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皇女に言えない隠し事

愛する人の悲痛な叫び

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「おや。早かったね」
「ムースお姉さん!ただいまー!あのね、お姉ちゃん。すごかったんだよ!尾ひれでこう、ぶるんって!フルスイングしてやっつけたの!」
「おお。大活躍じゃないか!やるねぇ!」
「あ、ありがとう……ございます……」

 ララーシャはムースに褒められ、嬉しそうに尾ひれを動かした。
 水の中にいるつもりだったのか、勢いよく尾ひれを動かしすぎてドシャリと床に尻もちをついたララーシャは、にかんでいる。

「おっと。大丈夫かい?」
「えへへ……疲れちゃいました……」
「今日はゆっくり休みな」
「はい。ありがとう、ございます……」

 俺達はララーシャの面倒をムースに任せ、寝室へ引っ込むことにした。
 キサネは人間側が魔界へで攻め入ってきた件に関して、無言を貫いている。寝室に戻った後が怖いな……。
 俺は緊張しながら、寝室の扉を閉めた。

「正晴くん」

 来たか。
 寝室の扉を閉じたのが、引き金になった。
 キサネが寝室で俺を前世の名前で呼ぶときは、前世の話に関連付けた話をする時だ。

 キサネ──待兼は俺に、置いていかれたことを酷く根に持っている。
 俺がキサネより先に死ぬことなど許さないと、事あるごとに宣言するくらいだ。
 自ら命を断つことはしないと約束できても、暗殺とか天変地異は避けられないだろ?
 キサネは俺のそういう所が、気に食わないみたいなんだよな。

 キサネのことが好きなら、共に生きる未来を諦めるな。
 キサネを愛していると、共に生きると決めたなら最後まであがき続けろ。
 キサネと俺は一蓮托生。隠し事は絶対するな。
 隠し事が露呈したその時は──自由を奪われても、文句は言わない。

 そんな感じで約束してたわけだが、思わぬところで嘘がバレた。こうなっちまったら、キサネは俺にお灸をすえるまで、暴走し続けるだろうな。

「私にずっと隠してたことって、さっきの話?」
「そう、だな」
「私には、隠し事はしないって約束したよね」
「おう。した」
「私との約束を覚えてたのに、約束破ったの。約束破りは針千本飲ますって、伝えてあるのに……」
「キサネ、落ち着け」
「私は落ち着いてるよ」

 落ち着いてないから、声を掛けてんだけど。

 キサネは腕の中で暴れ、ぽかぽかと胸元を叩き始める。
 痛くはねぇけど、キサネを落としちまいそうで怖かった。
 抱き上げられているよりも押し倒した方がキサネにとって都合がいいから、そうしたいだけなんだろうな。
 ベッドに向かうよりも、後ろに下がって扉に背中をつけたほうが安全だと考えた俺は、数歩下がって涙を流すキサネの頭をなでつけた。

「泣くなって……。俺が悪かった」
「正晴くんはいつもそう!私を守ろうとして、情報を遮断する!私はなんでも相談してほしいのに!私が傷つくことを恐れて、守った気になってる!そんなことされたって、嬉しくない……!」

 キサネは両耳の下に手を差し出すと、壁と自身の間に俺を挟み、涙目で見下す。
 壁ドンって、男が女にするもんじゃねぇの?
 貴重な体験をしたと呆けている間に、キサネは当然のように俺の唇を奪ってきた。

 キサネはほんとに、隙あらば口づけてくるな……。
 それだけ俺が好きだってことを表現したいんだろうけどさ。
 この間やりすぎて、唇が腫れて大騒ぎしたばっかじゃねぇか。学習しねぇやつ。

「……皇帝は、クソ親父なんでしょ」
「おう」
「いつから、黙ってたの」
「……正直に告げたら、怒るだろ」
「そんなに前から、黙ってんだ……」

 俺が年数を伝えないことで、かなりの年月情報を遮断していたと気づき、キサネは絶句していた。
 自分が皇帝に求められていると気付きもせず、俺と穏やかに暮らしていた日々を思えば、俺は黙っていることが正解だったと胸を張って言えるんだけどな。
 キサネはどうも、そうじゃないらしい。
 みるみるうちに顔を真っ赤にしたキサネは、俺に思いっきり頭突きをかましてきた。

「いってぇ……!」
「もっと早くに言ってよ!私って、そんなに信頼できない!?正晴くんにとって、私って何なの!?」
「将来を誓い合った仲だろ」
「そうだよ!私達は病める時も健やかなる時も、共に支え合って生きると誓う合う仲でしょ!?それなのに、なんで……っ」
「キサネ……」
「なんで黙ってるの……?私は正晴くんが大好きで、他の女に奪われたくなくて、私だけを見ていてほしいのに!正晴くんは、私が別の男に奪われてもいいんだ!?」

 なんでそうなるんだよ。
 奪われたくねぇから、目障りなロリコン野郎とストーカー野郎を魔界から追放したんだろ。
 こうなることを見越してたのに、黙ってた俺が全面的に悪い。
 それは認めるけどさ……。泣き叫んでる待兼を見てると、精神的に来るんだよな。

「奪われたくねぇから、黙ってたんだよ」
「正晴くん……!ちゃんと、相談してよ!私のこと好きなら、離さないで!ずっと一緒にいて!よそ見なんてしないで。隠し事せず、なんでも打ち明けて、一緒にクソ親父をボコボコにしようよ……!」
「悪かった。キサネは、不安なんだよな」
「うぅ……ううう……うわーん!」

 殺意高めなキサネは、俺と愛の共同作業を目論むことで手を打ってきた。
 意地を張ってこだわる理由もねぇから、俺は受け入れて寄り添ってやる。
 ここで大事なのは、全面的に自分が悪いと負けを認めることだ。
 自分のことを棚に上げて売られた喧嘩を買えば、泥沼にハマって身動きが取れなくなっちまう。

 将来を誓い合った女のヒステリックな声は、精神的にかなり来る。
 自分の欲望を満たすために交際して、好きでもなかったら。口論に応じて地獄行きだ。
 俺は待兼と再び巡り会えた運命を、自ら手放すことはしない。どんなに理不尽な理由で泣き叫ばれたって、見捨てたりしねぇよ。

「正晴くん……っ。正晴くん……!」
「息の根は止めらんねぇかもしれねえけど。あいつを王座から引きずり倒す時は、二人一緒だ」
「うん……!」

 俺達は互いを抱きしめ合う手に、力を込める。
 もう二度と、離れないように。誰よりも強く。

 今日は思ったよりも、怖いことにならずに済んだな……。

 大声を上げて泣きつかれたキサネは、腕の中ですやすやと吐息を立てて眠り始める。
 こうやって大人しくしてれば、人畜無害の愛しい皇女様なんだけどな。
 他の人間が関わると、ろくなことにならねぇ。

 この世界で息をしている人間が、俺とキサネだけになればいいのに。

 俺はキサネの頭を撫でながら、絶対に叶うはずのない願いを抱き──目を閉じた。
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