もう、あなたを愛することはないでしょう

春野オカリナ

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第一章

お母様を助けたい

 ベアトリーチェが意識を覚醒させて、周りを見渡すとそこは懐かしくも嫌な思い出しかない公爵家の自室だった。

 ──い…いったいどうなっているの?わたしは確かに死んだはず……。

 侍女が扉を開く音が聞こえる。

 「公女様。今日はお早いお目覚めですね」

 入室してきたのは、専属侍女のサリナ。彼女は、わたしが修道院に送られると同時に解雇された。いつも姉の様に優しくわたしに寄り添ってくれた彼女こそがやり直し前の真の友だったのに…。わたしは彼女に随分と酷いことをしてきたと思う。ベアトリーチェは、心の中で自分が過去にしてきた悪行を振り返って、サリナへの謝罪とこれからは大切にしようと心に決めていた。

 「サリナ…その…今までは我儘ばかりでごめんなさい。これからは無茶な事はお願いしないわ」

 ベッドの上で俯いているベアトリーチェの手をサリナの両手が包み込む。

 「まあ、公女様は今日はどうしたのですか?何かおかしなものでも召し上がりました?」

 主に対してこの言い方はどうかと思うベアトリーチェだが、今までの行いを顧みてもそう思われても仕方がないことだと嘆息した。

 「別に何もおかしなものなんて口にしていないわ。今日は、たまたま早く目が覚めただけよ」
 「そうでしたか。興奮して眠れないのではと心配していました」
 「興奮?」
 「はい、昨日は王宮のお茶会で王太子殿下と話をしたとお聞きしましたから」

 ああ…そうだった。何も知らないわたしは、初めて呼ばれた王宮のお茶会で、レイノルドと会話したことが嬉しくて、サリナ達に延々と話して聞かせたわね…。

 思い返せばなんて愚か者だったのかしら。
 誰にでも優しくしているのは誰でもいいという事で、自分だけが特別でもないのに、勝手に勘違いして婚約者になれると信じていた。
 実際に選ばれたが、裏で父が王家と何かしらの取引をしたに違いない。そうでなければわたしが選ばれるよりももっと優秀な令嬢はいたのだから。
 
 そう例えばシュガレット侯爵家のレティーナ様とかね。彼女は博識で同世代の令嬢より抜きんでいたのに、今考えればどうして選ばれなかったのか不思議だわ。

 そこで、ベアトリーチェは気付いた。

 ちょっと待って…。昨日がお茶会ならお母様が亡くなったのは、この一月後だわ。まだ間に合うかもしれない。

 急いで、ベッドから飛び降りた。過去の自分ならやすやすと足が付いたのに、10才の子供では床までの距離がもどかしく感じた。廊下を寝間着姿のまま不作法に走り出したベアトリーチェを見て、使用人たちは呆れた顔をしているが、そんな事に構っている暇はない。一刻も早く母に…生きている母に伝えたい事があるのだ。ベアトリーチェは短い脚を恨みながら、息を切らせて母の元に向かった。

 母の部屋の扉の前で息を整えてからノックをすると、直ぐに母の侍女から冷たい返事が返ってきた。

 「まあ、公女様。今日は面会の日ではありませんよ。それに、まだ着替えもお済ではないではないですか。はしたない格好で、さすが他国の…」

 バシッ──。

 「そんな事を侍女のお前がいう事ではないわ!」

 ベアトリーチェは、屈んだ侍女の頬を小さな手で叩いた。侍女は叩かれた頬を押えながら、醜く歪んで罵った。

 「こ…この、お荷物公女の癖に!!」

 侍女の振り上げた手が見えた瞬間、別の者がそれを押えた。

 「この手で何をしようとしているの?わたくしの可愛い娘に害を与えるつもり。誰かこの侍女を追い出して、二度と公爵家の門を潜らせない様にしなさい」

 侍女の手首を掴んでたのは母の専属侍女エリッサ。後ろで指示を出したのは紛れも無くベアトリーチェが会いたかった人…。

 母に抱きついたベアトリーチェを母リリエンヌは優しく抱きしめた。

 ああ…お母様は生きている。

 血の通った母を久しぶりに見たベアトリーチェの目から大粒の涙が零れ落ちていた。

 「ベティ…いったいどうしたの?何があってここにきたの?約束を忘れたのかしら」

 幼子をあやす様にリリエンヌはベアトリーチェに訊ねた。ベアトリーチェは、首を横に振りながらどうしても母に伝えたい事があると言った。

 「お母様、どうかお父様と離縁してアルカイド王国から出て行ってください。そして愛する人と幸せになって…」
 「な…なにをいきなり言っているの?」

 娘の思わぬ懇願に戸惑っているリリエンヌ。他の頼みごとなら聞くことが出来るが、こればかりは聞くことが出来ない。

 「それはできないわ。そんなことをすれば実家であるオーウェスト伯爵家が…」
 「それなら、手紙を書いて下さい。伯父様に!」

 あまりにも必死なベアトリーチェの様子にリリエンヌも最後には折れ、手紙を認めエリッサに渡した。隣国への手紙は専用の魔法封筒を使えば一日で届く。

 間に合えばいいけれど…。

 ベアトリーチェはそう心の中で呟いた。

 過去では、ベアトリーチェが王太子レイノルドの婚約者に選ばれたという吉報が届いた日、嬉しさのあまり母リリエンヌに喜んでもらおうと、母の部屋を訪れた。
 喜びで紅潮した頬で嬉々として話すベアトリーチェの様子とは裏腹に母の顔色はどんどん青くなっていた。そして、次の日の朝、窓辺に腰かけていた母は外からあるものを見つけて乗り出す様に落ちて行った。朝の挨拶に訪れたベアトリーチェの目の前で…。その時、口の形から「ごめんなさい。ゆるしてね」と言っているように見えたのだが、未だにあの時の母リリエンヌが何に対して、誰に対して過っていたのか分からない。

 ベアトリーチェとリリエンヌにはお互いを理解できるほど距離が近くない。生まれた時から離されて、定期的「面会の日」以外に顔を会すことはできなかった。唯一特別だったのは、あの忌まわしい日だけだった。

 面会の日のリリエンヌは優しく理想の母だった。しかし、それ以外は使用人としか接することのできないベアトリーチェは、次第に母とは違う人の温もりを探し始めた。そんな時に王宮で迷子になったベアトリーチェを優しくお茶会の席に連れて行ってくれたレイノルドに執着に似た愛情を向けるのはごく自然な成り行きだったのだろう。

 でも今は違う。今度は間違えないと心に決めたベアトリーチェはリリエンヌの死を防ぎたいと考えていた。それにはまず、伯父であるエドモンド・オーウェスト侯爵・・が運命の鍵を握っている事をベアトリーチェは知っていた。

 神様…どうか母の死に逝く運命を変えられますように───。

 ベアトリーチェは、毎日の様に神に祈りを捧げ続けた。そして遂にその日がやってきた。王宮から知らせが届いたのだ。
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