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第1章 彼女の言葉はわからない
つまらないことは切り捨て 1
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カサンドラが皇帝の私室を出たのを見とどけ、フィッツは小屋へと戻っていた。
もちろん、皇宮付近では、人目につかないようにしていたが、小屋の手前からは自然な様子に切り替えている。
日常的な行動をしているほうが、むしろ人目につかないからだ。
さりとて。
「ねえ、あなた、ハンナの誘いを断ったみたいね」
ディオンヌ付きのメイドの内の1人だ。
ハンナというのは、メイドの中で主導権を握っている女の名だった。
いつも率先して、カサンドラを虐めている。
内心、常に殺意をいだいてはいるのだが、3人程度殺しても、新しい者が現れるだけで、カサンドラの現状は変わらない。
見知った者のほうが、まだしもカサンドラも対処し易いだろうと思い、生かしている。
「あの人が王女様と同じ歳だなんて信じられないわ。あなたも、そう思ったのじゃない? 女性として魅力的とは言えないわよねぇ」
メイドたちの言う「王女様」とは、ディオンヌを指していた。
けして、カサンドラでは有り得ない。
デルーニャの王の養女になったため、カサンドラも「王女様」なのに、彼女らは認めてはいないのだ。
アトゥリノ王国の貴族出身であるメイドたちは、カサンドラよりも立場が上だと勘違いをしている。
ヴァルキアス帝国直属の、アトゥリノ、リュドサイオ、デルーニャの3国には、領土の広さや帝国との関係性において、明確な序列があった。
デルーニャは直属の王国であっても、3つの王国内では最も序列が低い。
それでも、王女と一介の貴族とでは、どちらの立場が上かは明白だ。
ましてやカサンドラは皇太子の婚約者なのだから、本来、さっきのような行いは許されるものではなかった。
許されているというより、見過ごしにされているのは、皇太子のカサンドラに対する無関心さによる。
「ハンナの誘いを断ったのは妥当よ」
フィッツは、視覚と聴覚によって、カサンドラの動向に意識を向けていた。
今は、皇太子とセウテル、それにベンジャミンと一緒にいる。
皇帝の私室でなければ、会話も鮮明に聞こえるのだ。
と、同時に隣で喋っているメイドのことも、頭の隅で処理していた。
確か、名はルメーナだったと記憶している。
淡い金色と薄青色の瞳を見ると、生粋のアトゥリノ人ではないのだろう。
だが、アトゥリノ貴族の中で言えば、ハンナより身分は上だ。
そのせいだろう、ハンナがディオンヌに重用されているのが気に入らないらしい。
「どう? 私と、ひと晩過ごしてみない?」
あまり意識してはいないが、自分の外見は「そこそこいい」のだそうだ。
そう教わったし、そもそも見目の悪い者を、カサンドラの側に置くことなど有り得ない、と言われてきた。
意味は理解していないが、それはともかく。
「きっと楽しいわよ」
すり寄ってくるルメーナに、フィッツは足を止める。
ちょうど小屋の前だ。
さっさと追い返してしまいたかった。
カサンドラの動向を見守るという大事な仕事の邪魔をされたくない。
危険が生じれば、すぐさま駆けつけられるようにしておく必要がある。
「私は、あなたの期待には、お応えできません」
「どうして? 主人に怒られる、ということはないわよね?」
ルメーナの声音には、怒りが漂っていた。
ハンナと「同じ箱」に放り込まれるのが我慢ならないらしい。
内心の醜さがハンナと同質のものだと、本人は気づいていないのだ。
「私は、幼い頃から女性付きの従僕として育てられました」
正確には「ラーザ国王女付の護衛兼従僕」だが、詳しく話す必要はない。
フィッツ以外、ここでは「ラーザ国王女」の存在を認めはしないのだから。
「それが、どうしたの?」
意味がわからなかったからか、ルメーナの怒りが増していた。
その醜く歪んだ顔を見つめて、平然と言う。
「私は、生殖行為および、それに付随する行為ができないよう躾けられています」
しばしの間があった。
