【完結】色欲の悪魔は学園生活に憧れる

なかじ

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第三部

50 夏義視点

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 最近部活が忙しすぎる。俺が部長だということもあるが、それ以上に練習量がとてつもなく増えた。一新された練習メニューはコーチが作ったと言っていたが、絶対に違う。俺だけ一際厳しいメニューだったし、何より書かれていた文字に見覚えがあった。海月冬夜のものだ。

 メニューを渡された時、ふざけんなと言ってやりたかったが、メニューを見て引きつっている俺に、海月が『できないなら減らそうか?』と笑うので、つい『問題ねぇ』と返してしまった。本当に少しだけだが、今は後悔している。

「くそっ」

 汗だくになりながら体育館に戻ると、もう誰もいなかった。いつもだったらファンクラブに入ってるメンバーが待っていてくれるが、先に帰らせた。吐きそうなほど疲れ切った自分を見られたくない。

(有はさすがにもう帰ったか……)

 最近の有は秋名でもハルでもなく、なぜか寿々木と一緒にいるのをよく見かけるようになった。そのうち寿々木まで有のものになるんじゃないかとひやひやする。
 有の特別が増え続ければ俺の順位はどんどん下がるだろう。そう考えると柄にもなく胸が痛い。今までセフレは何人もいたが、こんなに飲めり込むなんて思わなかった。これ以上、無駄に心をかき乱されたくない。ただでさえ海月が傍にいることで落ち着かないのだから。

(全てを捨ててでも欲しいかどうか……)

 俺にとって大事なものは色々ある。でもどんなにそれを考えていても、没頭していても、思い浮かぶのは有の顔ばかりだった。我ながらなんと青臭い男だ。セックスの回数が増えるたび、大人になった気でいた自分が恥ずかしくなる。

「あれ? 夏義、メニューちゃんと終わったの? すごいね」
「……名前で呼ぶんじゃねぇよ」
「そうだったね。つい癖で、ごめんね。気をつけるよ」

 体育館の床に座って休んでいると海月がやって来た。悪びれもなく笑みを向けるのが癪に障る。体育館の掃除は他の部員がやっておいてくれたようなので電気を消すだけだ。さっさと出ていこう。そう思うのに、視線は海月を追ってしまう。好きじゃないと言いきれないことが悔しかった。

(今更だ……)

 あの柔らかいミルクティー色の髪も、近くにいれば感じる甘い匂いも、全て三年前と変わらない。だからだろうか、海月を見かけるたび、海月を抱いていた頃の記憶が頭を過る。

「あんた、変わらねぇな」
「そんなことないよ。……葛山は格好良くなったけどね」

 まただ。腹が立つはずなのに、海月を目の前にすると感情が塗り替えられてしまう。俺は嬉しくなんかない。こいつは俺を捨てたのだ。それなのになんでこいつを愛おしく感じてしまうのだろうか。

(有……有……)

 こういう時、有のことを考えると心が少しだけ穏やかになる。漫画やアニメの話を一生懸命している時の目が、キラキラしていて好きだ。甘いものを与えると幸せそうに食べる有の顔も好きだ。長くて細い手足も、我慢が嫌いなあの性格も、俺を犯しながらあげる嬌声も、全てが好きで堪らない。

「夏義にそんな苦しそうな顔をさせているのは俺なの?」
「ちげぇよ。もうあんたのことはどうでもいい」

 どうでも良いはずなのに、また頭に海月の裸が過る。どうやって抱いていたのか、身体が覚えているとでもいうのだろうか。俺は頭を振って邪念を払う。立ち上がり、体育館を出ようとすると海月に腕を掴まれた。

「触んな」
「でも捕まえなきゃ、俺の話なんて聞いてくれないだろ?」

 振り払おうとしても、意外と力が強くて振り払えない。ふわり、と甘い香りが漂う。あぁ、この人を抱く時はいつもこの匂いがしたな、と懐かしくなった。

「俺はあんたが好きだったけどよ」
「今は、もう少しも好きじゃないのか?」
「……」
「当然か……」

 悲しそうに俯く海月は綺麗だ。俺はこの人の顔が曇らないようにしたかった。年上の海月に追いつきたくて、でも嫌われたくもなくて、海月さん、と必死に名前を呼んでいた頃が懐かしい。
 ぐらり、と理性が揺れそうになるのを歯を噛み締めて堪える。

「抱きたいかと言われたら抱きたい。喉から手が出るほどあんたが欲しい」
「夏義がまた望んでくれるなら、俺はいつでも……」
「でも駄目だ」
「……。どうして?」

 海月は俺に身体を寄せてくる。何でお前はそう自分勝手なんだとイライラした。そして同時に、そんな海月を抱きたくて堪らない自分に嫌気がさす。

(くそっ……)

