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 それから数日後、村人はルイズと有子に率いられて、日暮れの直後に郡役所近くの茂みに隠れ、襲撃の機会を待った。郡役所は長方形で、周囲に堀をめぐらせており、高い位置に見張り台がある。既に夜半だが、石で造られた城壁の上には、明々とたいまつが灯されており、容易に近づける状態ではない。
「どう攻める、ルイズ?」
「決まってるでしょう。まず、捕虜の兵士たちを正面から突撃させますが、あくまで陽動です。陽動部隊が守備隊の注意を引き付けている間に、本隊は裏口から突入します。そこで、ユウコさんが陽動部隊の背後からくっついて行き、もし敵に寝返るなどの怪しげな動きを見せたら、すぐに魔法で殺してください。できますね?」
 ルイズは有子をキッと見据えて言った。その眼力に、有子は気圧される。
「この期に及んで、捕虜がかわいそうだとかいう同情は捨ててください。今は、ユウコさんを支えてくれる村人たちの命が、危険にさらされているのです。もう一度、尋ねますが、できますね?」
 有子は、ここにきて、急に自信が無くなった。でも、ルイズを始め、村人皆の視線が、有子に注がれているのだ。それも、切実な思いのこもった目で。それを感じると、有子はようやく覚悟が決まった。キッと顔を上げると、ハキハキと言い放つ。
「わかった。あたしが陽動部隊を背後から監視するから、皆は自分の任務を果たして」
 それを聞くと、皆はワッと喜んだ。もっとも、潜伏している最中なので、小声でであるが。その後、兵士たちと有子を残して、村人たちはルイズに率いられて裏口に回った。有子は兵士たちの一挙手一投足を絶え間なく監視しながら、じっと郡役所も監視し続ける。そのうち、ルイズから攻撃の時刻を計るために渡されていた、大きな砂時計の砂が、全て落ちきった。攻撃の時刻である。
「よし、皆、攻撃するよ。さあ、突撃しな。モタモタしてたら、あたしの攻撃魔法が背後から飛ぶよ」
 兵士たちは、青い顔をしながらも、ナイフを抜いて郡役所に突撃し始める。さすがに、有子と一戦を交えた以上、有子の恐ろしさは身にしみて知っているらしい。
 かといって、郡役所のほうも、そう易々とは守備兵が打って出なかった。「止まれ。何者か?」と誰何して、兵士たちが答えないとみると、矢を射てきたのだ。さすがに、鎧も着ていない兵士たちは、矢を見ると、我先にと逃げ始める。
「やれやれ……あたしだって、手荒なことはしたくないんだけど、仕方ないなぁ」
 有子は大気中の青、黄色、赤の魔素を混ぜ合わせて、紫色の丸太を放つ。兵士たちと郡役所の守備兵との双方に放たれた丸太は、双方をおびえさせるのに充分だった。だが、
「うろたえるな。おそらく、敵は熟練の魔術師が一人いるだけで、後は魔法も使えないやつらばかりだ。まず、魔術師に矢を集中させよ。魔術師は、たぶん背後の茂みの中にいる」
と指揮する大声が、郡役所の中から聞こえてくる。そのまま、有子のいる位置まで矢が集中されてきたので、有子としては白い光を広範囲に厚く展開させて身を守らざるを得ず、魔素を操るどころではないので、捕虜の兵士たちは、さっさとどこかへ逃げてしまう。
(参ったな……。もともと成功する可能性の低い作戦だったけど、陽動の兵士たちに逃げられちゃ、台無しだわ……)
 そのとき、ふいにボルフガング元国王が、松葉杖をつきながら、郡役所の前に姿を現した。いきなりの出現に、有子はもちろんのこと、郡役所の守備兵もかなり驚いたみたいで、「おい、あれ、元国王じゃないか?」と騒ぐ声がする。もっとも、
「おまえら、何を言ってるんだ? 元国王が、こんな所に一人で現れるわけないだろう。もし、本人が現れたのなら、捕まえてくれと言っているようなものじゃないか」
と指揮する大声が聞こえる。そこで、ボルフガング元国王は、たいまつに火を灯して自分の顔を照らしてみせ、「これでもわからぬか? 朕は間違いなく本人じゃぞ」と叫んで、「カカカ」と高笑いする。それを見たのか、郡役所の中からは、「そ……その笑い方は、まさか……正真正銘の元国王陛下ですか?」と、うろたえる声が聞こえてくる。続いて、
「そういえば、元国王陛下は、足に包帯を巻いておられ、松葉杖もついておられるぞ。歩き方からして、足に重傷を負っておられるに違いない。おまえら、元国王を捕らえるのは、今しかないぞ。出撃じゃ!」
などと叫ぶ大声が聞こえてくる。もっとも、全軍が出撃してきたわけではなく、たいまつの数から察するに、せいぜい半分ぐらいだろう。
「おうおう、朕の首は、よほど価値があるとみえるのぅ。さあ、ユウコ、朕をおぶって逃げろ。この大人数が追いかけてくるのじゃ。足をケガしている朕だけでは、逃げきれぬ」
 言うが速いか、ボルフガング元国王は、さっさと有子の背中におぶさる。老人とはいえ、有子一人で背負うには、いささか重過ぎるので、有子は魔素を操って風を起こしながら逃げるので精一杯だった。さすがに荷物を抱えて走りながら魔素を操るのは、ものすごく疲れるので、有子は息がきれ、汗びっしょりだった。
