いつかの空を見る日まで

たつみ

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第1章 彼女の言葉はわからない

結果の是非 3

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 試合開始直前、フィッツは、円筒型のホバーレの乗車スイッチを押す。
 筒になっている部分の後ろ側が、横にスライドして格納された。
 これで「筒」だったところは、前しか残っていない。
 横も後ろも、がら空きだ。
 
 前は操縦盤となっており、様々なボタンやレバーが並んでいる。
 フィッツに理解できないものはなかった。
 とんっと、軽い調子で乗り込む。
 ホバーレは、地面から10センチほど浮いているのだが、フィッツが乗っても、沈むことはない。
 
 名が呼ばれ、ホバーレの操縦者たちが観覧席に向かって手を振っていた。
 自国の代表に、観覧席からは歓声が上がる。
 とはいえ、フィッツへの声援は聞こえてこない。
 本人は、まるで気にしていないが、それはともかく。
 
(分かり易い配置だな)
 
 13人中、フィッツは、ど真ん中に位置していた。
 両隣は、いずれもアトゥリノの操縦者たちだ。
 最も内側にルディカーン・ホルトレがいる。
 逆に、最も外側にベンジャミン・サレスの姿があった。
 
 あとは、意識する必要もない。
 リュドサイオは無視すると決めている。
 皇太子が約束を守ったと言っていたからだ。
 離れていても、どんな時であろうとも、フィッツは、カサンドラに対する視聴覚情報を切ったりはしない。
 
 周囲に聞こえないよう、2人は、ひそひそ話をしていたが、フィッツには詳細に聞こえている。
 だから、リュドサイオの陣営は無視できると判断した。
 ベンジャミンも、あからさまな攻撃は仕掛けてこないはずだ。
 
 ただし、ベンジャミンの場合、帝国の威信がかかっている。
 そのため、妨害くらいはしてくるだろう。
 簡単に無視していいとは決めきれない。
 注意をしておく必要はある。
 
 さりとて。
 
 フィッツの目標は、5位以内に入ることだ。
 優勝するつもりはなかった。
 5位までに入れば、この後の宴席に招かれる。
 カサンドラも出席するはずなので、そこで合流できさえすればいい。
 
 当初の計画から変わったのは、小屋から皇宮に忍び込まずにすむことだ。
 堂々と正面から入れるし、宴席であれば抜け出すのも、それほど難しくはない。
 警護や監視は厳重になっているが、大勢の人間の出入りがある。
 カサンドラとフィッツが、ひとまず気にしなければならないのは人の目なのだ。
 王族や貴族たちで賑わっていれば、目視での監視からは逃れ易くなる。
 
 フィッツは、顔を前方に向けていた。
 出発地点では横一線に並んでいるが、開始と同時に一斉にばらけるはずだ。
 楕円を周回するにあたり、内側をとるのが定石となる。
 つまり、現在の位置関係からすると、ルディカーンが有利だった。
 
 同じくらい有利なのは、ベンジャミンだ。
 人が走るのとは違い、ホバーレには動力がある。
 大外から一気に内側に切り込むことも可能だった。
 また、ベンジャミンなら、その程度のことはやれるに違いない。
 
 左隣に並んだ操縦者は、やけに小柄だ。
 背も低く、こうした試合には不向きだと感じる。
 密集した状態になった際、わずかな「当たり」でも、弾き飛ばされかねない。
 その不自然さの意図が、フィッツには明確に理解できた。
 だが、放っておく。
 
(姫様に勝利を捧げることが、私の目的ではない)
 
 ほんのちょっぴり本気を出せば、簡単に試合を終わらせられた。
 手加減するほうが難しいくらいなのだ。
 誰が、なにを仕掛けて来ようが、関係ない。
 要は、相手をしなければいいだけのこと。
 
 開始するとの声がかかり、ホバーレの動力音が大きくなる。
 これも、劣化版としか思えない理由になっていた。
 ラーザのラポイックは素早さもさることながら、とても静かだったのだ。
 
 おまけに、たかだか10センチしか浮くことのできないホバーレとは違って、数メートル近く、浮かせることもできた。
 もはや、飛行といっても過言ではない高さを保てる。
 高い木の枝に実っている果物を、ラポイックを使い、収穫するラーザの民の姿が思い出された。
 
(速度も浮上率も下方修正しておくか)
 
 ラポイックで培った経験値を、ホバーレに合わせて下げておく。
 体感的に「遅い」と感じるのをけるためだ。
 はなから「遅い」のであれば、それに見合った動きができる。
 逆に、ラポイックの性能を期待していると、体とホバーレの動きに差が生じて、自滅しかねない。
 