その後、ルメーナが口元を両手で覆う。
しかし、フィッツの率直な物言いにも、羞恥は感じていないようだ。
ただ、驚いている。
「そ、それじゃあ……」
「生殖器はありますが、勃つことはありません。でなければ、切り落とされていたでしょう」
両手を口元にあてたまま、ルメーナが小さくうなずいた。
それから、心底、申し訳なさそうな表情を浮かべる。
フィッツにとっては、特段、申し訳なくともなんともない。
王女に仕えるということは、そういうことだと思っているからだ。
そもそも「生殖器云々」は嘘だし。
「あ、あの……あの……このことは……私の胸にだけ閉まっておくわね……」
小声で言って、ルメーナは体を返し、ササっと走り去る。
フィッツは、ルメーナがいなくなったのを確認してから、小屋に入った。
それにしても、と思う。
「なぜ、みんな、同じことを言うのだろうな」
ハンナも同じことを言った。
誰にも言わない、と。
「いっそ言いふらしてもらいたいぐらいだ」
そうすれば、いちいち断らずにすむ。
なのに、なぜか彼女らは、こういう時にだけ、律儀にも「秘匿」するのだ。
ルメーナの反応から推測して、ハンナが黙っていたのは間違いない。
きっとルメーナもハンナに倣うだろう。
それが、どういう類の「気遣い」かは知らないが、迷惑この上ない。
が、そうした他所事は、すぐに頭から消える。
フィッツは、食堂兼調理室に移動した。
いそいそと、お茶の支度をする。
視覚情報は、カサンドラが皇宮を出たと伝えていた。
ティーカップを1つテーブルの上に置いてから、手を止める。
ほんの少し考えたあと、もう1つを向かい側に置いた。
フィッツ自身のものだ。
近頃、カサンドラから頻繁に向かいの席に座るよう促される。
「言われて動くより……いいか」
小さくつぶやいた時だ。
カサンドラが、小屋の間近に迫っていた。
すぐさまドアに駆け寄り、中から開く。
「おかえりなさいませ、姫様」
「ただいま、フィッツ」
カサンドラを迎え入れ、ドアを締めたあと、その背を追った。
食堂にあるテーブルの、いつもの席に、カサンドラは早々に座っている。
準備をしておいたティーポットに湯を入れ、頃合いを見計らってカップに注ぐ。
ふんわりとした甘い香りが、周囲に漂った。
「お疲れさまでした」
「疲れたよ、本当に疲れた」
言いながら、カサンドラがカップに口をつけている。
いつもよりも甘くしておいたのだが、気に入ったらしい。
少し前「疲れた時には甘いものがいい」と言われたことがある。
それを、フィッツは覚えていた。
「お疲れでしょうが、姫様にお聞きしたいことがあります」
カサンドラが両手でカップを握り、口をつけつつ、視線だけを向けてくる。
言いたいことはわかっているといった目つきだが、本当に見透かされているか、フィッツには、わからない。
「全部、見聞きしてたんじゃないの?」
「していましたが、理解が及ばず、申し訳ありません」
「しかたないね。あれだけじゃ意味不明だっただろうしさ」
「寛大なお言葉に感謝します」
不要とばかりに、カサンドラが手を軽く振った。
このところのカサンドラは、言葉遣いだけでなく、以前にはなかった仕草もするようになっている。
王族とも貴族とも、平民とも違う、独特の雰囲気を持つものだ。
「私と皇帝の会話の意味が知りたい?」
「今後に差し障りが出るかもしれないので、情報不足を補っていただきたく」
「その前に、ひとつ、私から確認しておきたいんだけどさ。敵に襲われた時、私がフィッツに、私以外の誰かを守れって命令したら、どうする?」
「姫様をお守りします」
「もう死んじゃったけど、たとえば、その相手が女王であっても?」
「姫様をお守りします」
がくっというように、カサンドラがうなだれる。
しばしの間のあと、溜め息交じりに、頬杖をついた。
「私の命令に絶対服従だと思ってた」
「それは違いますね。姫様をお守りし、お世話をすることが、私の使命です」
「私の命令が、じゃなくて、私自身が第一なんだね」
「はい」
フィッツは、迷いなくうなずく。
カサンドラの命令も大事だが、それ以上に「主を守る」ほうが大事なのだ。
