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 それ以来、優菜は中国哲学に興味をもち始めた。一般的に若者は『三国志』から読み始めるものだが、優菜が初めて読んだのが道教の解説書である。中でも、「外国の歩き方に興味をもち、外国へ行った者が、自分の歩き方さえ忘れて戻ってきた」という説話には興味をひかれた。
「そうか。私はお兄ちゃんに追いつくことばかり考えていて、自分の書きたい内容をおろそかにするところだった」
道教から始めて、儒教の解説書も読み始めた。孔子が「わしは以前、その人が何を言っているかで人格を判断していたが、今はその人が何をしているかで人格を判断するようになった」と言っているのに感心した。
「中国哲学って面白いな。私も早く中学生になって歴史を勉強したい」
 そのうち優菜は、ことあるごとに優斗の部屋に行って、中国哲学の話をしたがった。
「優菜も知識の幅が広がってきたな。ここで掌編を一本書いてみないか?」
 夏休みに入る頃、優斗が言った。優菜はちょうど自由研究の課題を何にしようか考えていたところなので、「いや、私は短編を書きたい」と言った。
「良いだろう。テーマは道教か儒教だ。優菜が持ってる知識を総動員して書いてみろ。中学校の歴史の勉強の予習と思えば良い」
 優菜はまず、どの説話を中心にするか考えた。いろいろ考えた末に、孔子の「わしは以前、その人が何を言っているかで人格を判断していたが、今はその人が何をしているかで人格を判断するようになった」という言行不一致を批判した説話に決めた。テーマさえ決まれば、それまでに書きたくてもテーマが決まらなくて鬱々としていた気分が晴れていくようにして、後はスイスイ書ける。
「あるところに、太郎くんという男の子がいました。太郎くんは同世代の男の子と違って、女の子の遊びにまじることが多く、男の子からは見くだされていましたが、女の子からは優しい子として好かれていました。そんな中で、太郎くんは『僕は本当に優しい子だ』と思うようになっていきました。ところが、ある日、太郎くんは女の子の一人とケンカして、つい暴力をふるって泣かせてしまいました。女の子たちは口々に『太郎くんが悪い。謝れ』と言い立てましたが、太郎くんは『僕が鼻毛を抜いていたら、その子が汚いと言ったから、その子が悪い。僕は悪くない』と言い訳して謝りませんでした。それを見た女の子たちは皆、『太郎くんは自分の非を認めないから嫌い』と言い立てて、太郎くんと遊ばなくなりました。孔子の説話の通り、太郎くんは自分では優しい子と言っていましたが、実際には暴力をふるったのに自分の非を認めない悪い子でした。つまり言行不一致です。それ以来、本性がバレた太郎くんは、男の子からも女の子からも、仲間はずれにされてしまいました」
 優菜は一日で書き上げて、「短編にするつもりだったのに、結局、掌編にしかならなかったな。長い文章を書くのって難しいや」とつぶやいた。早速、優斗に見せに行く。
「結局、掌編にしかならなかったか。まあ、最初はこんなもんだろう。俺の予想した通りだったな。もっと俺の想像を超えて、読み手がビックリするような小説を書けないと、小説家になるなんて夢のまた夢だぜ。でも、全く書けなかった頃に較べたら、一歩前進だ」
 優斗は嬉しそうに言う。優菜は天にも昇る心地だった。
(私だって、やればできるんだ。自分なりの話を作れるんだ)
 しかし、優斗は「しかし、夏休みの宿題としては短すぎるな。他にも掌編を書いたほうが良い」と言ってきたので、気がくじけたのも事実だ。優菜は既にネタ切れだった。
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