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嫉妬
しおりを挟む「あれは有能だ。だからこそ重用している。だが、有能すぎる……」
美琴は黙って、信長の声に耳を傾けた。
「あいつが取り乱したところを見たことがあるか?」
いつも冷静沈着な光秀が感情をむき出しにするところなど、見たことはない。ただ、あの日以外は。
美琴は頭を振った。
「俺がどんなに怒りをぶつけても、飄々として躱す。拒まず、媚びず、自身を信じ、妬み嫉みもしない。才知にたけ、武術の腕もたつ。あれは、天下を取れる男だ」
意外なほど光秀の才能を認めている事に、美琴は正直驚いた。
史実では、信長が光秀に対し公然と罵倒し、横暴な振る舞いをしたのだと知られている。
だがここにいる信長は、これ以上ないほど高く光秀を評価しているのだ。
美琴は嬉しかった。自分の想い人が憧れの信長に認められている事が。
けれども、綻びそうになる口元を俯いて隠していた美琴は、いつになく暗い信長の声に、次の瞬間身体を震わせることになる。
「光秀を討つ」
「っ、どうして……」
信長の瞳は、本気である事を告げるように、燃えている。
殺さないで、と願い出て聞き届けてくれるような人でないだろう事は、承知している。けれども、信長が光秀を殺さなければならない理由が、美琴にはわからない。
「なんだ、不満か」
不満はあるが、何と言っていいかわからず、美琴は俯く。
光秀の謀反を止めようと思っていた。そのために僅かでも役に立つのならと、信長の元へきた。
けれど、信長自身が光秀の逆心を疑い自ら排除しようなど、考えもしなかったのだ。
(どうしよう……)
「俺の天下への道行きを遮るものは、駆逐せねばならん。例えそれが、お前であってもだ」
「っ……」
不要なものは全て排除する。
信長にとって邪魔になれば、美琴は容赦無く斬り捨てられるのだ。
慄く美琴は、信長の言葉にさらに追い打ちをかけられる。
「お前は、俺のものだ。光秀にはやらん」
突然何を言い出すのかと困惑した美琴は、言うべき言葉を見つけられず僅かに口を開いたまま信長の瞳を見つめた。
「なぜ俺がそんなことを言うのか、という顔だな。俺には多くの手駒がある。その駒が不審な動きをしていないか見極める駒もまた、ある、という事だ」
密偵に探らせていたのだと、信長は悪気もなく言い切る。
「お前が林を彷徨った時、あいつは血相を変えて探していたと報告があった。それでもお前を差し出すとは、間抜けなやつだ」
嘲笑う信長を哀れに思い、美琴は唇を噛んだ。
信長は信じたいのではないか。信じたいが故の懐疑の念が、自身を最も崇めている者を失する為の行為になるのだと気づけないでいるのではないか。
光秀との事も、信長に知られている。事実は否定できないが、心の内までは見透かせないはずだと、美琴は考えた。
「信長様……私は、信長様のものです。私がお傍にいます」
「無論だ」
「では」
「それがあいつを殺さぬ理由になどならん。命が惜しければ、余計なことはするな。俺はこれでも、お前を気に入っているのだ」
人を殺す話をしておきながら、甘えたような声で名前を囁き太腿を撫でる信長に、美琴は戦慄を覚えた。
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