敵と対峙した際に、最も優先されるのは、カサンドラの命となる。
「……わかった。でもさ、死んだら、私を守れなくなるんだよ? それをちゃんと覚えといて」
もちろん、皇宮付近では、人目につかないようにしていたが、小屋の手前からは自然な様子に切り替えている。
日常的な行動をしているほうが、むしろ人目につかないからだ。
さりとて。
「ねえ、あなた、ハンナの誘いを断ったみたいね」
ディオンヌ付きのメイドの内の1人だ。
ハンナというのは、メイドの中で主導権を握っている女の名だった。
いつも率先して、カサンドラを虐めている。
内心、常に殺意をいだいてはいるのだが、3人程度殺しても、新しい者が現れるだけで、カサンドラの現状は変わらない。
見知った者のほうが、まだしもカサンドラも対処し易いだろうと思い、生かしている。
「あの人が王女様と同じ歳だなんて信じられないわ。あなたも、そう思ったのじゃない? 女性として魅力的とは言えないわよねぇ」
メイドたちの言う「王女様」とは、ディオンヌを指していた。
けして、カサンドラでは有り得ない。
デルーニャの王の養女になったため、カサンドラも「王女様」なのに、彼女らは認めてはいないのだ。
アトゥリノ王国の貴族出身であるメイドたちは、カサンドラよりも立場が上だと勘違いをしている。
ヴァルキアス帝国直属の、アトゥリノ、リュドサイオ、デルーニャの3国には、領土の広さや帝国との関係性において、明確な序列があった。
デルーニャは直属の王国であっても、3つの王国内では最も序列が低い。
それでも、王女と一介の貴族とでは、どちらの立場が上かは明白だ。
ましてやカサンドラは皇太子の婚約者なのだから、本来、さっきのような行いは許されるものではなかった。
許されているというより、見過ごしにされているのは、皇太子のカサンドラに対する無関心さによる。
「ハンナの誘いを断ったのは妥当よ」
フィッツは、視覚と聴覚によって、カサンドラの動向に意識を向けていた。
今は、皇太子とセウテル、それにベンジャミンと一緒にいる。
皇帝の私室でなければ、会話も鮮明に聞こえるのだ。
と、同時に隣で喋っているメイドのことも、頭の隅で処理していた。
確か、名はルメーナだったと記憶している。
淡い金色と薄青色の瞳を見ると、生粋のアトゥリノ人ではないのだろう。
だが、アトゥリノ貴族の中で言えば、ハンナより身分は上だ。
そのせいだろう、ハンナがディオンヌに重用されているのが気に入らないらしい。
「どう? 私と、ひと晩過ごしてみない?」
あまり意識してはいないが、自分の外見は「そこそこいい」のだそうだ。
そう教わったし、そもそも見目の悪い者を、カサンドラの側に置くことなど有り得ない、と言われてきた。
意味は理解していないが、それはともかく。
「きっと楽しいわよ」
すり寄ってくるルメーナに、フィッツは足を止める。
ちょうど小屋の前だ。
さっさと追い返してしまいたかった。
カサンドラの動向を見守るという大事な仕事の邪魔をされたくない。
危険が生じれば、すぐさま駆けつけられるようにしておく必要がある。
「私は、あなたの期待には、お応えできません」
「どうして? 主人に怒られる、ということはないわよね?」
ルメーナの声音には、怒りが漂っていた。
ハンナと「同じ箱」に放り込まれるのが我慢ならないらしい。
内心の醜さがハンナと同質のものだと、本人は気づいていないのだ。
「私は、幼い頃から女性付きの従僕として育てられました」
正確には「ラーザ国王女付の護衛兼従僕」だが、詳しく話す必要はない。
フィッツ以外、ここでは「ラーザ国王女」の存在を認めはしないのだから。
「それが、どうしたの?」
意味がわからなかったからか、ルメーナの怒りが増していた。
その醜く歪んだ顔を見つめて、平然と言う。
「私は、生殖行為および、それに付随する行為ができないよう躾けられています」
しばしの間があった。
その後、ルメーナが口元を両手で覆う。
しかし、フィッツの率直な物言いにも、羞恥は感じていないようだ。
ただ、驚いている。
「そ、それじゃあ……」
「生殖器はありますが、勃つことはありません。でなければ、切り落とされていたでしょう」
