私の痛みを知るあなたになら、全てを捧げても構わない

桜城恋詠

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小学六年

見て見ぬふりをする私、虐げられる彼

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「海の歌って書くのに、イルカって読むんだ。すっごく変!」

 若草 海歌わかくさ いるか、小学六年生。

 彼女は変わった名前の読み方をするせいで、学校では孤立していた。

(生きる意味を見いだせない……)

 暗い顔でずっと一人、肩身の狭い思いをしながら自分の与えられた椅子に座り続ける日々。
 そうした毎日に価値を見いだせない海歌は、誰にも伝えることができずに鬱々とした思いを抱きながら生きている。

「お嬢様」
「海歌様! ごきげんよう!」

 ――けれど。
 一度学校の外を出れば、海歌の生活環境は一変する。

「今日のお召し物も素敵ですわ!」
「海歌様は、着物がよくお似合いになられます」

 母親に連れられ、毎週のように開催される親族の集まりに顔を出せば、同年代の子ども達達は異常なほどに海歌を崇め、奉る。

「さすがは本家の血を引く方ですわ」
「羨ましいことです」

 ――それは海歌が、本家の娘の子どもとして生まれたからだった。

 本家筋には三人の娘がいる。

 長女は二人の娘、次女として生まれた母は海歌を、三女の伯母は男児を一人出産していた。

 長女の子ども達は諸事情で親戚の集まりには参加しないため、同年代の子ども達の中で一番尊い人間は消去法で海歌となるのだ。

 分家筋に生まれた子ども達は、甘い汁を吸うために海歌へ群がる。
 彼女が小学校では友達の一人もおらず孤立していることなど、知りもせず。

「帰るわよ」
「……はい」

 海歌の母親は、けして娘の名を呼ばない。
 自分で名づけたくせに、海の歌と書いてイルカと読ませることを恥ずかしいと思っているのだろう。

(どうしてウミカと名づけてくれなかったの)

 その疑問を口に出したところで、言い争いになるだけだ。
 海歌は暗い顔で、母親の後ろをトボトボと歩く。

「だからあんたはクズなのよ!」

 母娘の間には、会話など一切ない。

 海歌は帰路につく途中で、同世代の少女が二つに括った髪を振り乱しながら見覚えのある少年を罵り、殴る蹴るの暴行を行う姿を見た。

「グズの方がお似合いかしら!?」

 海歌はいつだって、何度も目にするその光景をただぼんやりと見つめていることしかできない。

(彼を庇ったせいで、自分が母親に叱られるのが嫌だから)

 実の娘をいないものとして扱う両親は、海歌が問題を起こせば怒鳴りつけてくる。
 そのたびに命を終えたくなってあれこれと手段を投じたが、全て失敗していた。

(私は最低な人間だ)

 本来であれば暴行を受ける彼の姿を見て見ぬ振りなどせず止めに入り、優しい言葉を投げかけるべきなのだろう。

 その勇気がない海歌は、いつだって傍観者としてその光景を遠くから感情のない瞳で見つめている。

(私は、加害者だ……)

 自己嫌悪に陥っていた海歌は、暴行を受ける少年が顔を上げ――彼女とまったく同じ虚ろな瞳で、海歌と視線を交わらせた。

(……葛本くずもと……)

 ――人は誰しも、言葉にできない傷を抱えて生きている。

 若草海歌は学校で孤立し心ない言葉の暴力を受け、葛本椎名は学外で肉体的な暴行を受けていた。

「よそ見している余裕があるなんて……!」
「どこを見ているの」
「申し訳ございません……」

 二人の視線は、どちらともなく逸らされる。
 葛本は加害者の少女に怒鳴りつけられ、海歌は母親から叱られたからだ。

(助けられなくて、ごめんなさい……)

 心の中で葛本に謝罪をした海歌は、逃げるようにその場をあとにした。
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