 フィッツには、5位以内入賞との目的があった。
 自滅さえしなければ、目を開けているだけで、入賞は確実なのだ。
 気をつけるべき点は、それ以外にはない。
 
 なにせ、フィッツは360度の「眼」を持っている。
 
 どの位置でレーンを周回していても、死角はない。
 わずかな挙動を察し、相手の攻撃を見抜くことができる。
 銃撃だろうと、斬撃だろうと、当たらなければ意味はないのだ。
 
(よほど恐ろしいのだな。さっきから手が震えている)
 
 左隣の小柄な操縦士の手が震えている。
 操縦用のレバーを握っているが、まともに扱えるようには見えなかった。
 
(なるほど。捨て駒だと、自分でもわかっているらしい)
 
 騎士団服の胸に刺繍された国章から、どこの国かはわかる。
 帝国で従属国として扱われている、ジュポナ。
 アトゥリノに統治権を握られている小さな国だ。
 アトゥリノ配下の4つの国での序列は、最下。
 
 おそらく、自らの命と引き換えにしてでも、フィッツの動きを封じるように言いつけられているのだろう。
 アトゥリノ陣営5人中「捨て駒」としての役目を、この操縦者は担っている。
 本人も、それがわかっているので、恐怖から震えているに違いない。
 
(戦場では、そういうこともある。犠牲となるのが使命だと思えばいい)
 
 フィッツは、相手が恐怖していることは理解していても、なぜ恐怖しているのかという理由についてまでは、理解しきれずにいた。
 死ぬのを怖がる気持ちがわからないからだ。
 ほかの騎士たちが言う、死を「栄誉」だとは思っていない。
 だが、使命を果たすためならば「必要」だと思っている。
 
 カサンドラを守れなくなるのは使命に反するので、死は避けたい。
 同時に、そうしなければカサンドラを守れないのであれば、命を賭す。
 矛盾した思いには違いないが、フィッツの中で、それらは正しく成立していた。
 
 すぐに、その操縦者への関心はなくなる。
 耳にうるさく、仰々しい試合開始の鐘が鳴っていた。
 ブォンというホバーレの動力音もうるさい。
 フィッツは軽くレバーを前に倒し、緩やかに発進する。
 
 左隣の操縦者が、フィッツのほうへと、素早くホバーレを寄せてきた。
 が、素早くといっても、フィッツからすれば「鈍い」と言わざるを得ない。
 ヒュッと速度をわずかに上げ、右にいた複数のホバーレの間の隙間に滑り込む。
 ホバーレ同士がぶつかるかどうかという、際どい空間を、悠々と擦り抜けた。
 360度の視覚と計算能力で、どこをどう抜けられるか、フィッツには、明確に道筋が見えている。
 
(追って来るのか。腕は悪くないようだ)
 
 ジュポナの操縦者が、フィッツを追尾していた。
 真横まで迫っている。
 当然だが、フィッツが手加減をしているからだ。
 
 目的は5位以内なので。
 
 体当たり狙いか、飛び移るつもりか。
 どちらにしても、直前でかわせばすむ。
 後者であれば、ホバーレから落ちることになるはずだ。
 脳震盪を起こし、立ち上がれなくなるかもしれない。
 後続の者に轢き殺される可能性もある。
 
 しかし、フィッツには関係ない。
 どうでもいい相手だし、興味もなかった。
 
「ぅあ……っ……!!」
 
 短い悲鳴が聞こえる。
 フィッツの横に並んでいたホバーレが大きく傾いていた。
 アトゥリノ配下の、ほかの操縦者が、その向こうにいる。
 もとよりジュポナの操縦者は「捨て駒」だったのだ。
 まっとうに役割をこなさせる気もなかったらしい。
 
 蹴り飛ばされたホバーレは操縦者ごと、フィッツのほうに倒れてくる。
 とはいえ、その様子は先刻承知。
 計算された細かい動きで、するりと躱した。
 後ろで大きな音がする。
 
 ホバーレが地面に横倒しになり、操縦者は外に投げ出されていた。
 砂煙の中、後続に轢き殺されるに違いない。
 判断しつつも、フィッツは自分の目的を果たすため、前だけを見ていた。
 のだけれども。
 
「フィッツッ!!」
 
 視聴覚情報からカサンドラの表情と声が伝わってくる。
 瞬間、フィッツは、握っていたレバーを大きく手前に引いた。
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