妖が潜む街

若城

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2章

20話

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 雨がほんの少し弱くなり、佐吉達と別れ、自分が住む山へと戻ってきた雪霧は、木々を打つ雨音に紛れる違う音を聞き分けるべく、意識を集中させていた。
 違う音。それは、豪雨から逃げ、住処へと身を潜めた動物の命の音。
 一つの村が遅かれ早かれ、飢餓に苦しむ事になるのが確定してしまっている以上、黙って見ている訳にもいかない。同じ空間を生き、共存してきた彼らには悪いが犠牲になって貰おうと考えた。非常に心苦しいが、子供達が飢餓に苦しむ姿を絶対に見たくない。もし、死んでしまったら、この先生きていける気がしないからだ。
 自分がいる位置から少し離れた距離。動物の気配を感じた。命の音からして、小動物というわけではなく、それなりに大きい。しかし、それだけで村の者達全員の腹を満たすとまではいかないだろう。あと数匹、数頭必要だ。
 雪霧は少しずつ周辺を凍結させ、動物へと近づく為に一歩踏み出す。

「待て」

 後方から声が聞こえ、足を止めて後ろを振り返ると、山が怪訝な面持ちでこちらを見据えていた。

「何をするつもりだ?」

 前方に広がる張られた氷に目を向け、険しくさせていた顔をさらに強められる。

「獣を狩ろうとしているのか? お前には必要ないだろう」
「私には、な。だが、彼らは違う」
「人間の為か。救って何になる」

 山はぬかるんだ地面を軽く蹴り、鼻を鳴らす。

「この程度で死ぬ存在だ。短くとも長くとも、大したものではない。所詮、一〇〇年も生きれぬ弱い人間だ」

 確かに、人間は自分達よりも短命であり、脆い。どんなに心を通わせようと、死ねばその関係が意図も容易く崩れ去ってしまう。一から築き上げたものが、近い将来、消えゆく者に必死になるのが馬鹿馬鹿しく思えるのだろう。
 だが、自分にとって決して消えないものだ。人間との心の通わせがあったという事実が自分の胸に残り続けるのならば、それが活力になる。活力になれば、愛情が芽生える。愛情があるのなら、助けたくなる。

「今死ぬか、後で死ぬかで大きく変わる」

 雪霧は山童に背を向け、息をひそめる動物に向けて再び、一歩踏み出す。

「子供達にはこの先を生き、時代を見据えていってほしい。今は辛い暮らしだが、辛いばかりではない。全ての出来事を感じ、糧にし、変わってゆく時代を謳歌してもらいたい。それの手助けをしたいのだ。たから、今ここで死なせるわけにはいかない」
「お前は、妖怪よりも人間を愛しているのか?」

 その言葉に雪霧は足を止める。

「どちらも愛している。人間達が危機に陥ったなら、私はおぬし達を置いて助けに行く。逆もまた然りだ。おぬし達が危機に陥れば、人間達を置いて助けに来る。必ずだ」
「……人間と妖怪の共存、か」

 山童はぽつりと呟き、呆れた様子で首を左右に振る。

「お前の夢か……好きにしろ。だが、ちゃんと帰ってこい」
「あぁ、すまない。ありがとう」

 雪霧は彼に礼を言うと、駆け出した。
 いくら長く山に住んでいたとはいえ、水を吸った地面を走るのは酷だ。実際、何度か体勢を崩し、木々にぶつかった。周辺を凍結させるべきなのだが、動物との距離が近づいてきた為、無為に凍らせてしまうと、逃げられてしまいかねない。
 動物との距離があと少しとなった時、大きな洞穴を見つけ、狙っていた動物の正体が雪霧の視界に入った。それは、自分の身長を超える大きさの猪だった。猪の傍には、親の半分程の大きさをした子供の猪が居り、親の脇で気持ち良さそうに寝息を立てている。
 子連れか。
 雪霧は狙うのを止め、別の動物を探そうと考えたが、近辺に猪以外の動物の気配は感じられず、探そうものなら、更なる時間を喰ってしまう。