 そうこうするうちに、二人は郡役所の守備兵に包囲されていた。守備兵は数百人はいる。有子だけでは手に負えないので、ルイズがいればと思うが、いないものは仕方ない。
「こいつ、高度な魔法を使うぞ。郡役所に残してきた魔術師を呼んでこい」
(え~……敵さん、まだ魔術師まで温存してたの? あたしはマジで心が折れそう……)
 有子はガクリとひざをついた。体は悲鳴をあげており、腕はもう上がらない。ボルフガング元国王も、有子の背から降りる。だが、ボルフガング元国王がたいまつを地面に投げ捨て、守備兵から奪った槍をかまえると、守備兵はジリジリと遠巻きに包囲するだけで、なかなか攻撃してこなかった。
「ほう、さすがに郡役所の守備兵ともなると、朕の槍の腕前ぐらいはわかるようじゃな。何度も戦場で槍を振り回して、敵兵と戦った身じゃ。足を負傷したからといって、簡単に倒される朕ではないぞ」
 そのまま、左手で松葉杖をつきながら、右手でブンブンと槍の穂先を振り回し、守備兵を寄せ付けない。有子は今ほど、ボルフガング元国王が頼もしく見えたことはなかった。有子はそのまま、地べたに寝転んで、魔力と体力を回復させようとする。顔には安堵の色が浮かんでいた。
 だが、そうはいかない。紫色のローブを着た魔術師二人が、郡役所のほうから馬に乗って駆けつけてくる。魔術師は紫色の魔素を丸太のようにして、有子とボルフガング元国王に向かって撃ち出してくる。
「ふん、朕がその程度の魔法でやられると思うてか」
 ボルフガング元国王は、有子の前に立ちふさがり、魔法を体で受け止める。
「朕の耐性の前では、その程度の魔法など、痛くもかゆくもないわ」
 そのまま、槍を振り回し、魔術師二人を槍で叩いて落馬させると、有子を抱きかかえて馬に乗り、郡役所と逆の方向に走っていく。背後からは、「待て! 逃がさぬぞ!」などと怒号が聞こえるが、それらは既に有子の耳には入らない。有子は疲れ果てて眠っていた。ボルフガング元国王は、右手で有子をかかえ、左手で手綱を握りながら、巧みに馬を走らせる。それに対し、郡役所の守備兵は徒歩なので、なかなか追いつけなかった。
「ええい、もっと増援を呼べ。逃げきられてしまうぞ」
 背後からは、郡役所に残った守備兵への合図と思われる照明弾があがった。そのためか、しばらくすると、郡役所から数十人の騎馬隊が駆けつけてくる。
「よし、もっと守備兵をおびき出させようぞ。そうすれば、村人が郡役所を攻撃しやすくなる」
 ボルフガング元国王は、馬にピシリと鞭をいれると、いっそう速度を速めた。幸い、このあたりは街道で、周辺の地理は昼間に確認済みである。ボルフガング元国王は、できるだけ広い場所を選んで、馬を走らせた。若い頃から戦場で夜襲を指揮したりもしてきたので、年老いても、このぐらいは充分にできるのだ。
 一方、有子とは逆の側に潜んでいたルイズたちは、郡役所の中があわただしくなってきたことに気づく。村人は、「だんだん騒がしくなってきたぞ。そろそろ攻撃の頃合じゃないか?」とつぶやいていたが、ルイズは、「まだですよ」と制止し続けた。ルイズも緊張で汗が一筋、二筋としたたり落ちる。
 そのうち、有子の潜んでいる側で騎馬隊が出撃した気配があったので、ルイズは内心、「しめた」と思った。でも、まだ攻撃するには早い。騎馬隊を充分に郡役所から引き離して、簡単に帰れないようにしなければならないのだ。ルイズは、「ユウコさん、頼みますよ」とつぶやきながら、時間がたつのを待った。
 そのまま三十分ほど待ったが、騎馬隊が引き返してくる様子は見られない。ここにきて、ようやくルイズは、「攻撃開始!」の号令をくだした。号令のもと、鎧を着た村人たちは、ありったけのたいまつを掲げ、「うおおおおっ!」と叫びながら郡役所に突っ込んでいく。
 これには、郡役所の守備兵が驚いた。何しろ、たいまつは百五十人ほどの数があるのだ。実際の村人の戦闘員は、百人もいないのだが、残りは女性や子供などの非戦闘員が掲げてある。守備兵は矢を射てくるが、鎧を着た村人は矢を恐れずに突っ込んでくるのだ。そのまま、堀や城壁を越えて郡役所に乱入してくるので、恐れをなした守備兵は、逃げるか降参するかしてしまった。こうして、郡役所は村人の手に落ちた。
 郡役所が落ちたという知らせは、たちまち早馬によって、有子やボルフガング元国王と戦っている部隊にももたらされる。当初は、「誤報だろう」と鼻で笑っていた守備兵たちだが、守備兵から奪った槍を持った村人たち数十人が、ルイズに率いられて郡役所のほうから姿を現すと、守備兵たちは、あながち誤報だとも思えなくなった。そのうち、朝陽が昇る時刻になると、郡役所にはトログリム国王の双頭の鷲に剣の旗ではなく、歴代のベオグラード王国の紋章である双頭の鷲だけの旗がひるがえっているのを見て、守備兵たちはすっかり戦意喪失し、武器を捨てて降参したり、騎馬で都に逃げ去ったりしてしまった。
 ルイズは有子やボルフガング元国王と合流すると、「お二人とも、よくがんばりましたね」とニッコリほほえみ、占領したばかりの郡役所へと戻っていった。
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