 息を吸う度に身体が熱くなる。海月の足を割って、その奥底にちんこをぶち込んでやりたい。犯して、俺のものにしたいと思う。

 でも俺は、こいつのものになりたいとは少しも思わない。

「俺はあんたのためには何も捨てられねぇ。俺が捨てるとすれば、それはたった一人のためだけだ」

 俺が誰かのものになりたいと思うのは、有だけだ。海月のためにやれるものはもうなくなってしまった。全部海月が捨てたのだ。惜しまれてもやることはできない。

「あんたのために捨てられるもんは、もうねぇんだよ」

 離せ、と手を振り払う。
 嫌な予感がして、早くこの場から去らなければと思うのに、なぜか足が動かない。

「おっかしいなぁ……」
「ぐっ」

 ぞわぞわと背筋に何かが這うような感覚。しかし気持ち悪さはなかった。腰に熱が疼いて、足が震える。股間を見れば布を押し上げる自分の一物が視界に入った。最悪だ。

「んー? 気のせいか? ちゃんと勃起してるよな?」
「なんっ……っはぁ、……あっ、っぐ」

 海月の手が俺の胸に触れると身体の力が抜けてしまう。体育館の壁に背中を預けると、ずりずりと身体が床に落ちた。呼吸をしても苦しい。手が性器を擦りたくて堪らなくなるが、そんな惨めな姿を海月に見せるなんて死んでもごめんだ。

「悪いね夏義、ちょーっと最近上手くいかないことばっかりでさ、憂さ晴らしに付き合ってよ」

 海月は俺の前にしゃがむと頬に口付けてきた。なんで俺がお前の憂さ晴らしに付き合わなきゃならねぇんだと言ってやりたいが、キスをされると気持ち良すぎて頭がふわふわしてしまい、何も考えられなくなってしまう。

「お前が俺に手を出したら、彼(・)も少しは俺に近づこうとしてくれるかな?」

 どうなるかなぁと楽しそうに笑う海月の声がする。彼って誰だ。
 もしかしてそれは……

「何をしているんですか?」

 この場所で聞こえるはずのない声がした。顔をあげると見えるはずのない姿まで視界に入る。

「……春樹、君もいたんだ? 最近は予想外のことばかりだな」

 そこにいたのはハルだ。生徒会の仕事が終わり、ついでに見回りでもしていたのだろう。ハルは侮蔑を込めた目で海月を見ていた。その目が俺に移動すると肩が震えてしまう。無様すぎて思わず舌を打った。

「ナツ、立って」
「ハル……?」
「あぁ、別の意味でたってはいるみたいだね。でもそっちじゃないよ」
「て、んめぇ」

 小憎たらしく笑うハルに苛ついたせいか、意識がはっきりしてきた。震える足に力を入れる。壁に体重を預けながらだが、何とか立つことができた。

「春樹もこうやって話すのは久しぶりだね」
「そうですね。ほらナツ行くよ」

 ハルは海月をほぼ無視して俺の身体に手をまわす。触れられるだけでゾクゾクするなんて俺の身体はいよいよどうかしたのだろうか。そういや有と最初にヤッた時、尋常じゃないほど身体が敏感になったのを思い出す。俺は何か変な病気なのかもしれない。こえぇな。

「お前……どうしてここに……」
「有くんの代理だよ。多分ね」
「多分……って、なんだよ……てめぇ……」
「僕じゃ代わりにならないこともあると思うと、むなしくなる。ナツがここまで無様だと尚更ね」
「あぁ!?」

 喧嘩を売られ、衝動的に俺の身体に触れるハルの手を振り払う。お前に同情されるほど落ちぶれちゃいねぇ! と怒鳴るがハルはお綺麗な顔に皮肉めいた笑みを浮かべるだけで何も言わなかった。

「春樹」

 帰ろうとする俺達に海月の手が伸びた。その手は優しくハルの頬に触れ、髪を撫でる。ふわりと甘い香りが漂い、ハルはクンと鼻を鳴らした。まずい、と何かはわからないがまた嫌な予感がした。咄嗟に腕を伸ばしたが、それよりも早くハルが身を翻す。

「触らないでくれますか?」
「ッ!?」

 ハルは自分に伸びた海月の手を掴んで捻り上げる。すごい速さだった。そういや昔、護身術を一緒に習ったことがあったな。昔は少し動くだけでもぜえぜえ息切れしていたくせに、今は呼吸の乱れも一切ない。真っ直ぐ伸ばした背筋は男の俺も惚れ惚れするぐらい綺麗だった。

「僕は今、すごく機嫌が悪いんです」
「痛っ! 離せっ!」
「はい、どうぞ」

 ハルは海月を睨みつけ、捻り上げた腕を投げ捨てるように離した。

「じゃあ先生、電気消しておいてくださいね」
「春樹っ!」
「早良、ですよ」

 ハルの声は凍てつくという表現がつくほど冷たかった。本気で怒っているハルの声を聞くのは初めてだ。というか、何でこんなブチ切れるほど怒ってるんだ……?

