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白い箱 宝物 思い出

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「開けるな 危険」
白い箱を開けると、ビロードの上にメッセージカードがあった。
散らかった部屋の中
アルバムと大量の子供服に囲まれて途方にくれた。
娘が嫁に行ったことを区切りに始めた片付けは、もはや手のつけようがないぐらい被害が広がっている。
押入れの奥、化石としか言いようのない地層から発掘された白い箱。
忘れっぽい私へ過去からのメッセージつきのそれは、なんだか思い出せないままに、リビングに下ろされた。



「ねぇ、信行って覚えてる?」
「…誰よ、それ。」
学生時代からつかず離れず付き合いのある友の絵里は、陳列された洋服の値札をめくりながら、冷たく答えた。
「ほら、私が今の旦那より前に付き合ってた…」
「ええ、どれぐらい昔の話よ。
のぶゆき…ああ、あの遊び人。」
「遊び人」と言われたことにちょっと腹が立ち、文句を言おうとしたが、
「それがどうしたの?」
という絵里の言葉にさえぎられた。
「この間、片付けしてたら、思い出の品が出てね、思い出せなかったのよ。」
「思い出すって、その…信行さんのこと?」
絵里は、百貨店のテナントを物色しながら、ぐるぐると回り、私もそれに続く。
「全部。
なんとなく、部分的に思い出したんだけど、おぼろげでねぇ。
ショックじゃない。
あのとき、かなり真剣だったし、引きずったりしたのに、こうもすっきりなくなっちゃうもんなの?」
「当たり前じゃない。
あたしたち、もう孫がいるのよ。
思い出す必要もないじゃない。」
「これじゃあ、娘に昔はもてたって自慢もできないじゃない。」
「そんな自慢できるようなもんじゃなかったでしょ。
それより、どう、これ?」
絵里は、洋服を一枚選び出し、自分にあて、私にあて、鏡を見た。
私もつられて鏡を見る。

しわくちゃになった自分がそこにいた。

絵里は、洋服が気に入ったのか、会計へと走っていく。
真面目に取り合ってくれない絵里に、もどかしさを感じて、私の心は白い箱へと戻っていく。
リビングに、数日間放置された白い箱。
「開けるな 危険」
何が危険だったのか思い出すまで、触ることができずに困ってしまった。

思い出すから「危険」
だったはずのカードは、
思い出せないから「危険」
に変わってしまった。

華やいだ声に顔を向ける、
通路を挟んで隣の店では、娘よりももっと下の女の子達が連れ立ってはしゃいでいた。

顔を戻すと、鏡には、相変わらずの自分がうつっている。

肌の輝きを失くし、
しわとしみにまみれ、
指は節くれが目立つ。
このまま、思い出も風化してしまったら、女として私に残るのは、なんだろう?
このまま、女として終わってしまうのだろうか?

「おまたせ。」
会計を終え、ほくほくした顔をした絵里が帰ってきた。
「年とるって、嫌ね。」
と私が言うと、
「何言ってるの?
これからじゃない。
私は、自由を楽しむわよ。」
とにやりと笑う。
ああ、こういうところはいつまでも、敵わない、と尊敬しながら、
「いつだって自由にやってるじゃない。」
と言うと、
「まだまだよ。」
と言ってやりたいことを数えはじめた。





「おばあちゃん。」
絵里と別れて家に帰ると、遊びに来ていた孫が出迎えてくれた。
「いらっしゃい。」
荷物を置き、孫を抱きかかえると、顔が緩んでいくのが分かった。
「あら、また大きくなったかしら。」
「おばあちゃん、そればっかり。」
と言って孫はつまらなそうな顔をする。
家族を大事にしてくれるいい孫を持ったと思う。
失くしたものはいっぱいあるけれど、得たものはもっと大きいかもしれない。
子育ても終わり、自由になったごほうびの時間。
何かはじめてみようか?
と思うと、何だかすごくわくわくした。


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