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信長という男
しおりを挟むあんなに憧れていた天守だが、立ち入る事を許された今は、自ら尋ねようという気にならないのだから不思議だ。
美琴の部屋は、光秀の館から三の丸の一室に移されている。ここへ来て六日目だが、信長は毎日美琴の部屋を訪ねて来る。それが早朝の事もあれば深夜の事もあり、美琴には予測できない。
今日は久しぶりの大雨で、流石にやって来ないだろうと思いつつ濡れ縁に出ると、ずぶ濡れの信長が笑顔でやって来るものだから、美琴は慌てた。
「信長様っ、どうして」
急いで手ぬぐいを数枚取ってきて駆け寄り、雨に濡れた頬を優しく拭いてやった。その手に信長の手が重ねられる。
目を合わせると、思いの外熱い視線を注がれていて、胸が痛んだ。
「早く、拭かないと……」
「ん」
濡れた着物を脱いでもらい、信長に部屋へ入るよう促す。
下帯一枚の姿で美琴の部屋に入った信長は、どかっと腰を下ろして、自分でできることも何一つやろうとはしない。
首の後ろで軽く結われただけの髪はびしょ濡れで、畳に雫が落ちているというのに。
(もう……)
ここへ来てわかったのだが、信長はどうも甘えたのようで、世話を焼かれたがる。
一国の主ともなれば上げ膳据え膳は当たり前なのかもしれないが、その様子がまるで子供のようなのだ。
母親から受け取ることのできなかった愛情を、美琴から得ようとしているかのように。
着ていた羽織を脱ぎ信長の肩に掛けると、あぐらをかいた彼の前に膝をつき、まだ濡れている黒い髪を手拭いでそっと包んだ。
信長は、大人しく、されるがままだ。美琴に対しては警戒心のかけらも持っていないようで、それはありがたいのだが……。
牢に入れられていた事が、今となっては嘘のように思える。
「寒くないですか?」
九月も半ばを過ぎ、大雨の今日は、着物を着ている美琴でも少し肌寒い。
「ああ、大事ない。いや、寒い」
「え?」
次の瞬間、美琴の胸には信長の顔が埋められていて、着物越しに彼の吐息がかかった。
急に腰を抱き寄せられ倒れそうになった美琴は、信長の肩に手を置くつもりが、はからずも胸に抱きしめていたのだ。
早速、信長の甘えたが出たと観念した美琴は、彼の湿った髪をゆっくりと撫でた。
「……着物を着ないと、風邪を引きますよ?」
「んー…………俺は、天下をとる」
「はい」
「取れるか? 俺に」
「はい」
「ん……だが、あいつは俺を褒めん」
拗ねたような信長の口調は、まるで成人男性とは思えない。美琴にだけ見せる、甘えた姿なのだろう。
あいつとは、きっと光秀のことだ。光秀が信長を褒めちぎるなど想像もつかなくて、美琴は意図せず笑い声を立てた。
「ふふっ」
「……笑うな」
むくれたような言い方に、信長の本心が隠されているのかもしれない。
髪を撫でていた手を止めると、美琴は信長の正面に腰をおろした。
「すみません……でも、光秀様のような方が、何の根拠もなく誰にでも従うとは思えません」
「お前は、光秀という男をどう思う」
「どうって……」
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