紅蓮仙途 ― 世界を捨てた神々の帰還と棄てられた僕の仙となる旅

紅連山

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第12話 焚天の谷・炎狐戦記

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 地の底を流れる焔は、まるで生き物の血潮のように脈打っていた。赤い結晶が黒曜の岩肌にきらめき、息をするたびに熱が喉を灼く。轟々と唸る焔脈の息吹が、静寂の底に脈動している。

 燐生は左手に槍を、右手に小さな玉を載せ、焔脈に沿って歩いていた。結晶の光が淡く明滅し、その揺らめきが地底の闇をやさしく照らしていた。

 「ねぇ、小玉。いつになったら、殻から出てくるの?」
 「……わからない。」
 掌の中から響く声は、焔の唄に紛れるように微かで、しかし確かだった。
 「まだ、殻を破る力がない。」

 「そんな固いの?」
 「そう。殻は俺を守るものであり、縛るものでもある。」
 「割ってあげようか。」
 「燐の力で割れないよ。」
 「やってみないと分からないじゃない。」
 「……いい。痛いから。それに、早く出るのが必ずしも幸いとは限らない。」

 燐生は苦笑し、小玉を包む手をそっと握り直した。
 「わかった。焦っても駄目ってことだな。」
 「焦れば、壊れる命もある。」

 焔脈を渡る風がふっと吹き抜けた。熱を帯びた風が頬を刺し、岩肌の間で焔が波打つ。燐生はその息づかいを感じながら、ゆっくりと歩みを進めた。

 「なぁ、小玉。俺の右手の雷……どうして出る時と出ない時があるんだ?」
 小玉は少し間をおき、低く言葉を紡ぐ。
 「制御できていないんだよ。『灰』『霊』『理』――三つの素の流れが均衡していない。」
 「どうすればいい? このままじゃ戦いの時、まるで役に立たない。」
 「命の流れと同じさ。焦れば濁る。練るんだよ、静かに。」

 燐生は黙り、小玉を懐に戻すと右手を見つめた。
 掌には三つの稲妻のような痕――灰、霊、理を象徴する印のように見える。
 深く息を吸い、三つの素を流し、雷を練り上げようとした。
 だが――掌に生じた小さな光は、すぐに崩れ、煙のように散った。

 「……駄目か。」
 「駄目じゃない。ただ“まだ合わない”だけ。」
 小玉の声は、まるで親が子を慰めるように柔らかだった。
 燐生は歩きながら、静かに再び掌を開いた。

 ☆★♪

 そのころ、地上では地獄が広がっていた。

 「神装兵が来たぞ! 逃げろ!」
 「焔璃姫様の命令だ! 焔脈の外側は放棄しろ! 皆、結界の中へ急げ!」

 赤い煙が天を覆い、山が燃え上がる。黒鉄の甲冑を纏う神装兵たちは、焔の中を無音で進み、剣を振るうたびに家が崩れ、森が焼けた。

 炎翁は燃え落ちる鍛冶場の前で、白い髭を焦がしながら叫んだ。
 「颯也! 燐生は霊媒を探しに行った! お前が連れ戻せ! 族の結界へ!」
 「承知!」

 颯也は焔槍を背に、炎を裂いて走る。その背に、炎翁の嗄れ声が響いた。
 ――「あの子を、守れ!」

 神装兵たちは無慈悲だった。焔脈の大地を踏み荒らし、燃やせるものを燃やし、壊せるものを壊した。森は灰となり、聖樹は呻きながら倒れ、鳥も獣も消えた。

 炎翁はその光景を見つめながら、歯を噛みしめた。少年のころ友と語らい、恋を知り、孫を抱いた大樹が、赤い炎に包まれていく。

 枝の下には思いがあった。木登り、初恋、喧嘩、祭りの夜の酒、子の誕生――。
 そのすべてが、燃えている。

 「……焔が、我らの記憶まで喰うか。」
 炎翁は呟き、胸に抱えた錬器の道具を強く握った。涙は落ちなかった。ただ、その瞳には燃える故郷が映っていた。

 妻と孫を伴い、彼は結界の内へ退いた。背後では、長く生きた里が音もなく崩れ落ちていく。黒煙の向こう、焔は天を貫き、まるで天を呑む龍のように咆哮していた。

 ☆★♪

 焚天の谷――かつて神々が「聖火のゆりかご」と呼んだ地。谷底から紅蓮の焔が絶えず噴き上がり、空を焦がし続けている。その中心に築かれた黒曜の城塞こそ、炎狐族の心臓、焔の宮であった。

 血のような空、赤く染まる雲。燃え立つ風が尾根を渡り、地鳴りのような唸りが山肌を揺らす。
 塔上に立つ焔璃姫は、焔を背にして戦場を見下ろしていた。紅の鎧を纏い、腰には神器《紅刃・炎心》。その刃は心臓の鼓動と共に脈動し、まるで谷そのものが彼女の中で呼吸しているかのようだった。

 彼女の瞳は紅玉のごとく輝き、烈火よりもなお深く、ひとたび視線を向ければ兵たちは息を呑む。
 ――彼女こそ、炎狐の民が崇める“生ける焔”だった。

 伝令が駆け込む。
 「報告っ! 東方陣地、神装兵より突破されました! 外構の防衛、崩壊寸前です!」
 「……そう。」
 焔璃の声は、静かであった。だがその静寂には、火山の奥底で蠢くマグマのような圧があった。