両手を口元にあてたまま、ルメーナが小さくうなずいた。
それから、心底、申し訳なさそうな表情を浮かべる。
フィッツにとっては、特段、申し訳なくともなんともない。
王女に仕えるということは、そういうことだと思っているからだ。
そもそも「生殖器云々」は嘘だし。
「あ、あの……あの……このことは……私の胸にだけ閉まっておくわね……」
小声で言って、ルメーナは体を返し、ササっと走り去る。
フィッツは、ルメーナがいなくなったのを確認してから、小屋に入った。
それにしても、と思う。
「なぜ、みんな、同じことを言うのだろうな」
ハンナも同じことを言った。
誰にも言わない、と。
「いっそ言いふらしてもらいたいぐらいだ」
そうすれば、いちいち断らずにすむ。
なのに、なぜか彼女らは、こういう時にだけ、律儀にも「秘匿」するのだ。
ルメーナの反応から推測して、ハンナが黙っていたのは間違いない。
きっとルメーナもハンナに倣うだろう。
それが、どういう類の「気遣い」かは知らないが、迷惑この上ない。
が、そうした他所事は、すぐに頭から消える。
フィッツは、食堂兼調理室に移動した。
いそいそと、お茶の支度をする。
視覚情報は、カサンドラが皇宮を出たと伝えていた。
ティーカップを1つテーブルの上に置いてから、手を止める。
ほんの少し考えたあと、もう1つを向かい側に置いた。
フィッツ自身のものだ。
近頃、カサンドラから頻繁に向かいの席に座るよう促される。
「言われて動くより……いいか」
小さくつぶやいた時だ。
カサンドラが、小屋の間近に迫っていた。
すぐさまドアに駆け寄り、中から開く。
「おかえりなさいませ、姫様」
「ただいま、フィッツ」
カサンドラを迎え入れ、ドアを締めたあと、その背を追った。
食堂にあるテーブルの、いつもの席に、カサンドラは早々に座っている。
準備をしておいたティーポットに湯を入れ、頃合いを見計らってカップに注ぐ。
ふんわりとした甘い香りが、周囲に漂った。
「お疲れさまでした」
「疲れたよ、本当に疲れた」
言いながら、カサンドラがカップに口をつけている。
いつもよりも甘くしておいたのだが、気に入ったらしい。
少し前「疲れた時には甘いものがいい」と言われたことがある。
それを、フィッツは覚えていた。
「お疲れでしょうが、姫様にお聞きしたいことがあります」
カサンドラが両手でカップを握り、口をつけつつ、視線だけを向けてくる。
言いたいことはわかっているといった目つきだが、本当に見透かされているか、フィッツには、わからない。
「全部、見聞きしてたんじゃないの?」
「していましたが、理解が及ばず、申し訳ありません」
「しかたないね。あれだけじゃ意味不明だっただろうしさ」
「寛大なお言葉に感謝します」
不要とばかりに、カサンドラが手を軽く振った。
このところのカサンドラは、言葉遣いだけでなく、以前にはなかった仕草もするようになっている。
王族とも貴族とも、平民とも違う、独特の雰囲気を持つものだ。
「私と皇帝の会話の意味が知りたい?」
「今後に差し障りが出るかもしれないので、情報不足を補っていただきたく」
「その前に、ひとつ、私から確認しておきたいんだけどさ。敵に襲われた時、私がフィッツに、私以外の誰かを守れって命令したら、どうする?」
「姫様をお守りします」
「もう死んじゃったけど、たとえば、その相手が女王であっても?」
「姫様をお守りします」
がくっというように、カサンドラがうなだれる。
しばしの間のあと、溜め息交じりに、頬杖をついた。
「私の命令に絶対服従だと思ってた」
「それは違いますね。姫様をお守りし、お世話をすることが、私の使命です」
「私の命令が、じゃなくて、私自身が第一なんだね」
「はい」
フィッツは、迷いなくうなずく。
カサンドラの命令も大事だが、それ以上に「主を守る」ほうが大事なのだ。
敵と対峙した際に、最も優先されるのは、カサンドラの命となる。
「……わかった。でもさ、死んだら、私を守れなくなるんだよ? それをちゃんと覚えといて」
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