメロディアと協力して、偽聖女の血肉をスピカ吸わせろ。教会の壊滅方法は追って連絡する。じゃあな。精霊のスピカと末永くお幸せに」
「またね、あるじさま。スピカのこと、たくさん愛してあげて!」

 俺から身体を離し、ひらひらと手を振ったスピカ・デクセレムの笑顔が、精霊スピカのふくれっ面に変化したのは――それからすぐのことだった。
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