「――っ」

 舌打ちをし、一つ深呼吸をすると、地面に手を付け、洞穴周辺を凍結させていく。
 生まれて間もない赤子の猪ならば、別の動物を探していたが、あそこまで成長していれば独り立ちするのも、あと少しだ。子供の猪には悪いが、早めの独り立ちをしてもらうしかない。独り善がりの行動ではあるが、そうしないと村に居る子供達が餓死してしまうのだ。
 洞穴の周辺に異変が起きた事に気付き、鳴き声を上げて飛び出した。それに対し、雪霧は自分の足場を凍らせた後、跳躍する。そして、雨水で作り上げた一本の槍を親の猪の背中へと、落下の勢いを利用し、深く突き刺した。
 断末魔が耳に突き刺さり、雪霧は顔を顰めながらも、もう一本の槍を作り出すなり突き刺す。刺し口から噴き出した血が、雪霧の顔を赤く染め上げた。けたましい断末魔が次第に小さくなっていき、ぬかるんだ地面に横たわり動かなくなってしまった。

「……すまない」

 体温を失っていく猪の体を撫で、謝罪する。そして、洞穴でその光景を呆然とした様子で眺めていた子供の猪を振り返り、追って来ないようにと、入口を氷の膜で覆った。

「強く、生きてくれ……」

 雪霧は子供の猪に深く頭を下げ、親の猪の肉を掴み、引き摺って行く。同じ身長ではあるが、肉の密度が違うため、体重が雪霧の三、四人分に相当している。人間ならば、その重さを運び出すには数人がかりで行うものだが、身体能力が勝っている雪霧には、他の力を借りる必要が無い。
 ずしりとした重量感が、手から伝わってくるが、引き摺れない程ではない。それに、仕留めた場所が若干の坂になっている為、最初の力以外、大した力を使う必要もなかった。
 これほどの大きさならば、多くの人の腹を満たせるだろう。しかし、それは一時的なものである上、現時点の空腹の事を考えれば、これだけでは足りない。さらに肉が必要だ。

「とりあえず、これだけでも持っていくか……無いよりは良い」

 下っていく途中で、急な坂に差し掛かる。ここからなら、滑らせ、時間を一気に短縮する事が出来る。何処で猪に致命的な損傷を与えるような場所も考えられるが、この山を数十年生きてきたのだ。何処が危険で、何処が安全な場所なのか把握出来ている。ある程度、滑り降りれば、何処かで停止させれば良い。
 猪の乗せた氷の板を坂へと向け、軽く押す。すると、ゆっくり傾き始め、雪霧の力を借りず滑る速度を上げていく。その板に雪霧は飛び乗り、氷の棒を地面に突き刺し、速度の調整を行いながら滑り降りていく。
 もう少しで、食料を子供達や大人に届ける事が出来る。だが、その瞬間、自分が妖怪であると知られてしまう。今まで過ごしてきた事がたった一つの出来事によって、崩れ去ってしまう。
 村の前で猪を放置すれば、姿を見られずに済むかもしれない。しかし、目の前の現状にしか目を向けられず、山の傍で死んでいる猪に気付くのだろうか。否、気付かないだろう。二度目の土砂崩れが起きるかもしれないのに、村の外に近づく者は皆無だ。それに、家が無くなった事によって、見晴らしが非常に良くなってしまっている。自分が猪を置いて行った姿を見られてしまいかねない。
 他に手はあるだろうが、浮かばない。
 発想の力が弱い自分に苦笑すると同時に、泣きたくなった。
 いつか、妖怪を受け入れてくれる時代は来るのだろうか。今は来なくとも、いつの日か、人間と妖怪が手を取り合って生きる時代が来てほしい。自分が生きている間に訪れるとは思えないが、見てみたいものだ。

「……ん?」

 誰かに見られている、そう感じた。
 雪霧は地面に氷の槍を突き立て、滑走する速度を下げ、その場で制止する。そして、何処からか向けられる視線に、一つの答えを導き出した。

「この雨に来るとは、とんだ命知らずだな……人間」

 その言葉と同時に、風を切る音が前方から聴こえてくる。鳥が森の中を飛翔しているとしても、このような音を鳴らさない。鳥ならば、生き物であるため、羽ばたかせる不規則な音も入り交じるものだ。しかし、こちらに向かってくる音にはそれは一切に聴こえてこない。
 雪霧は右手を前に翳し、飛来してくるものを待ち構える。そして、それが小指の腹に触れた瞬間、掴む。
 矢だ。

「見ず知らずの者に矢を放つとは、無礼な奴だな。姿を見せろっ」

 矢を投げ捨て、声を上げる。
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