「ナツ、行くよ」
「……あ、あぁ」

 俺はずり落ちそうな身体をハルに抱えられ、そのまま体育館から部室へと移動する。真っ暗な廊下は怪談が似合いそうな薄気味悪さだが、何も言わず俺を運ぶハルも相当な気味悪さだ。移動しているうちに身体の疼きも収まり、部室のベンチに座るとどっと疲れが押し寄せてきた。

「ハル」
「何?」
「悪ぃ……」
「言う台詞が違うんじゃない?」

 性格の悪い言い方をする男だ。昔は何もかもが弱々しかったくせに、いつの間にこんな陰険な性格になったのだろうか。俺は深く息を吐き、喉に力を込める。

「助かった。ありがとよ」
「そうでしょう? 深く反省し、感謝して欲しいな」
「ぐっ……」
「……ところで、ナツってあの程度の色香に惑わされるくらい早漏だった?」
「うるせぇ……自分でもよくわからねぇんだよ……」
「……あんな奴にいいようにされるなよ」

 呆れ、というよりは苛立っているようなハルの声に、俺は頭をガシガシと乱暴にかいた。

「ハル、お前いつからいたんだ?」
「抱きたいかと言われたら抱きたい、あたりからかな」
「結構前からいるじゃねぇか!!」
「そうだね」

 ってことはこっ恥ずかしい話を全部聞かれているのか。体中の熱が顔に集まりそうだ。憤死する……。

「また元サヤに戻る気かとヒヤヒヤしたよ」
「……お前、有がいるだろ? まだ好きだったのか? あぁでも人から奪うくらい好きだった相手だもんな?」

 ハルの先程の態度からもう海月を好きじゃないことは明白だった。それでも皮肉を口にしてしまったのは負けっぱなしで何も言えなかった八つ当たりだ。
 しまった、と思った時には既にハルは眉間に皺を寄せ、苦い顔をしていた。俺も似たような顔をしているだろう。

「……奪えてないよ。告白すらできなかった」
「あ? 気でも使ってんのかよ?」

 嘘を言うなと睨みつけたが、ハルは違うと頭を横に降る。ハルは向かいのベンチに座り、ポツポツと当時のことを話始めた。

 海月から誘われるまま、身体を重ねたこと。その快楽にどっぷり浸かり、俺の恋人であると知ってもなお、身体の関係を断ち切れなかったこと。ハルは苦しそうな顔で言葉を紡いでいた。

「待て、なんか話がおかしくねぇか?」
「それでも僕達は付き合っていないよ。信じる信じないはナツに任す」

 ハルの口からはとんでもない言葉ばかりが飛び出してきた。ハルは確かに海月と寝ていた。でも付き合ってはいなかったというのだ。しかも誘ったのは海月から……?

「無様だったよ。中学生の僕が精一杯書いた手紙は相手の手にすら渡らず、僕の元に返ってきた」

 俺は呆然とした。少し前なら絶対に信じないような内容だったが、今は不思議と信じることができる。しかしなぜ海月はハルと付き合うと俺に言って別れたのだろうか。俺がハルと幼馴染だということは知っていたはずだ。なら、なぜわざわざそんな嘘をついたのか。

(俺が最も傷つく方法で別れを切り出したってことか……)

 もしそうだとしたら、海月はそもそも俺なんか好きじゃなかったかもしれない。吹き出すような笑いが溢れた。愚かしい。でもしっくりくる。あの人が俺のことを少しも好きじゃなかったとしてもなぜか不思議じゃないと思えた。

「ナツ、このままだとナツは海月に良いようにされちゃうかもしれない。わかるでしょ? あいつ、ちょっと普通じゃないって」

 ハルの言うとおり、海月には何かおかしい力がある。それが催眠術みたいなものか、それとも媚薬みたいな薬を使っているのかはわからなかった。でも俺と違い、ハルは海月の傍にいても平気そうにしていた。俺の知らないことを、ハルは知っているのかもしれない。

「有くんなら助けてくれる。腹が立つけど、有くんはナツのことが大好きだからね」

 どうしてそこで有が出てくるのだろう。そしてハルが嫌そうな顔をするほど有は俺のことが好きなのか。だったらちょっと、かなり、嬉しいな。

「覚悟できたんでしょ? 行くよ」

 ハルは立ち上がると俺に手を差し出した。その顔は笑っていて、優しいもののはずなのに、俺には恐ろしく感じられた。ハルがハルじゃないように思える。

「……」

 ハル差し出された手を俺はじっと見つめていた。この手がどこに俺を導くのか。俺は思い浮かぶ顔に唇を持ち上げ、そのハルの手を取って立ち上がった。





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