 「兵を結界中枢に収束させなさい。外構は放棄。戦力を焔脈の中心へ。燃える地脈を――決して、穢させるな。」
 「はっ!」
 伝令が去ると、焔璃は一人、夜風に紅の髪をなびかせた。焔と風が溶け合い、月をも焼くような煌めきが迸る。

 「神装兵……やはり来たのね。」
 唇の端がわずかに吊り上がる。
 「旧人が作りし無魂の兵。命を棄ててまで、神を真似るとは……哀れなこと。」
 彼女の呟きには、哀惜と侮蔑が混ざっていた。
 「けれど――月狼族が動いたなら、話は別。焔を喰らう者、夜の民。」

 別の伝令が走り込む。
 「報告! 西の山麓より、月狼族の軍勢が接近中! 兵数一万。魔法師、修仙者、巫女の姿、多数確認!」
 焔璃は目を細め、紅の瞳に銀光を映した。
 「……やはり。炎を恐れ、同時に欲するか。あの狼どもは、いつもそうだ。」

 彼女はゆるやかに立ち上がり、《紅刃・炎心》を抜く。刃が鳴動した瞬間、谷が低く唸った。焔脈が共鳴し、地の底の炎がざわめく。

 「全軍――配置につけ!」
 その一声は、焔そのものの咆哮だった。紅蓮の霧の中から、狐尾を揺らす戦士たちが次々と姿を現す。鎧の継ぎ目から霊焔が滲み出し、額に刻まれた炎の印が輝きを増す。炎狐族――焔の民。彼らにとって戦いは祈りであり、生そのもの。

 ☆★♪

 東の山脈の向こう――黒き波が押し寄せていた。旧人の神装兵。魂を機械に封じ、死を拒んだ戦鬼たち。白銀、黒鉄、そして稀に黄金の鎧を纏う者。彼らは生者に似て、生者に非ず。

 「神装兵、第一陣、突撃!」
 轟音が谷を裂き、雷光が奔る。炎狐の戦士たちが焔槍を構え、尾を翻す。焔と雷が衝突し、視界が白に染まった。

 「焔陣、展開!」
  狐火が戦場を駆け抜け、炎の幻獣が咆哮を上げる。紅蓮の獣が金属の兵を焼き尽くすが、神装兵は倒れても立ち上がった。魂なき身体は痛みも恐怖も知らず、無慈悲に再生を繰り返す。

 「焔璃姫様の命令だ! 結界内へ撤退、戦線を維持せよ!」

 東方の指令官が叫び、兵が素早く動く。紅蓮の結界が展開し、紅光が天を覆う。神装兵が障壁を叩くたび、火花と霊焔が散った。だが結界は破れない。炎狐の祈りが込められた結界が、外敵の力を拒む。

 「さあ、来るがいい。焔は神の遺産――機械の手で穢せはしない。」

 ☆★♪

 その時、西の空に銀月が昇った。黒い雲を裂くように、冷たい光が山脈を照らす。

 ――月狼族。

 夜を統べる狼たちが黒霧を纏い、静かに進軍していた。その先頭には十人の巫女。白衣に銀冠を戴き、手には光を宿す鏡。月光を受けて鏡が煌めくたび、空気が凍りつく。

 「《月詠十連》、陣形――完成。」

 十人の声が重なり、詠唱が始まった。
 ――
 「月華、虚に舞い、闇を裂け。
 白き光よ、道を穿て。
 夜の御子よ、封ぜよ焔の門。
 十の鏡を束ね、ひとつの矢と化せ――『月穿の祈詠げっせんのきえい』!」
 ――

 十の鏡が一斉に光を放ち、月光が束ねられて一本の巨大な銀矢となる。矢は夜を貫き、紅の結界へと突き刺さった。

 炎狐の魔法師たちも即座に詠唱を開始する。

 「焔よ、我が血を喰らい、我が魂を燃やせ。
 紅蓮の巫火、天を覆え。
 夜を拒み、命を守れ。
 炎の理をもって界を鎖せ――『焔環の護祈えんかんのごき』!」

 紅と銀――。
 光がぶつかり、空が裂けた。山が唸り、谷が震える。焔と月光が絡み合い、昼と夜の境界が溶けていく。

 月狼の魔法師部隊が詠唱し、無数の銀色の矢が放す。

 「煉火、焔牙! 霊器を投じろ!」

 焔璃の命に、二人の将が走る。十数枚の盾状の霊器が空へと放たれ、瞬く間に巨大化し、炎狐の結界を包み込む。

 「《紅焔天盾こうえんてんじゅん》!」

 空一面に赤き盾が展開し、無数の銀の矢を受け止める。轟音、爆炎。谷が揺れ、天が裂けた。

 熱風が吹き荒れ、夜空が紅に染まる。焔と月、昼と夜、命と滅び――そのすべてが混ざり合い、ひとつの地獄と化す。

 だが、その中心で焔璃姫はなお立っていた。髪を焦がす炎の中でも、瞳は揺るがない。

 「炎狐族が絶えぬ限り――滅びぬ。焚天の谷は、まだ……燃え尽きてはいない!」
 「そして、焔が再び――焔脈の地で吠える。」

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