上 下
1 / 12

真珠の騙し絵

しおりを挟む

「これ、プレゼント」
そう言って、男が差し出したのは、ロングの真珠のネックレスだった。
小ぶりの綺麗な粒が並んでいる。
「ありがと」
私は笑って応える。
私の物にならない男は、物を使って、私との間を埋めようとする。
私は、騙されたふりをする。
―彼といれば、さみしくないから。
一人でいる時間は、嫌だ。
かきむしるような孤独な寂しさから離れたくて、男を想って泣く時間にすがりつく。

真珠のネックレスは、私を清楚に彩る。
ネックレスの下に彼の手が入り、清純さを壊していく。
真珠は、汗に弱いのだという。
私と彼の間に何度も挟まったこのネックレスは、早く痛んでしまうかもしれない。
宝石箱に入れるときは、必ず何度も何度も布でぬぐった。
綺麗なものに、汚い愛の結晶の跡など残したくなかった。
―たとえ、これが彼のくれたものだとしても。

車の中、彼の唇が、私を覆う。
どろどろとした熱の中に、私は投げ込まれる。
首に違和感があった。
何かが、軽く首を絞める。
首に手をかけると、ネックレスがどこかに引っかかったらしい。
彼は気づかない。
いつもなら、私の部屋まで待ってくれるのに、今日は、このまま、車のシートを倒しそうな勢いだ。
「待って」
と言い終わらないうちに、首を拘束していたものの存在がなくなった。
軽い音を立てて小粒が散乱する。
「ごめん、真珠がおちちゃった。」
彼は、すっと体を引く。
少し不機嫌そうに私を見る。
無言でタバコを出して、火をつけた。
そして、かろうじて繋がっていたネックレスがこれ以上離れないように飛び出た糸を結ぶ私に目をやる。
彼の空気が変わった。
「結構落ちたね。
スカートの上にも落ちてる。
スカートの端を持って…そう、そのまま、落とさないように、外に出て。」
スカートの端を両手で持っている私の前を彼の腕が横切って、ドアを開けた。
いつもやさしい彼が、有無を言わさず外に出ることを促す。
外に足を踏み出すと、乾いた音を立てて真珠が落ちた。
アスファルトの上に白い粒が広がる。
私は、慌ててスカートの上の真珠をかき集め、ポーチの中に放り込むと、地面の上の真珠を追う。
車の下に入り込んだ珠を見つけ、その目線を上に上げた―必死に車内の珠を拾っている彼がいた。
車内ライトの淡い黄色い光の中に、目をぎょろぎょろさせている彼が浮かんでいる。
いままでにないぐらい真剣な表情で真珠を拾っている。
そして、分かってしまった。
私の頬に熱いものがつたう。
彼が必死で探しているのは、私へのプレゼントの残骸などではなく、私という浮気相手の証拠品だ。
―奥さんのこと、愛してるんだ。
ずっと、君とは遊びだと言われてきた。
それでも、私を一緒にいるときは、私が一番だと言ってくれたから、それで満足しようと自分に言い聞かせた。
満足してない自分が暗闇に投げ出され、ずるい男が背徳の光の下、自分を守ることに必死になっている。
どこかで夢見ていた幻想が音を立てて崩れ、壊れて初めて幻想を抱いていた自分に気づいた。



「ばかっ」
彼の命の次に大事な車をハイヒールで何度も蹴飛ばす。
暗闇で、傷がついたかどうか分からないことがいっそう、私を掻き立てる。
ヒールを横に流して引っかき傷をつけた。
「なにすんだよ。ふざけるな!」
「奥さんに見つかって離婚でもしたらいいのよ。さよなら。」
私は、きびすを返して走り出した。


怒って追って来ているだろうと思って振り向くと車の外装チェックをしている姿があった。
追ってもきてくれない。
大通りに出てタクシーを止めた。
車の中で、思い切り泣いた。
タクシーの運転手のおじさんが迷惑そうだった。
手の中に握りこんでいた真珠が、汗まみれになっていた。
















しおりを挟む

処理中です...